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006





雀の鳴く声がする。
頬に感じるのはひやりとした空気。
しかし身体は心地よいぬくもりに包まれていていつまでもこうしていたいと思う。
いつまでも…?


一護はぱちりと目を開いた。
仰向いた視線の先,カーテン越しに外が明るくなっているのが知れた。
ていうか何で俺仰向け?
頭の下は床ではない。少し高くなっていて少しやわらかくて,暖かい。
これは…脚か?
そろそろと視線を戻す。見慣れない天井の手前に顎先。
無精髭の生えたそれを見て,ようやく一護の現状把握が終わった。
ここは近所の怪しいレンタルビデオ屋。
自分に膝枕しておいておもいきり身体が凝りそうな格好で寝入っているのは店の主だ。


あ,そういやまだ名前聞いてない。
連鎖反応で緊急性のない事実をひとつ思い出す。
ああでもそんなことより,帰らなきゃ。
のろのろと身体を起こし,ビデオデッキの時計表示を確認すると0545となっている。
10時とかじゃなくてよかった…。
一護は安堵の息を吐き,寝入る浦原の肩をそっと揺さぶった。


「なぁ,起きて?」


その声に家主がゆっくりと瞼を開いた。


「あれ…アタシ,また?」
「また?」
「や,こんな眠れることって稀だから…」
「? てかそれより,俺,そろそろ帰らないとやばいんだけど」
「あー,今何時? オヤもうじき6時じゃないスか。一護サン帰らないとまずくない?」
「かなりヤバイ」


神妙な面持ちで頷いた一護に家主は「ですよね…」と云いながら腕を頭上に伸ばし,うーんと呻きながら身体を伸ばすと,肩をとんとんと叩きながら立ち上がった。


「じゃ,お送りしましょ。ここはこのままでいいから上着着て?」
「俺ひとりで帰れるよ。だから」
「昨日の夜約束したでしょ? それにちゃんと帰れたかなって心配する方が気が気じゃない」


だから,ね?
そう云われると一護には返す言葉がなかった。
よろしくお願いします,と頭を下げ,家主の言葉に従いごそごそと上着を羽織った。


「それ着たら先に下降りててくださいな。アタシも上着取ってくるんで」


一護の視線の先,家主はするりとドアを潜り部屋を出て行った。
少しするとぱたん,とドアの音の締まる音がして隣の部屋へ入って行ったのが知れた。
一護はコートを着込むと釦をきっちり一番上まで締め,毛布をざっと畳んでから部屋を出た。
階段を下り台所を抜けて店へ向かう。
靴を履いてカウンタのところに置かれた椅子に腰掛けていると「あれ,一護サン店? そっちじゃないんスよ。靴持ってこっち来てー?」と遠い声がした。


こっちってどっちだ?
一護は慌てて靴を脱ぐと部屋に上がった。


「こっちこっち」


廊下の先,玄関らしい扉の前で家主が手招きしていた。


「店のシャッタ開けると結構な音がするんで,こっちからね」
「そっか」


一護が靴を履くのを待って玄関の扉が開いた。


「鍵閉めるからちょっとだけ待っててくださいねン」
「ん」


家主の脇をすり抜け,一護は通りに出た。
冬の朝の澄んだつめたい空気がしみる。
目をしばたかせ,鼻の頭を擦ってゆっくりと深呼吸する。背筋がぞわっと震えたが気持ちはよかった。


家の前は細い路地になっていたがさすがに土曜日の早朝とあって人気はまったくなかった。
右を見て,左を見る。
どこからどこへ繋がっている道かいまいち見当がつかない。
自分が住む街なのに,知らない場所があるということがなんだか変な感じだった。


「まだかー?」


家の方を振り返って鍵と格闘している家主に声をかける。


「ええと…」


自分ちの鍵と何を格闘することがある?
一護は怪訝に思って家主の元へ駆け寄った。
がちゃがちゃと鍵を差し込んだまま奮闘する家主。


「ここんちほんとボロ家だからコツがいるんスよ…」


だからどうしたって出不精になる…まったく,えい,この…!
ぶつぶつ云いながら鍵を差し込んだままドアを持ち上げるように力を込める。
かち。
ようやく微かな音がして鍵が抜けた。


「はい,お待たせしました」


鍵をコートのポケットに戻しながらこちらを向いた家主越しに一護は門灯の下に設えられたポストを見ていた。


「浦原…さん?」
「え?」
「や,ポストに」


家主がくるりと振り返る。そして「あーあ」と苦笑いのような声で云った。


「バレちゃいましたか」
「名前,聞くの忘れてて」
「や,いいんスよ。変なはぐらかし方したのはアタシですし。それよりほら,時間」


一護は背をぽん,と叩かれ慌てて歩き出した。


家主はポケットからひしゃげた煙草のパッケジを引っ張り出すと一瞬だけ足を止めてうす青い安物のライタで火を点けた。
そして一護の横に並ぶと人気のない朝の道を歩きながら家主はぽつりぽつりとではあったが自分のことを話した。


名前は浦原喜助。
歳は24歳。
大学は通信制。(「ほら,店あるから通ってなんからんないでしょ…ていうのは言い訳なんスけど」)
店は親戚中で一番の鼻つまみ者の叔父に「オマエ将来絶対ろくな大人にならねえよな。だからここやるよ。ひとに頭下げる必要はねぇし,家は俺のもちもんだ。食費程度の売り上げがあればそれで食ってける。悪くねぇだろ?」と高校二年生のときに押し付けられた。
叔父の勝手に母親は激怒したが,浦原はそんな母親の方が煩わしく父親に簡単に宣言すると荷物をまとめて家を出た。以来ずっとここに住んでいるとの由。


「さすがに在学中は夜だけの営業でしたけどね」


ひっそり笑った浦原に,一護は「へぇ…なんかすげーんだな」としか云えなかった。
高校二年生と云ったら自分と五歳も変わらない。
そんな歳で家を出て店をやりながら,学校にも通う。
自分が同じ立場になったとしてそれがこなせるだろうか。


「や,ちょっと待て」
「ん?」
「高校二年生っつったらアンタおもっきし未成年じゃねーか!」


自分には「子どもに貸したらアタシの手が後ろに回っちゃうんスよ」なんて云ったくせに!
コートのポケットに両手を突っ込み,後ろ歩きしながらじっと自分を睨む一護に,浦原は「あはははは」と誤摩化すように笑った。


「笑って誤摩化すなよ」


真っ直ぐに怒りを見せて声を尖らせる一護に,浦原はやっぱり口許を和らげてしまう。


「ゴメンナサイ。でもねぇ…アタシの場合はメシの種でしたし。それになんていうか…フケ顔がよかったのかなぁ。誰も歳聞いてきたりしませんでしたよ?」
「ふ,フケ顔って…」
「今はこんなきれいな顔してますけどね」
「自分で云うなよ」


浦原の飄々とした物言いに怒った顔が持続できなくなって一護は諦めて笑った。


名前も知らない怪しげなビデオ屋の店長が「浦原喜助」という人になり,少しずつ与えられた情報が一護の中の浦原に色をつけていく。
変な大人。でも,面白い。コーヒーいれるのも巧いし,映画にも詳しいし。笑う顔がなんかやわらかいし。
一護は浦原の話を聞きながら,また自分の話に相づちを打つ浦原を見つめながらその印象を羅列していた。


そしてそんな風にして他愛のない話をしているうちに通りの向こうに「黒崎医院」の看板が見えてきた。
一護は足を止めて浦原を見上げる。


「ここでいいよ。送ってくれてありがと」
「どう致しまして。こちらこそ一護サンのおかげでぐっすり眠れて」
「や,疲れてんのにつき合わせてゴメン」
「あー…それは違う…けど説明はまた,今度にしましょ」


説明?
不思議そうな顔で見上げてくる一護に浦原は何も答えずただ,眼差しを和らげた。


「ほら,そろそろ行かないと」


浦原は促すようにそう云ったが,一護はコートのポケットに両手を突っ込んで足元の石を蹴飛ばしながらなかなか歩き出そうとしない。
怪訝に思って「一護サン?」と名を呼ぶと,切羽詰まったような顔で一護は口を開いた。


「あの……浦原,さん」
「なんです?」
「あのさ,また…,俺,遊びに行ってもいい?」


おずおずと尋ねた一護に浦原は一瞬不意打ちを食らったような顔をしたが,すぐにまたふわりと微笑んだ。


「いつでもどうぞ? こちらこそお待ちしてます」


それじゃ,またね。
浦原は一護の頭をぽん,と撫でて踵を返した。
一護も遠ざかる浦原に背を向け家へ向けて駆け出す。


土曜日の午前六時過ぎのことだった。









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やっべー,止まらない…。
(2005.05.01)

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