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「こんちはー」
店先から窺うような声がするのを聞き,昼食にと包みを開いたベーグルサンドを食べるべく,コーヒーを沸かしていた浦原は薬缶を片手に店先に顔を出した。
「オヤ,いらっしゃい」
「あの!昨日借りたの,返しに来たんだけど!」
心持ち顔が赤いのは,きっと寒さのせいばかりじゃない。
浦原はくつりと笑うと,「ちょっと手,放せないんでこっち上がってもらえます?」と云い置いて顔を引っ込めた。
一護は持参したレンタル用の袋を手に,恐る恐るカウンタの脇を抜け,生活スペースへと通じる引き戸を開けて潜った。
「イラッシャイマセ。お友達は満足して頂けました?」
「いや,もうそれどころじゃなくて。危うく俺,変態扱いされるところだった」
浦原に促されるまま卓袱台の座布団に腰を降ろした一護はため息を吐きながらことの次第を説明した。
朝,学校にいく鞄に借りた本を偲ばせて登校。
一番最初の休み時間に意気揚々とそれを差しだした一護に,友人一同はどよめきたったんだそうだ。
よもや一護がビデオを借りて来られるとは誰も思っていなかったらしい。
しかし代わりに本,しかも裏の極品を持参するとも誰も思ってはいなかった。
ふふん,と鼻を鳴らして得意がる一護に,言葉をなくした友人たちがひとり,またひとりと縋り付くような目を向ける。
「黒崎,コレ,貸してくんない? 今日」
「だめ。借りもんだし,今日返すって約束したから」
「一護ぉ,いいじゃん。な? 一日だけ」
「だめだっつーの。ほれ,返せよ。罰ゲームはこれで果たしたからな」
「ありえねーよ! こんなんチラ見せされたらそれだけで勃っ……うわあ!」
友人のひとりが言葉を発した瞬間,その背後からにゅっと,女子のひとりが顔を出した。
「なにこそこそしてんの?」
瞬く間に蜘蛛の子を散らしたように三々五々に散らばって,一護は宙に放り出された本を見事にチャッチすると鞄の中,大判び美術の画集の間にそれを隠したとのことだった。
「あははははは。中学生も大変なんスねぇ」
「笑い事…だよなぁ。ひとが聞けば。でもほんと,マジで助かりました。ありがとうございます」
礼儀正しくぺこりと頭を下げた一護に,浦原はやわらかな笑みを浮かべる。
しかしすぐににやりと人の悪い笑みにかたちを変えると「でも,よかったんスか?」と差しだされた本をこれ見よがしに開いた。
「あ?」
「一晩で足りた?」
「……だから,そういうんじゃねーんだって」
「そういうんじゃなくないでしょ。キミだって男の子だ。それ相応の欲求とか,ねぇ?」
「……の,ノーコメント!」
真っ赤になって顔を背ける一護に,とうとう浦原は堪えきれなくなって噴き出した。
ああもうだめ。ほんと可愛い,この子。
「人のことからかって遊んでんだよ」
口を尖らせて不貞腐れた一護に,「ゴメンナサイね。ついつい…。お詫びにこれ,半分食べる?」とベーグルサンドを差しだした。
サーモンとクリームチーズのそれは,近所の店の人気商品だった。
昼過ぎて買いに行くとまず手に入らないのだが,売り娘がじつは浦原のファンで,たまに届けてくれる。
「これって角のパン屋の?」
「そうそう」
「でも,アンタの昼飯だろ?」
「んー,でもアタシそんな食べる方でもないし。コーヒー作るからもしよかったら先に半分どうぞ?」
云い置いて立ち上がると,背後でぐう,と可愛らしい音がした。
食欲をそそられて一護の胃が一足先に「いただきます」を云ったらしい。
浦原はくすりと笑うと,フラスコに似た形のコーヒーメーカにフィルタと粉をセットした。
薬缶を火にかけ,再度沸騰するのを待つ間,食器棚を覗き込み,マグカップを選ぶ。
ほとんどが貰い物だったが,食事をする食器がほとんどないそこには,10を超えるマグカップが並んでいた。
「一護サン,ぶたとゾウ,どっちがいい?」
「ぶたとゾウ?」
「マグカップ」
「どっちでもいいけど…,あの…」
「何?」
「コーヒー苦いの駄目なんだ。牛乳入れてくれる?」
「ハイハイ」
そうこうしているうちに湯が沸き,浦原はこぶたの線画が描かれたマグカップを片手に流し台に戻った。
フィルタの上に細く細く湯を注ぐ。
山なりに盛った粉の天辺にのみ湯を落とし,後はじんわり湯が染み,蒸らしていくままに任せる。
辺りにふわりといい香りが漂った。
丁寧に入れたコーヒーをマグカップに移し,牛乳の紙パックと角砂糖を三つ持って卓袱台に戻った。
卓の上にはきっちり半分にされたベーグルサンド。
マグカップを差しだすと「パン,すごくうまかった。ごちそうさま」と丁寧に礼を云われた。
まっすぐな目をする子どもだとおもった。
子どもということに甘えを抱いていない。
無理に背伸びをしようともしない。
無邪気,というのともまた違う。
清廉? 清潔? 無垢?
ぴったりな言葉は見つからなかったが,好もしい,と思う印象に変動はなかった。
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色艶皆無ですが続くみたいです。(横目逸らし)
(2005.04.15)