///008///
一護が手に入れたもの。
風変わりな知人が一人。そして極上の座り心地をしたソファで昼寝する権利。
金曜の昼過ぎ,同じ店で待ち合わせをするでもなく共に食事をする習慣は変わらなかった。
ただ,月に一度第八営業日に親会社へ営業報告に向かった後,浦原へと電話をかけ適当な店で昼食を摂り,そのまま事務所へ遊びに行く習慣がプラスされた。
浦原は,自分からは誘わない。
一護が言い出すのをじっと待っている。
今日はどうします?
役立たずの口よりも,その眼差しのほうがよっぽど雄弁だ。
食事の後,揃って店を出て一護の気分でその後が決まる。
「浦原さん」
「ハイ」
「事務所,寄ってってもいいか」
「ハイ」
目元も口元もこれ以上ないほど嬉しそうに綻ばせる浦原を見つめ,なんだかなぁ,という気持ちになる。
別に事務所を訪ねたからと云って何をするわけでもないのだ。
浦原の部屋(支配人室)のソファで一護は十五分ほど昼寝をする。
浦原は黙ってソファをベッドとしてまた自分の膝を枕として一護に提供し,目が覚めるとコーヒーを淹れてくれる。
ただ,それだけだ。
別に,枕は一護がせがんだわけではないのだけれど。
当たり前のように浦原がそこに座るから,使っているだけだった。
眠るべく目を瞑ると,閉じた瞼の上に浦原の視線を感じる。
何を思って見つめているのか,一護にはさっぱりわからないけれど別に不快な視線ではないから放っておく。
一目惚れした,というのが本当ならば,眺めてるだけで楽しいものなのかもしれない。
ならば,寝床代と枕代の代わりだと一護は好きにさせていた。
一護が寝入ると,浦原はそっと一護に触れる。
髪を梳くように指をくぐらせるこの上なく優しい手つきで。
寝入るといっても転寝だから,触れられればすぐに気づく。
しかし視線同様,別に不快なものではないから放っておく。
見つめて,そして触れるだけ。
それだけで満たされるのか。変なヤツ。
恋次が曲者といい,白哉が不遜と言い放つ男。
それなのに,一護の前ではまるで躾の行き届いた犬みたいに大人しい。
何か裏があるのか,と勘繰りたくなるが,傍にいるとどうしようもなく毒気が抜かれてしまう。
信じてもらえますか。
浦原はそう云った。
信じる・信じないで云えば信じている。信じずにはいられない。
そう考えるほうがいろいろなことの辻褄が合う。合いすぎる。
でも,どうして。
その疑問は残っている。
どうして自分なのか。
そして,どうしてこんなままごとみたいな関係で,満足しているのか。
「……コレじゃまるで手ェ出されずに悶々してる処女みてえだな」
事務所に戻る道すがら,咥えた煙草に火を点しながら一護は低く笑った。
恋愛の終着点がセックスだ,とは思わない。
感情を伴わぬとも快楽は快楽だし,たった数CCの体液を吐き出せれば,男は誰でも満足がいく。
もちろん興奮の度合いで快楽の深さは変わるものだし,いい女と寝ればそれだけ充足感も得られる。
浦原と寝てみたいのかと云われれば言葉は否だ。
自分が抱くのは正直想像するのも無理だし,逆に抱かれるのもそれもどうなんだ,という気がする。
この国最大の歓楽街に職場を持ち,一日の大半を過ごす生活をしていれば男同士でヤレることは知っているし,それはそれでいいもんだとも聞き及ぶ。
しかしだからといって興味本位でヤリたいかと云えばそれはNOという答えしか浮かばない。
ただ。
あの浦原がどう化けるのかには興味があった。
一分の隙なく着こなした馬鹿みたいに高い服を剥いで,その素肌に自分がふれたとき,あの男がどんな顔をするのか。
数分前,スーツのポケットの中でアラームをセットした携帯が震え出すのを合図に一護はうっそりと目を開けた。
「目,覚めました?」
尋ねてくる浦原に頷いて,寝ぼけたフリで頭のすぐ傍にあった手をつかんでみた。
触れた手首で鼓動が跳ねる。
髪を梳いてくるときはひんやりとしている指先が,あっという間に火照るように熱くなった。
薄目を開けて浦原を窺うと,顔にかかる淡い色の髪の下,目を一杯に見開いて口を一文字に引き結んで全身を硬直させている。
なんだこりゃ。
一護はそう思った。
腹の底でくつりと笑いの衝動が弾ける。
それを往なすように欠伸を零し,目元を擦りながら身体を起こした。
「こ,コーヒー淹れてきますね」
足早に部屋を出て行く浦原を見送って,一護は堪えていた笑みをそっと逃した。
くつくつと喉を鳴らし,乱れた髪を手櫛で直しながらソファの背にゆったりと凭れた。
脚を組んで,膝の上で手を組む。
目を瞑ると,瞼の裏に大きな飴玉でも飲み込んでしまったかのような浦原の表情が浮かんだ。
あの浦原が。
興味はあるが,戯れに仕掛けるには代償が大きすぎる。
ソファも,枕も,コーヒーも,今はまだ手放したくない。
咥えていた煙草を指先で摘み,道路傍に設置された自動販売機の横に置かれた灰皿で穂先に伸びた灰を落とす。
無意識に,一護は自分の唇に触れていた。
煙草をつまんだ指先で,下の唇を押しつぶすように。
浦原に触れられた感触を思い出す。
うすい唇が触れてきたときの,やわらかさ。
あの唇に思い切り歯を立てたら,浦原はどんな顔をするだろう。
痛みに顔を歪めるのか,それとも。
好奇心猫をも殺す。
Curiosity killed the cat.
呆れたようにため息を吐く自分を感じながらも,一護は性質の悪い想像を止めることができずに居た。
「浦原さん」
春が過ぎて初夏になった。
外を歩くだけで汗ばむ季節。
いつものようにソファに横になる前に上着を脱いだ一護は,シャツの背をソファにゆったりと預けると目を閉じたまま浦原の名を呼んだ。
「ハイ」
「一目惚れ・てどんな感じっすか」
頭の下で浦原の身体が強張るのを感じた。
けれどもすぐに深い呼吸の音がして,ゆっくりと強張りが解けていく。
浦原は言葉を選ぶように口を閉ざしたまま,一護の髪にそっと触れた。
「世界が」
ため息のような声音。
「明るくなります」
低く,それでいて甘やかに掠れる声。
「毎週金曜日が楽しみで,他の日ももしかしたら会えるんじゃないかって街の中を歩くのが楽しみになる」
「…別に,うちの職場来てくれたらいいじゃないすか」
あんた,知ってるでしょ。
半ば呆れた一護の言葉に返ってきたのは「際限なくなっちゃうんで」と困った風な声。
「たまに,ビルの前を通るんですよ。そのときだけは足が止まっちゃう。見上げた先に黒崎サンがいる・て思うとそれだけで,もう」
語尾は不自然な箇所で切れ,そのまま継がれることはなかった。
一護がうすく目を開けると,目を伏せて口の端に淡い笑みを浮かべる浦原が見えた。
止まっていた手が動き出す。
そっと,この上ないやさしい手つきで,ゆっくりと何度も髪を梳く。
触れられる指先から想いが滲みて来る様だった。
なんとも云えない不思議な感覚。
腹の底がくすぐったい。
今すぐ力づくでぐしゃぐしゃにしてしまいたい。
そんな衝動を押し殺すように,一護は口を開いた。
「…よくわかんねえけど」
浦原の手が止まる。
一護は,目を開けた。
節の立った長い指越しに,見下ろす浦原と視線が交差する。
「でも,アンタにこうされるの,嫌いじゃないっすよ」
見開かれた浦原の目が,ぎこちなく閉じられ,そのまま沈み込むようにソファの背に凭れた。
微かに寄せられた眉間の皺。
個性的ではあるが整った顔立ちだと思う。
その気になればどんな女だって落とせるだろうに,よりによってなんで俺なんだか。
そう思いながらも,胸の中がざわつくくらいの「優越感」をどうすることもできない。
一護はこめかみに触れる浦原の手を掴むと,そっと引き寄せた。
伏せられていた浦原の目がうすく開く。
長い睫に縁取られた瞳を見つめたまま,浦原の指先に口付けた。
ぴくり,触れた浦原の指先が震える。
ひんやりと冷たい指先が,熱いくらい火照るのにかかった時間は八秒弱だった。
ぎゅ,と眉間に皺が寄せられ,それでも浦原は動けずにいる。
視線も絡み合ったまま。
一護は人差し指,中指,そして薬指と順番に唇を押し当てた。
掴んだ手首からばかみたいに早い鼓動が伝わってくる。
ふと魔が差して,その箇所にも唇を押し当てる。
「黒崎サン」
痛々しいほど掠れた声で,浦原が一護の名を呼んだ。
「何すか」
手首に,唇を触れさせたまま応える。
「好きです。もう,どうにもならないほど」
ゴメンナサイ。
最後に付け足された言葉の意味だけ,わからなかった。
震えて,今にも泣き出しそうな。
一護は,口を開くと,まるで牙を剥くように手首に歯を立てた。
このまま食いちぎってやれたらいいのに。
そう思いながら目を上げると,眉を寄せた浦原と目が合った。
その瞳を見つめたまま,一護は更に噛み付く歯に力を篭めた。
その後も,何度も浦原は一護に想いを告げた。
まるでグラスに満たした水が表面張力を破って溢れ出すように。
けれども,二度と浦原が謝ることはなかった。
ホストクラブの総支配人とサラ金の金庫番。
あと二回で終わる予定です。今ちょっと別な話書いてるけどちゃんと終わらせる,よ!
2011.04.16