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火曜日も水曜日も一護は浦原の店へでかけた。
木曜日は父親に用事を言い付けられて行けなかった。
そして金曜日。再び一護は浦原の店に居た。
「一護サン昨日はなにかあったんスか?」
浦原はいつものようにコーヒーを入れながらビデオの並んだ棚を物色している一護に話しかけた。
一護はテープの一本に伸ばしかけていた手をぴたりと止めると「あ,うん」と上ずった声を返す。
ふう,と小さく息を吐く気配。
浦原がカップを二つ手に持ってこちらへやってきた。
「親父の使いで薬届けに行ったんだ」
「へぇ。お手伝い,っすか」
「ひでぇんだぜ。何かっちゃ小遣い盾に取りやがって」
唇を尖らせる一護に,浦原は目元を和らげてコーヒーを啜る。
それを見た一護は僅かに頬を赤らめ,それを誤魔化すようにカップに口をつけた。
「あち」
「大丈夫?」
「ん…。油断した」
いつもと同じ,他愛ないひととき。でもそれはすごく居心地のよい,かけがえのないひとときでもあった。
「ここんとこ毎日来てくれてたから一日でも一護サンの顔見ないとなんだか変な感じで」
「え」
「よっく考えるとアタシ,店に居ても下手すると一日誰とも話さないで終わっちゃうんスよ。いつか日本語喋れなくなるんじゃないかなーて」
頬杖をついてあらぬ方向を見つめて云う浦原に,一護は跳ね上がった心臓に水を浴びせかけられたような心地がした。
がっかりしている自分と,安堵している自分。
どっちも本当でどっちもまるで自分じゃないような。
「…店の客とかとは喋んねーの?」
「たまにいますけどねーお喋りなお客サンも。でもほら,扱うモノが扱うモノっスから逃げるように帰るひとの方が多いっスね」
この間なんて,と浦原が言葉を継ごうとしたとき,それを遮るように音楽が響いた。
合成音にしてはよくできていて,しかし楽器が奏でるにはどこか稚拙な造りのその音は,卓の端に置かれていた浦原の携帯電話からだった。
浦原は瞬間驚いたような顔でそれを見つめ目顔で一護に断ると躊躇せずそれを手に取った。
「ハイ…。ああ,ええ。おヒサシブリで。そうっスか?ん…そんなことないっスよ」
浦原は小さな機械を耳に当てたままもう一度一護に目顔で合図すると部屋を出て行った。
しん,とした部屋の中,壁にかけられた振り子時計が時を刻むかちこちという音だけが響く。
一護は卓の上に頬杖をついて幾分冷めてしまったコーヒーを啜った。
浦原の携帯が鳴ったのは初めてのことではない。
仕事の関係なんだろう,いつも機械音が鳴るたびに浦原は顔を顰めて着信相手を確かめる。
そのまま座布団の下に押しやって無視することもある。
冗談めかして「まったくアタシのいちんちで唯一の楽しみ邪魔するなんてほんと無粋な機械っスよね」などと云うこともあった。
あんな風に柔らかな顔で応対していることなど見たことは一度もなかった。
一護は胸の奥から涌き出た黒いもやもやとした気持ちを吐き出すように深く重いため息を吐いた。
かち,こち,かち,こち。
振り子が時を刻む音が煩わしい。
普段ならば気にも留めない些細な音がささくれ立った神経を逆撫でするようで一護は小さく舌を鳴らす。
帰ろうか。
時刻はまだ16時半を回ったところだったが,大事な電話を邪魔するのも気が引ける,と自分に言い訳するようにひとりごちると腰を上げた。
「スミマセンね。いきなり」
中腰になったところで襖戸が開いて浦原が戻ってきた。
「ありゃ,トイレっスか?」
「あ…うん」
浦原の顔を見た途端「帰る」の一言が喉の奥に落っこちた。
ドウゾー,と軽く身を引いた浦原の前を通り部屋を出る。
勝手知ったるなんとやら,で廊下を玄関と逆に進み風呂場の隣にあるトイレの立て付けの悪い戸を引いた。
トイレから戻ると浦原がコーヒーを淹れ直してるところだった。
「冷めちゃったんで,はい,ドウゾ」
香ばしい匂いの湯気を立てるカップを前に,一護はまたしても「帰る」という一言を飲み込むことになった。
ありがとう,と小さな声で礼をいい,カップに口をつける。
見ないように,と思うのについつい視線が再び卓の端に置かれた携帯電話に向いてしまう。
浦原は一護の落ち着かない視線に気づいたのか「どうかしました?」とやわらかな声で尋ねてきた。
「や,携帯…」
「あぁ,さっきはスミマセンでしたね」
「違,浦原さんいつも音楽とか使ってないから」
「……そういえばそうっスねぇ。ま,自分で設定したんじゃないんスけどね」
「へ,え…」
声が歪む。
こんな話がしたいんじゃなかった。
なのに,どうしても。
「確かに無視できる相手じゃないんで,区別はできて便利なんスけど」
どくん。
心臓が嫌な撥ね方をした。
一護は眉間にきゅっと皺を寄せ,俯いた。
「一護サン?」
心配げな浦原の声音がざらりと耳に障る。
抑えようのない衝動が身体の奥深くから全身を揺さぶるようにして込み上げてくる。
「な,んでもない」
「……顔色よくないっスよ?」
掠れた声で云う一護に浦原が手を伸ばす。
一護はびくりと身を引く。しかし一護が身を引くのよりも浦原の手が伸びるほうが早かった。
ひやり,額につめたい感触。
それが浦原の掌だと気づくのが一瞬遅れた。
続いてそれよりも温かい感触。
見開いた一護の瞳に,浦原の顔が至近距離で映った。
「な…っ!」
「んー,熱はないみたいっスけど」
大丈夫?
度肝を抜かれた一護をよそに,浦原は鼻先の触れそうな至近距離で暢気にそんなことを尋ねた。
「うら,はら,さん!」
「はいな?」
「ち,近っ!近い!」
「あー?」
真っ赤になってしどろもどろな一護に,浦原はにぃ,と口の端を引き上げると「可愛いっスね,ほんとに」と囁くように云い,その真っ赤な額に唇をそっと押し当てた。
「ぎゃあ!」
文字通り座布団から飛び上がった一護に,くすくすとおかしそうに浦原は笑う。
「な,な,なにすっ!」
「あははははは」
「笑いごとじゃなっ!」
酷く動揺する一護に浦原は目の端に涙を浮かべて笑い転げた。
散々笑われているうちに一護の火照りも引いていき,動揺もその前に抱いた後ろ暗い衝動も鎮まっていった。
むっつりと押し黙った一護に,浦原は涙を拭って息を吐くと「あー,ゴメンナサイ」とちっとも悪びれない声で詫びた。
「何考えてんだよ」
「なんにも?」
「だろうな!」
すっかり不貞腐れた一護に,浦原はもう一度手を伸ばして今度はそっと頭を撫でた。
一護が好きな優しい掌の感触。
不機嫌がするりと抜けていく。
「からかったりして,ゴメンナサイ」
「…………」
「あ,そういえば」
くしゃりと髪を梳くように指を絡めた後,浦原は不意に何かを思い出したように云い,四ツ這いで一護の後ろのラックに手を伸ばした。
「あーこれこれ」
浦原が取り出したのは一本のビデオテープだった。
「何,それ」
テープの背のラベルには「RESERVOIR DOGS」の文字。
一護の知らない映画だった。
「さっきの携帯の着信音,これのオープニングで使ってる曲なんスよ」
「へ,え…」
「そのオープニングがえらい格好よくてね」
「どんな映画?」
「……観に来る?」
一護は虚を衝かれたような顔をで浦原を見た。
浦原は酷く楽しげな顔で,卓の上に斜めに立てたテープを指先で支えてくるりと回すと「明日,学校休みっスよね。また一緒に観ません,コレ」と言葉を継いだ。
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オトナってのは卑怯な生き物だと思うのです。
(2005.10.08)
関谷さんに捧ぐ。(小声)