///006///
連れてこられたのは,一護の職場から五分ほどの距離にある瀟洒なビルだった。
営業時間前らしく看板に明かりが点ってもいなければ呼び込みの姿もない。
浦原は店の裏口から一護を中へと案内すると,エレベータに乗り込み最上階に当たる六階の釦を押した。
狭い空間に浦原と二人きり。
気まずさは感じなかったが,隣で浦原がそわそわしてるのが可笑しかった。
突っ込もうかと思ったが,眺めている方が楽しいのでそのままにしておく。
小さなベルの音に続いてドアが開くと,エレベータホールの正面には「支配人室」と書かれたプレートの掲げられた重そうなドアがあった。
「どうぞ」
浦原が扉を開け,中へと通される。
中は,一護が思っていた「ホストクラブの総支配人室」とは違っていた。
ホストクラブというからにはもっとゴテゴテした内装を予想していたが,座り心地のよさそうなソファとシンプルなガラス製のテーブル。
アンティークっぽいコート掛けと,事務所で白哉が使っているのと似たマホガニー材の重厚且つ機能的なデスク。
その向こうに見える椅子も座り心地がよさそうで,金がかけられているのは十分に伝わってくるが嫌味な悪趣味さが感じられない。
一護は内心で「へぇ」と感心しながら視線をソファへと戻した。
一護は家具の中で椅子が一番好きだ。
一人掛けの椅子も然り,ソファも然り。
休日外出したときに時間が空くと用もないのに家具の展示場に赴きあれこれ眺めたり実際に腰を下ろして試したりもする。
座り心地のよさそうな椅子を見るとじっとしてられない。
流石にデスクの向こうのは無理だろうが,こちらのソファも…とつい熱の篭った視線を向けてしまった。
「支度してきますんで,お掛けになって待ってて貰えますか」
浦原の言葉に上の空で頷いて,ドアが閉まる音を聞く。
慎重に腰を下ろし,ゆっくりと背を埋めた。
合格。というよりも思っていた以上だった。
部屋の調度に合わせて選ばれただろうまっ白なソファ。
イタリア製だろうか。表面を覆う上等の革の滑らかな手触り。
そして身体をゆったりと包み込む形。
それでいて沈み込むことなくしっかり身体を支える造りに,一護は感嘆のため息を吐いた。
目を閉じて,全身でソファを堪能する。
自宅のソファも自分の稼ぎからしたら相当の贅沢をして買ったものだったが,悔しいことにこちらの方が格段上だった。
悔しいも何も,数十人のホストを束ねる浦原とサラ金の金庫番の自分じゃ比較にもなったものではない。
身の丈を知ることは大事だ。
分別臭いことを考えながら深いため息を吐くと,ドアがノックされる音が響いた。
一護が目を開けると同時にドアが開き,浦原の姿と共に香ばしいコーヒーの匂いが鼻先を擽った。
やべえ,こんないいソファで美味いコーヒーとか飲んだら俺,ここに住みたくなるわ。
そんなことを考えながら,一護は浦原が差し出すカップをソーサごと受け取った。
「お待たせしました」
「ありがとうございます」
深く凭れていた背を起こし,テーブルに置いたカップからコーヒーを啜る。
いい豆を揃えている,というだけあってそんじょそこらのコーヒースタンドで飲むのとは香りも味も違っていた。
正直に云えば,さっき店で飲んだのよりも数段上だ。
思わず深い息が漏れる。
「コーヒー,お好きなんですか」
尋ねると,こちらをじっと窺っていた浦原が小さく頷き,「えぇ」と微笑んだ。
「仕事中は絶えず飲むものなんで,少しでも美味しいのっていろいろ凝り出したら止まらなくなっちゃって」
「羨ましいです。俺なんか事務所じゃいつもインスタントっすよ」
「インスタントも,最近のは大分マシになりましたよね。ファストフードやファミレスなんかの煮詰まったのに比べたらよっぽど美味しかったり」
「それは云える」
一護が苦笑すると,浦原も嬉しそうに目を綻ばせた。
この顔だ,と一護は見つめる目を僅かに細めた。
知り合ってから一番多く見た浦原の表情。
何が嬉しくて,こんな顔をする?
好意。
それはそうなんだろう。
でも釈然としない。
自分に置き換えて考えてみる。
どんなときに自分ならこんな顔をする?
あぁ,と一護は思った。
そして手にしたカップをソーサに戻すと,ソファの座面に掌でそっと触れた。
「このソファ,すごくいいものですね」
「家具,お好きなんですか?」
「家具っていうか…椅子やソファが割りと好きで」
「ドイツのフィンケルダイ,てメーカのものなんスけど,華美な見た目の割りに造りもしっかりしてるんで気に入ったものなんスよ」
「フィンケルダイ…」
知らないメーカの名前だった。
事務所に戻ったらインターネットで調べてみるか。
そのつもりで名前を頭に叩き込む。
自分で買える気はしなかったが,もし国内取扱店がいける範囲にあるなら,他のものも是非見てみたい。
そう思った。
「店の方にもいくつか置いてあるんで,もしよかったら後で見てみます?」
「え,いいんですか」
「ハイ。まだ店の子たちが来るには時間あるし。それに,自分であれこれ考えて選んだものなんで,黒崎サンに褒めて貰えて嬉しいっス」
後半,突っ込みどころが満載の台詞だったが,一護の耳には上手く届いていなかった。
こんな上等なソファがいくつもある店。
それだけでもう頭の中が真っ白になりそうだった。
しかも見せてくれる,と。
目の前の男の評価が自分の中で急上昇していくのを感じる。
来てよかった。
心からそう思った。
来たときに思っていたあれこれなど,最早どうでもよくなっていた。
極上のソファで味わう上等なコーヒー。
いつも店で顔を合わせるときと変わらず,浦原は決して口数が多くはなかった。
それでも,不思議と居心地の悪さは感じない。
カップが空になり,一護が「ご馳走様でした」とソファの上で身体を起こして礼を云うと浦原はさりげない仕草で一護を店の方へと誘った。
エレベータで降りたのは三階のフロア。
浦原曰く先ほどまで居た支配人室が六階,五階は事務所,四階が倉庫,そして三階より下が店舗として使われているとのことだった。
そう云えば先ほど外から見上げたとき上に行くほどフロア数が減っていく鉛筆型をしていたな,と思い出しながら一護は浦原の説明に頷いた。
ホストクラブに来たこと自体初めてなため,どうしても興味が勝る。
フロアをぐるりと取り囲む回廊から下を覗くと二階を過ぎて一階までが吹き抜けになっていた。
聞けば一階が一般客専用のフロア,二階はVIPルーム,三回が特別貴賓室となっているとのことだった。
「VIPルームと特別貴賓室ってどう違うんですか」
「VIP自体がvery important personの略っスから実際意味的には変わらないんスけど,まぁ内装が幾分上等で通されるお客サンがうちにとって最上ランクの方たち・て違いですかね」
「あー,なるほど」
「頭にスペシャルつけてもよかったんスけど,なんとなく日本語の方が響きがいいかなって,そんないい加減な理由なんですけど」
云いながら浦原はスライド式の扉の前に立つと,左手でゆっくりと扉を開けた。
六枚の扉を全て寄せると,更紗とタフタだろうか。
同じ色調で質感の異なる薄布が幾重にも垂らされている。
浦原が壁際に垂らされた艶やかなロープを引くと,それがしゅるしゅると微かな音を立てて左右に開いた。
「…うわ,すげえ」
思わず低い声が出た。
一護の目の前に広がったのは,まるで中世から続く城の居間かなにかのような調度で埋め尽くされた豪奢な部屋だった。
壁際にはただの飾りには見えない暖炉が設えられ,天井からはシャンデリア,そしてその下に赤を貴重としたベルベッド張りのシェーズロング――寝椅子が置かれていた。
支配人室にあったものとは違い,肘掛が片方にしかなく,身体をゆったりと横たえて使う寝椅子には端々にスワロフスキーのクリスタルビーズがあしらわれ,天井のダウンライトの光を受けてきらきらと光を放っている。
一護が息を呑んでいると,壁際に立つ浦原が「よかったら座ってみてください」と穏やかな声で云った。
一護は遠慮もなにもかなぐり捨ててて,小さく頷くとおっかなびっくり寝椅子へと近づいた。
そして,静かに腰を下ろし,三枚重ねて置かれたクッションに背中を預ける。
おぉ,と小さな声が漏れてしまったのは仕方のないことだと思う。
すると,近づいて来た浦原がくすりと笑って肘掛に凭れるように腰を下ろした。
「いかがっスか」
「いや,なんかもう…」
言葉も出ねえ。
思わず素の口調に戻って呟くように云うと,嬉しそうに浦原が目を細める。
「本当にお好きなんですね」
一護は頷いて,腰を下ろす座面を掌でそっと撫でた。
いくらくらいするものなんだろう。
聞いたところで自分で買える範囲に収まっている気は到底しない。
っていうかこんなのがいくつもある店ってどうなんだよ。どんだけ儲かってんだ。
金庫番として下世話な計算が働きそうになるのを押さえ,一護は浦原を見上げた。
「でも」
一護の言葉に,浦原が小さく首を傾げる。
「でも?」
「いや,すっげえいい椅子なのはわかるんすけど,これ接客しにくくねぇかなって」
寝椅子,というからには身体を横たえて使うものだ。
しかし客がそんな風に腰を下ろしたら,ホストはどんな位置で接客をするのだろう。
頭の中であれこれ思い描いてみても,どうもぱっとしない。
何か別の椅子を持ってくるのか,いや,その前にホストの接客方法なんて自分が知る由もなかったが。
「もしよかったら,靴を脱いで寛いでみてください」
「え,いやでも」
肘掛に凭れたまま見下ろしてくる浦原と目が合った。
穏やかに,やわらかに目元を綻ばせて微笑む瞳と見詰め合うことしばし。
好奇心,猫をも殺すという言葉がほんの一瞬脳裏を過ぎったが,結局のところ一護は興味に負けた。
おずおずと靴を脱いで,片側に寄せられたソファに背中を預け長々と足を伸ばす。
同時に浦原は肘掛から立ち上がり,前へとやってきた。
「まぁ…接客するホストによってまちまちだと思いますけど」
そう云いながら膝を折るようにして跪き,一護の目の高さをあわせる。
「こんな風にとか――後は」
云いながら「失礼」と囁くように云って,一護が身体を預けるクッションをひとつ除け,空いたスペースに身体を滑り込ませた。
と,どうなるか。
腰を下ろした浦原の膝の上に,一護の頭が載るという,所謂膝枕の態勢になる。
いくらなんでもこれは――,と一護は慌てて身体を起こそうとしたが,「こんな感じっスかね」と云いながら伸びてきた浦原の手にそっと肩を押さえられ動けなくなった。
「…はぁ,なるほど」
何が悲しくて,否,自分で望んだことではあるけれども。
そっと肩を抑えられているせいで身体が起こせないのをいいことに,一護は力を抜いて全身を寝椅子に委ねた。
それにしたっていい椅子だ。
濃やかにメンテナンスされているのか,座面がへたっている様子もないし,変な匂いもついていない。
数多の女が出入りする場所なわけだから,香水の匂いのひとつやふたつ染み付いていてもおかしくなさそうなものだけれど,今感じるのは焚き染められた香のような甘い匂いと,間近から感じる浦原の香水の匂いだけだった。
ホストクラブの総支配人とサラ金の金庫番。
フィンケルダイのソファはマジすげえっす。一度でいいから座ってみたい…。
2011.04.05