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ドアに括り付けた鈴がちりりん,と鳴る。
「アリガトウゴザイマシタ」
痴漢モノばかり四本借りて行った客に向けて義務的にそう云い送り出すと浦原は時計を見た。
時刻は23時ちょうどだった。
そろそろあの子がやってくる。
胸のうちにふわりと楽しみな気持ちが広がるのを感じながら店仕舞いの支度を始めた。
ほとんど道楽のレンタルビデオ屋だ。たまに早仕舞いしたところで誰に責められる筋もない。
毎週顔を見せる常連たちも今日に限って22時を回った頃からちらほらやってきてそれぞれ好みの一本(もしくは数本)を手に背中を丸めて帰っていった。
気にする必要のあることはなにもなかった。
カウンタを回り込み,棚の間を抜けて外に出るとささやかな電飾のついた看板を店の中に入れ,シャッタを半分だけ降ろした。
そしてカウンタに座り見るともなく雑誌を捲っているとしばらくして店の扉が開き,「こんばんは」と窺うような声がかけられた。
雑誌から視線をあげるとモス・グリーンのダッフルコートを着るというよりそれに包まる格好の一護が息を切らせて立っていた。
「オヤ,いらっしゃい」
「遅くなった。ごめん」
寒い中を走ってきたらしく一護の鼻の頭は真っ赤だった。
浦原は目元を和らげると「遅くないですよ。ちょうど店仕舞いしてたところですから」と立ち上がった。
「さっみー!」
一護はカウンタの前までやってくると犬が身体についた雫を振り払うようにぶるぶるっと身体を震わせた。
「走ってきたの」
「歩いてたら鼻水出そうだったから」
「あはははは。じゃあ温かいものでも入れましょっかね。上は暖房ついてるし,ちょっとだけ待ってくださいな」
そういいながらシャッタを下ろし鍵をかける。後はレジスタの電源を落として店の電気を消せば店仕舞いは完了だった。
「はい,お待たせ。じゃあ行きましょっか」
浦原は先に立って店の奥へ入り,そのまま二階へ続く階段へ一護をいざなった。
「二階?」
「そう。テレビ,大きいのがあるから」
ぎしぎしと軋む階段を二人連れ立って昇る。
この家の二階には二間あって,浦原は広いほうの6畳を映画を観るために当てていた。
畳敷きの部屋の入ってすぐのところに大型テレビ。昨今流行の薄型のプラズマでこそなかったがインチ数はかなり大きい。
そして部屋の四隅にはスピーカー。
窓には遮光カーテンを引き,部屋の壁際,丁度テレビの対面に当たる場所には座り心地のよいクッションがいくつも並べられていた。
「なんかいいな。ここ」
「そう?」
部屋に入るなりコートも脱がずに一護が発した真っ直ぐな言葉に浦原の頬が緩む。しかしそれ以上は何も云わずに奥のクッションが並んだ場所を指差すと,そこに座って待ってて,といい置いて階段を降りた。
台所に立ちコーヒーの支度をするべく薬缶をコンロにかけた。
「一護サン」
ふと思い立って階段越しに名を呼ぶと,少しして一護が顔を出した。
「何?」
「飲み物はコーヒーでいい? 紅茶とかココアもあるけど」
「アンタ何飲むの?」
「アタシはコーヒー」
「じゃ,同じがいい。ていうか,降りて見ててもいいか?」
「見る? 何を?」
「アンタがコーヒーいれるところ。すっげいい匂いするから…」
浦原はくすりと笑うと「どうぞ。いらっしゃい」と一護を招いた。
とんとんとん,と軽い足音を立てて降りてきた一護は,流し台に立つ浦原の横にやってくるとその手元をじっと覗き込んだ。
コートは二回で脱いで来たらしく,紺色のパーカに細身のジーンズ姿だった。
制服のときよりも少し幼く見えるその姿を横目で見ながら浦原は薬缶を一護が立つのと逆の方,左手で持ち上げた。
「そんな大したことしてないっスよ?」
「でもいい匂いするし,うまかったし」
一護はサーバに落ちる雫と,湯を注ぐ浦原の手を交互に見つめている。
そのまっすぐな視線にくすぐったさを感じながらも浦原は的確に手を動かしながらコーヒーを落としていく。
「牛乳はたっぷりでしたよね。お砂糖は?」
「砂糖はいらない」
浦原が片方のカップに牛乳を落としスプーンでかき混ぜると,一護がすっと顔を寄せた。
「ん,やっぱりいい匂いだ」
くんくんと鼻を鳴らす動作が無作法に見えないのは素直さ故か。
浦原はそんなことを考えながら一護の頭を見下ろしてあることに気づいた。
「もしかしてお風呂上り?」
「あ,うん」
「髪,乾かしてこなかったの? まだ濡れてる」
色がほんの少し濃く見えた髪はまだしっとりと濡れていた。
外気に触れたせいですっかり冷たくなった髪に指を潜らせながら浦原が云うと,一護は首を竦めた。
「風呂出たのが十時半過ぎてたんだ。乾かしてる時間もったいないし,走れば乾くかな,と思って」
「時間なんて気にしなくてよかったのに。風邪引いたらどうするんスか。今タオルもって来るからちょっと待ってて」
そういい置いて台所を出て洗面所に向かう。
バスタオルを一枚とって戻ると,一護は流しに置いたドリッパやサーバーを洗っているところだった。
そっと後ろから近づいて頭にタオルを被せると「うわ!」と声が上げられた。
「そんなの放っておいていいのに」
「や,気になったから」
浦原は一護の髪をタオルで拭いながら苦笑いを漏らした。
よい育てられ方をしたんだろう。記憶の中から自分の傷口を縫合した男の面影を拾い上げる。
豪快に笑い「女にでも刺されたかこの色男」と軽口を叩きながらも的確に針を動かした男。
あの男が,この子の父親ねぇ。受ける印象は似ているとは云い難いけど。
さふさふとタオルを動かし,あらかた水気を拭い取ると浦原は「はい,これでいいでしょ」とタオルを一護の肩に落とした。
「ありがとう」
「どう致しまして。さて,コーヒー冷めちゃいますし上に行きましょっか。一護サンカップ頼んでいい? アタシは店からテープ取ってくるんで」
「わかった」
一護の立てる微かな足音を聞きながら浦原は店に降り,棚から避けておいたテープを手に取った。
Evita.
自分の書いた文字を見つめて,テープで肩をとん,と叩く。
そしてふと思いついて部屋の隅から昼寝用の毛布を手に取ると二階へ上がるべく階段へ向かった。
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注意:褒めると調子に乗ります。
(2005.04.17)