011
|
22時45分過ぎ。
一護はバスタオルで頭をがしがしと拭きながらそっと足音を忍ばせて自室へ上がった。
ドライヤーが使いたかったが妹や父親が目を覚ますと拙い。
特に父親は「先に風呂入れよ!」とせっついたりなんだりしてしまい,ちょっと不審がられているフシもあった。
「なんだぁ一護!たまには俺の背中でも流してくれようってのか!?」
「ちげーよ,ばーか」
そっけなく云いながらも着替えを用意してやり「酔ってんだからあんまし長湯すんなよ」と言い置いて浴室に送り出したのが30分ほど前だった。
一護は長湯な方ではない。しかしなんとなく気が急いてしまいそれを無理に鎮めようとして湯船に長く浸かりすぎた。
身体の芯までほかほかになった身体はこのままベッドにどさりと倒れこんでしまいたいほどだったが,そんなことをしている場合ではなかった。
襟足の水気をしっかり拭き取り,ジーンズに脚を突っ込む。
Tシャツを被って,その上にはフード付きのトレーナを着込んだ。
首周りがすうすうするが,マフラを巻きつければ大丈夫なはずだった。
黒いショート丈のダウンジャケットを抱えて,足音を殺して部屋を出る。
ここまでは完璧なはずだった。
しかし闇に沈んだ玄関で物音を立てないように細心の注意を払って靴を履いてると「おい」と低い,しかしどこか面白がっているような声が背中にかかった。
ぎくり。
背中を強張らせたまま振り返ると,そこには壁に寄りかかってこちらを見下ろす一心の姿があった。
「……親父」
「どーこ行くんだ?この不良息子」
「…と,友達ンとこだよ」
「ふぅん?」
にやにやにやにや。
目が家のすぐ傍に立つ街灯の薄明かりを拾い,それで見通せるようになると父親の底意地の悪そうな笑みが浮かび上がった。
「本当だっつの」
「……一護,立ってみろ」
「?」
否と振り切ることもできず,渋々立ち上がると一心はゆっくり歩み寄り,一護を抱きしめるように腕を回した。
「なっにすんだこのクソオヤジ!」
「馬鹿。遊子たちが目ぇ覚ますだろ」
「放せよ!」
「んったくうるせぇなあ。お守り,やったんだよ。そういうのは身嗜みだからなァ」
ま,気ぃつけて行って来い。
云うなり一心はくるりと踵を返し,大あくびを漏らしながら自室へと姿を消した。
玄関先にひとり取り残された一護は,そっとジーンズの尻ポケットに手を伸ばし,その中に押し込まれたものを引っ張り出した。
それは縦横五センチほどのアルミっぽい包みで,真四角の中に輪状のものが立体的に浮かび上がっている。
なんだ?
玄関のドアの横の硝子から漏れる薄明かりにそれを透かしてパッケジの表面に書かれた文字にじっと目を凝らした次の瞬間,一護は脳天からばふん!と湯気を吹き上げる勢いで赤面した。
それは,そこにあったのは「safe sex,enjoy time!!」の文字。
紛うことなきゴム製避妊具だった。
あんの,あんの,クソオヤジ!!!
咄嗟に投げ捨てそうになったがそれを翌朝にでも妹たちが発見する危険性に気づきしばし戸惑った末に再びジーンズのポケットに押し戻す。
はた,と我に返って手首に嵌めたダイバーズウォッチのバックライトを点灯させると「22:57」という表示が見えた。
やばい!
舌打ちをひとつ漏らして玄関のドアをそっと開け,隙間に身体を滑り込ませる。
鍵の回る音を最小限に抑えて,ほっと一息つくと一護は一目散に駆け出した。
約束は23時だった。
浦原の店がその時間に閉まるから。
別に遅れたから叱られたり嫌な顔をされるわけがないことはわかっている。
それでも何か「待たせたくない」という気持ちが強かった。
夕方感じた暗いもやもやとした気持ちは今はもう霧散している。
浦原さんに友達とか恋人とか…そういう存在がいることは当たり前といえば当たり前だ。
自分だけが,なんて思っていたのが変なんだ。
こうして一緒に映画が観られるだけでジュウブンじゃないか。
息を切らせて夜更けの街を駆け抜けながら一護は繰り返しそう言い聞かせていた。
------------------------
オトナってのは子どもを弄って遊ぶ傾向にあると思うのです。
(2005.10.10)