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007





「いつでもどうぞ? こちらこそお待ちしてます」


浦原のその言葉をよすがに,一護は月曜日の放課後家とは逆方向の道を辿っていた。
社交辞令かもしれない,とか,仕事の邪魔になるんじゃないか,とかいろいろ考えはしたが,結局好奇心が勝った。
外から様子を見て忙しそうならそのまま引き返せばいい。
最終的にはそう腹を括り,午後遅い道を弾みをつけた足取りで歩いていた。


学校からビデオ屋までは一護の足で10分ほどの距離だった。
ピンク色と黄緑色がやや褪せたカッティング・シートで「一週間290円」「新作続々」などと記されたガラス戸越しに店の中を窺うと初めて訪ねたとき同様店の中はがらんとしていて客のひとりの気配もない。
浦原はカウンタに頬杖をついて至極退屈そうな表情で何かの雑誌を捲っていた。


どうしよう。
ここまで来て一護は迷っていた。
サッシ戸の前に腰を屈めて店の中覗き,身体を起こして扉の横に寄りかかる。
コートのポケットに両手を突っ込んで足元の小石を蹴る。
空を見上げるとうす青い空に刷毛ではいたような雲。風は冷たい。
どうしよう。
迷いは吹っ切れることがなく,腹を括ったはずの決意も有耶無耶に解けていった。
どうしよう。
何度目かの煩悶を繰り返し「今日はやっぱり帰ろう」と弱気な決断を下したそのとき,一護のすぐ横でからからから,と扉が開いた。


「なーにしてるんスか?」


浦原の声。
一護は驚いて飛び退った。
そのあまりの反応に浦原は困ったように頬をぽりぽりと掻きながら「何もそんなに驚かなくたって」と苦笑いを浮かべた。


「外,寒いでしょ? どうぞ中入って」


開いたサッシ戸を手で支えられ促されると一護はほんの一瞬躊躇を見せたが,浦原の顔を見上げ,ぺこんと頭を下げると「お邪魔します」と大人しく中へ入った。
ずらずらとビデオテープが並べられたラックの間を抜けてカウンタへ向かう間きょろきょろと中を見回したが外から窺ったとき同様客の姿はひとつも見られなかった。


「店先じゃなんですし,上でいいっスよね。コーヒー飲みたいなー,でもめんどくさいなーて思ってたところなんで,一護サン来てくれてちょうどよかった」


カウンタの上の雑誌をぱたん,と閉じると浦原は先へ立って店の奥へ向かった。
一護はカウンタの上に閉じられた雑誌の「Eat PUSSY!?」の文字と赤いレースの下着一枚で四ツ這の扇情的なポーズを決める金髪の女性の姿にぎょっとした後,慌てて浦原の後を追った。
突っかけていたサンダルを脱いで座布団の一枚を顎でしゃくりながら「その辺座って?」と云った浦原は一護の顔見てぴたりと動きを止めた。


「ありゃ。一護サン顔が赤い」
「な,なんでもない!」
「……ははぁ,カウンタの上の,見たんだ?」
「見てない!」
「嘘」
「う…,ひ,表紙だけちょこっと…」


しどろもどろに言い訳がましく云った一護に浦原はくすくす笑いながらコーヒーの支度を整えるべく台所に立った。
そして食器棚からこの間と同じこぶたのマグカップを取り出し,自分用のマグカップとふたつシンクの上に置いた。
豆挽きに豆をざらざらと落とすとそれをごりごりと引きながらシンクによりかかって一護を振り返った。


「今日,持ってく?」
「へ?」
「アレ。洋モノだから好きずきだとは思うけど,お好みだったら貸しますよン?」
「い,いらね!」
「ほんとにー?」


楽しげに聞き返す浦原を「いらねってば!」と睨むように見上げる一護の顔は真っ赤で,それが更に浦原の笑みを誘った。


「ひとのことからかって遊ぶな!」
「あははははは。ゴメンナサイね。でも一護サンかわいくて…」
「かわいいって云うな!」


お詫びに美味しいコーヒーご馳走しますから。
豆挽きをシンクに置くと浦原は一護の頭をぽん,と撫でてその後ろの棚からネルのフィルタを取り出した。
三角フラスコとビーカの中間のようなガラス製のコーヒーメーカにそれを据え,豆挽きから粉を落とす。
もう三度目になるその動作を一護はまたじっと見つめた。
週末に家で浦原のやり様を真似て自分でもコーヒーをいれてみたが,やっぱり味は格段に劣っていた。
豆が違うのかもしれない。


「コーヒーって何使ってんの?」
「豆?」
「そう」
「そのときどきで違いますけど,これは仕入れに行くところの傍の喫茶店のヤツでモカベースのブレンドだったかな」
「高い?」
「いいえ。100gで600円とかですよ」


浦原が口にした値段は一護の家にあるものとそう違いはなかった。
そしたらやっぱりあの道具…一護はまじまじとガラス製のコーヒーメーカを見つめたが,どう見てもそんな凄い道具に見えなかった。


「そのコーヒーメーカってすごいの?」
「凄い…てことはないんじゃないスかね。場所取らないから使ってるだけだし。電動のでもいいんスけどどうしたってほら場所いるでしょう。この台所コンセントも少ないし」


やっぱり。
一護が眉間に皺を寄せ浦原のいれるコーヒーの秘密について考えを巡らせている間に浦原は二人分のコーヒーを作り終えことんことん,と音を立ててマグカップを卓の上に置いた。
早速こぶたの絵のついたカップを両手で包み込むようにして持つとその匂いをそっと吸い込む。
深い匂い。寒さで強張った身体からするすると力が抜けて行くような心地がする。
カップの端に口をつけ,そっと啜ればその心地は更に広がって思わずため息が出た。


「おいし?」


一護の向かいに腰を下ろした浦原は頬杖をついて片手でカップを持ったままやわらかな笑みを浮かべていた。
一護は上目遣いに浦原を見ていた視線をカップに戻すと素直にこくんと頷いた。


「それはよかった。……あ,そういえば」


浦原は云うなり立ち上がるとシンクの横の冷蔵庫の扉を開けた。


取り出したのは小さな,ケーキが入っているような持つ手のついた箱だった。


「一護サンこれ開けて? それからコート,皺になるからアタシに貸して」


云われるままに箱を受け取りカップの横に起き,傍らのコートを浦原に手渡す。
浦原はおそらくハンガーを探して部屋を見回した後,それが見当たらないのに諦めて自分のコートがかかった上に一護のコートを掛けた。


「今度来るときまでに一護サンの分も用意しとこう」


再び腰を下ろしながら呟かれた浦原の言葉を耳にして一護は箱を開ける手が止まった。


「一護サン?」
「……あ?」
「どうかした?」
「や,なんでもない」


云いながらごそごそと開けた箱の中には真っ白いケーキがふたつ入っていた。
思わず息を飲んだ一護に浦原は首を傾げると「ケーキ,好き?」と尋ねた。
声ではなくこくん,と頷いて返された答えに「それはよかった」先ほど同様やわらかな声で云うと手にした皿とフォークを差しだした。


「アタシひとりならそのまま食べちゃうんですけどねー」
「俺も別に平気だけど」
「んー? でもほら,せっかく出したから」
「そ,だな。ありがと」


一護は壊れ物を扱うような慎重な手つきで箱からケーキを取り出し二つの皿に載せた。
ケーキは装飾の一切ない真っ白なもので,金色のホイル紙の上にうすいセロファンがぐるりと巻き付けられて載せられていた。


「いただきます」


両手を合わせてそう云うと,一護はフォークを片手に慎重にセロファンを剥いだ。
口をきゅっと引き結んだままケーキにフォークを差し,ほんの一口分切り分ける。
ケーキの中は外の白さと対照的にやわらかい色のスポンジに真紅のジャムのようなものが染み込んでいた。
一護はジャムの滲んだそれを急いで口に運ぶとじっくり味わうように目を細め「うまい」と小さく呟いた。


「気に入った?」
「ん」
「出先で見かけて,もしかしたら一護サン来るかなーって思って買ってみました」
「俺のため? わざわざ?」
「そ。だから来てくれてほんとによかった」


社交辞令の響きのない真っ直ぐな声だ,と一護は思った。
それと同時になんでそんな? と疑問もふわりと浮き上がり,でもそれは「このケーキ,うまい。コーヒーも」と身体の反応で押しつぶした。
聞けばよかったのかもしれない。
聞けばきっと浦原はなんでもないことのように答えたと思う。
でもなぜか一護は聞くことが出来なかった。
聞いたらこの心地よい空気がなんだか変わってしまうような気がして,それが勿体なくて黙ってコーヒーを啜った。









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「eat pussy」は「ク**リ**ス」の意味ですよー。(←無駄知識)
(2005.05.07)

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