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005





「ハイ,一護サンこれ」


浦原は部屋に入るなり手にした毛布を一護に放った。
一護は慌てて手にしていたカップを傍らに置き,毛布を受け取る。


「ナイスキャッチ」
「ナイスキャッチじゃねえよ! カップ倒したらどうすんだ」
「倒れなかったでしょ? 平気平気」


吠える一護を軽くいなしながら浦原はデッキにテープを押し込むと部屋の電気を落とした。


「さて。あ,一護サン毛布被ってない」
「膝にかけるんじゃねえの?」
「お風呂上がりに濡れた髪のまま外走ってきたんだからちゃんと暖かくしてないと風邪ひきますよン?」
「アンタ…意外と心配性なのな」


一護は口をへの字にしながらも大人しく毛布を肩に羽織る。
浦原は満足そうにそれを見ると一護の隣に腰を下ろしクッションに深く寄りかかった。
一護の手が伸びマグカップが渡される。それと同時に漆黒の画面に白い文字で監督の名前が映し出され本編が始まった。


モノクロームの世界でレースの扇を持った女が微笑んでいる。
そこはどうやら映画館らしく,観客とスクリーンが交互に映し出される。
字幕はなく,スクリーンノイズと聞き取り難い台詞回し。観客は煙草を吸いながら映画を観ている。
突然スクリーンから光が消え,途端劇場内はブーイングの嵐になる。
そこへ劇場支配人が汗を拭きながら登場し,「魂の指導者,エバ・ペロンがさきほど亡くなられました」と告げた。
場内は一瞬しん,と静まり返った後,ある者は口許覆いまたあるものはハンカチを目頭に押し付けて涙を拭う。
そして観客はひとり,またひとりと劇場を出て行く。
座席に残ったのは眼光鋭いひとりの男。


浦原は何度も繰り返した筋を確認するように眺めていた。
傍らで一護が身体を起こす。
クッションに埋もれるように見ていたのを,膝を両手で抱えその上に顎を載せて画面を食い入るように見ている。
浦原は一護の背中越しに画面を見た。


初老の男の葬儀。泣きわめきながら両腕を取られ葬儀会場から連れ出される少女。


もしかして。
浦原は一護の被る毛布を引いた。
振り返った一護は「なに?」と不思議そうな顔。
そこには浦原が危惧したような影は見られなかった。
杞憂だったか。
浦原は安堵の息を吐くと何でもない,というように首を振った。
しかし一護は「あ」と何か思いついたような顔をして再び背をクッションに預けた。
そして浦原の耳元に口を寄せ「ごめん,見えないよな」と謝る。


そうじゃないんだけど…。
浦原が口にする言葉を選んでいるとテレビを挟むようにして部屋の両端に据えてあるスピーカから歌が聞こえてきた。
それをしおに一護の視線がテレビに戻る。
触れた肩越しに映画の展開に合わせて息を呑んだり,深々と吐いたり,一護の微かながら確かな反応を感じながら浦原は「どうしよう,ほんとに可愛いなこの子」と頬を緩めた。






ぽす。
一護は突然肩に重みを感じ,驚いて飛び上がりそうになった。
しかしすぐに浦原が寄りかかってきたのだと気づいて今度は窺うようにその顔を覗き込む。
一護の肩に凭れ掛かり画面から漏れる薄明かりに照らされた浦原の顔は,冬の月のような淡い色の髪に覆われた下で瞼は閉じられすうすうと規則正しい寝息を立てながら気持ち良さそうに眠っていた。


「まだ映画始まって一時間も経ってねえぞ…?」


一護は低く呟いたが,浦原が日中ずっと店で働いていたことを思い出し,意外と疲れてるのかもしれないと思い直した。
そして浦原を起こさないように羽織っていた毛布を広げ浦原の肩にもかけてやる。


「俺の心配するよりもこんなところで寝入ったら確実にアンタが風邪引くぞ…?」


改めてクッションに寄りかかり,冷めてしまったコーヒーを啜った。
画面に視線を戻すと大統領のパートナまで昇り詰めた女が国民を前に大演説を繰り広げているところだった。


母と一緒に観たときはまだ字幕が読めなかったためただ歌がたくさん流れて楽しそうな映画だ,という印象しかなかったが,こうして理解できるようになって観てみると何とも複雑な感じだった。
いったいおふくろはこの映画のどこが好きだったんだろう…。


--- 寝室の淫らな夢を満たし,その一方では聖女


そんな歌詞を歌う男(冒頭の場面で最後まで映画館の座席に残っていた眼光鋭い男だった)を見つめてため息を吐いた。


この映画は台詞がほとんどない。
ミュージカル仕立てというのか,ほとんどが歌によって語られていた。
明るい調子の歌,挑みかかるような調子の歌,気持ちを慰撫するような調子の歌。
男と,女と,大勢の国民たちと。それぞれが歌い,それで語る。
そのせいか皮肉げな台詞もさほど刺々しく響かない。
一護は字幕を追う目から力を抜き,耳に意識を傾けた。
授業で習う英語はほとんど役に立たなかったが,それでも端々は聞き取れて少し嬉しかった。






映画は主人公だった女の葬儀の場面で終わった。
窓越しに光の降り注ぐ大聖堂の中,数えきれないほどたくさんの国民が女の死を悼むために,その遺体に花を供えるために行列を作っていた。
そしてその中にあの眼光の鋭い男がいた。
男は女の横たわる棺に近づくと


--- 死んだ後も永遠に人々の前に横たわる。やはりそれが彼女にはふさわしい……


沈鬱な面持ちでそう歌い上げ,夫である大統領と視線を絡ませ対峙した後に女の横たわる棺にそっと,しかし長いキスを落とす。
その後も行列は続き女は棺の中無言で横たわり続ける。
エンドロールが流れ,一護は深々と息を吐いた。


いろいろなことが頭の中で渦巻いてうまく言葉にならなかった。
映画を観た後はいつもそうだ。誰かと感想を云い合うよりもその余韻に浸って現実を取り戻すのを少しでも遅らせたいと思う。
中学生と云う立場上そう多いことではなかったがひとりで映画館へ行ったときはエンドロールが終わり劇場内が明るくなるまで座席に座っている。
映画館を出てまだ外が明るいことに愕然としながら歩き出す,あの感覚が好きだった。


ここは映画館とは違う。ひとの家だ。それなのに,どうしてこんな居心地がいいんだろう。
一護はテープが終わり画面が砂嵐に変わるまでぼうっとそれを眺めていた。
ざぁぁぁぁぁという耳障りなノイズが予想を超えるボリュームで聞こえたときようやく我に返って浦原の手の先にあるコントローラに,身体を揺らさないように細心の注意を払いながら手を伸ばした。
身体を揺らさないようにしたのは未だ一護の肩に頭を凭れさせて寝入っている浦原に対する気遣いだった。
なんとかコントローラを手にしてテレビのスイッチを切る。
たちまち部屋からは音が消え,耳元で微かにする浦原の呼吸の音だけが一護の耳に響いた。


さて,どうするか。
ビデオデッキの時刻を示す青白い表示は0214となっている。
そして肩に頭を載せて寝入る家主は当分起きそうにない。
起こすのもなんだか忍びない。
そしてなにより一護も眠かった。


一護は毛布を自分と浦原に改めてきちんと掛け直すとクッションに具合良くなるよう背中を埋め目を閉じた。
浦原の寝息に導かれるように一護の呼吸数が落ちて行く。
ふたりの寝息が同じ拍子を刻むようになるまで,そう長い時間はかからなかった。






浦原は閉じた瞼をひくりと震わせるとゆっくり瞼を開いた。
いつの間に映画が終わったのかテレビは沈黙し,倒した自分の頭に寄りかかるようにしてすぐ傍から一護の寝息が聞こえる。
そして身体にはしっかり毛布がかけられている。
この状況,この体勢。


浦原は信じられなかった。
一護が寝入っていることがじゃない。自分が寝入ってしまったことが。
浦原の不眠症はかなりの年季が入っている。
そもそも映画を観るようになったのだって眠れぬ長い夜をやり過ごすためだった。
以前のように何日も眠れずにいるということこそなくなったが眠りが浅いのはどうにもならず,夜更けに近所を走る救急車の音,酔っぱらいの歌い声,店の前を歩く人が携帯電話で話す声でも目が覚めてしまう。
傍らにひとが居て熟睡するなんてことはありえない。
それなのに,いったいどうして。
浦原は混乱し,困惑した。
深々と息を吐いてそのまま止めると部屋の中に一護の寝息だけが響く。
それはどこまでも穏やかで健やかな音だった。


もしかして…いや,もしかしなくてもこの子のせい?
浦原は手を伸ばし寄りかかる一護の頭をそっと支えると身体を起こした。
そして一護の身体をそっと横たえてやり,頭を自分の膝に載せる。
一護は微かに身じろぎをしたが目を覚ますことはなかった。
浦原のシャツの裾を掴み,くうくうと寝入るその姿に苦笑を漏らし,浦原は一護のやわらかな髪に指を梳き入れた。
ビデオデッキに表示された現在時刻は四時を少し回ったところ。
夜明けまではまだほんの少し時間がある。何時に起こして送り届ければいいか…。
浦原は天井を仰ぐと音を立てずに欠伸をした。










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ようやっと更新。
えへへ。先に寝入るのは浦原さんでしたv>心当たりの方
(2005.04.30)

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