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月が変わって第八営業日目。
一護は上司である社長と共に「組」事務所のドアを潜った。
朽木コンサルティング,と名称こそ一般企業を装っていたが,出迎えたのが真っ赤な髪を高々と括り,まるで歌舞伎の隈取のような――本人にも一度そう云ったことがあるが嫌そうな顔をされるより「お前の言い方古臭ぇ」と馬鹿にされた――刺青を施した若頭では擬態もへったくれもないと思う。
低姿勢な社長をよそに,一護はその肩越しに舌を出す。
と,若頭――阿散井恋次は鼻の頭に皺を寄せ,同じく社長の肩越しに「あとで覚えてろ」と口だけを動かしてきた。

社内の誰にも告げたことはなかったが,恋次とは所謂幼馴染の間柄だった。
ついでに云えば「組」のトップである朽木白哉の妹も同様に。妹を介してその兄たる白哉とも交流があった。

今隣にいる社長は,気は小さいが狡すっからいというのが周りの見方で,つまり一護は「組」から内密に派遣されているお目付け役のようなものだった。
といっても別段何をするわけでもない。

入社早々愛人との飲食代の領収書を持ってきた社長にそれを突っ返し,「それで下の者に示しがつくとでも?」と凄んだ。
「接待交際費」の枠は確かに存在するが,貸金業を営む会社が金を仮に来る客を接待してどうする。
自ずと相手は限られてきて,同業他社か融通手形を持ってくる企業の役付連中…といっても彼らは街金,闇金などと呼ばれる輩と親しくしていることを周囲に知られるわけにはいかないから,つまりは「接待」する先がないのだ。
それなのに,一護が金庫番を継ぐ前の使用額は月に200万ほど。
売上に比すれば多いとは云いがたいが,それでも社長ひとりに営業部長が三人。内訳を見れば九割が社長一人の使用分では明らかに多すぎた。

一護の指摘に,社長は露骨に不興を顔に浮かべた。
「ハタチそこそこのケツの青いガキが何を」と目が口以上にモノを云う。
続いて「今までずっとそれでやってきたんだ」と酒と煙草で焼けたしゃがれ声で唸るように云い,前任者と同じようにできないなら,と迫ってきた社長を,一護は傍らに置いていた無数に付箋を打った分厚いファイルを放り出すことで黙らせた。

「前任者の処理の履歴,付箋打ったページだけでいいんで確認してみるといいっスよ」

大理石のイミテーションで作られた応接用のテーブルに投げ出された分厚いファイルと一護の顔とを交互に見た社長は,苦虫を噛み潰したような顔でファイルを膝の上に載せた。
そして気のない仕草で付箋の打たれた箇所を眺める。

「これがなんだ」
「気づきませんか」
「だから,なんだ」
「摘要欄に記された客先と同行者の面子,それからゴルフ代も四名と八名で金額が一緒とか矛盾しまくりですよ。今まで上から何も云われなかったのは多分業績に応じての目零しかなんかだったんでしょうね。けど,ここ二ヶ月で売上は二割方落ちてます。正直俺,この不況の中やっと見つけた就職先をたった数ヶ月で無くすの嫌なんですけど」

一護の視線の先で社長の顔色が変わった。
業績が落ちてきているのは事実だった。回収率の低下というよりも,この街に同じような会社が多すぎるのだ。
最近は携帯一本で金を用意する個人の金貸しなども台頭してきた。
そういう輩はみかじめ料を支払う代わりに追い込みに直接組の人間を使う。
追い込み後に金を生みそうな客筋を選ぶことで組と自分双方に落ちる利をコントロールしているらしい。
目障りに思った会社が潰しにかかろうとしても,組の人間と個人的な繋がりを持って居るためなぁなぁで収められてしまいその結果が二割の売上下落だった。

そんな中,社長が愛人を囲っていることは社員で知らない人間はいない。
町内で五本の指に入るキャバクラの,ナンバースリー。
なんでこんな冴えないオッサンが,と思わなくもないが,これでオンナにはかなりマメなんだそうだ。
営業部長のひとりと飲んだときに教えてもらった。
マメなのは結構だがその店のケツモチは会社の上部組織と同じ系列ではあったが別の組だった。
社長個人の金が流れる分には問題ないが,会社の金が流れるとなるとやはりいい顔はされない。
その辺の事情がわからないほど,駄目な男ではなかったらしい。
口をへの字に結んで黙り込んだ社長に,一護は身を乗り出すと低く囁いた。
月200万の九割である180万には及ばないが,50万程度なら現金として社長の懐に入れるやり方はある。
しかも,今よりずっと安全なやり方で。

社長の眉間に寄せられていた皺が一瞬で消えた。
威厳を保つフリを装うことすら放り出し飛びついてきた社長に,呆れ半分,ちょろいもんだと気の毒に思う気持ちが半分で,以後,すべての裁量を任されることになった。

「組」からの内々の話ではいっそのこと首を挿げ替えるか,という話もあったのだが,とりあえず三ヶ月は様子をみさせてくれ,と一護から申し出ていた。
三ヶ月の間観察した結果は可もなく不可もなく。
締め上げるよりもほどほどの飴を与えて飼い殺す方が得策,と一護は結論づけた。
そして今回社長に提示した案を進言し,朽木からのゴーサインも得た。

無駄な経費を大幅に削減した褒美は,若頭たる恋次のポケットマネーで支払われた。
一護の入社祝いを兼ねた褒美は,新潟産コシヒカリが三十キロ。そしてこれは社長からだ,と上等のウィスキが一本と一センチほどの厚みの封筒。
ウィスキは一週間でなくなったが,米は約半年にわたって一護の食生活を潤してくれた。
もう,三年も前の話だ。

社長が前月の収支の説明をする間,一護は欠伸を噛み殺しながら古い記憶を辿っていた。
まるで能面でも被ったような表情のない白哉の顔を眺め,そういえばこのところルキアに連絡とってなかったな,と思い出す。
といっても一護から連絡をすることは極稀だったから,向こうが忙しくしてるのだろう。
後で恋次にでも聞いてみるか。
半時間ほどで報告を終え,白哉が社長を伴って部屋を出て行く。
今までずっと朽木が座るソファの背後に控えていた恋次が「お疲れさん」と声をかけてくるのに「相変わらずコーヒーが不味い」と不平を零すと「うちの社長は紅茶党だからな」と苦笑の滲んだ声が降って来た。

吸うか?と差し出された煙草のパッケジから一本抜いて口に咥える。
同じように煙草を咥えた恋次が火の点したライタを寄せてくるのに目顔で礼を云い,ゆっくりと吸い付けながら火を移した。
しばし無言で煙草を燻らす。

「最近どうだよ」

先に口を開いたのは恋次の方だった。
建前上は詳細な報告を,ということで残された金庫番と若頭だったが,上役二人が去ってしまえばただの幼馴染の雑談しかすることはなかった。
もともと社の詳細な営業報告は一護が自宅から白哉宛に送っている。
今更報告することなど何もなかった。

「別に」
「売上も横這いだしな」
「頑張ってる方じゃね?」
「お前んとこは営業の連中が優秀だから」

恋次の言葉に一護は頷いた。
はっきり云って今の会社があるのは社長の手腕ではなくその下に飼われている三人の営業部長の手腕だった。
しかし言い換えても見ればその三人に見限られることなく手の内に買い続けていられることこそがあの社長の唯一にして絶対的な取柄とも云える。

「あ,そういえば」

吸い付けていた煙草を口から離して一護が云うと「なんだ?」と云う風に刺青だらけの顔の中,恋次が片方の眉を跳ね上げた。

「紅姫・とかってホストクラブ知ってるか」

途端,恋次の顔が嫌そうに歪む。
それを見て一護は首を傾げた。

「何,ヤバイのかそこ」
「…別にヤバくはねぇけど」
「ねぇけど何だよ。っつーかケツモチしてんの?」
「あぁ,うちが担当してる。揉め事も起こさねえし,ホスト連中の躾も行き届いてる。金払いもいい」
「じゃあなんでそんなツラなんだよ」
「あそこの総支配人が曲者なんだよ」

ため息混じりに云う恋次を眺めて,一護はますます首を傾げた。
脳裏に浮かぶのは,隣の席に座ってパスタを頬張る浦原の姿。
いつも微笑んでいて,痛々しいくらいこちらに気を使ってくる,あの浦原が,曲者?

「何かあったのか」

恋次が問うてくるのに「一月くらい前に店に来た」と応えると,途端にその目がきらりと光った。
その顔を見て一護は顔を歪める。
これだからヤクザってヤツは,と呆れた思いで「違ぇよ。金を借りに来たわけじゃねえ」と云い,事の次第を簡単に説明した。

「胡散臭ぇ」
「胡散臭ぇって,その娘と息子に金を渡したって方は確かめようがねえけど,うちに来社したときの話は俺が聞いたから確かだっての」
「あの男が慈善?ありえねぇだろ」
「俺が知るか。――あーでも面倒臭ぇのは嫌いだって云ってたぞ」
「それならわかっけど。でもなぁ…」

釈然としない面持ちの恋次を眺め,一護はもう一本煙草を強請る。
自分の煙草は昨日から切らしていた。最近は自動販売機で買うにも変なカードが必要だったり,不便極まりない。
差し出されたパッケジから引き抜き,口に咥えながら恋次の目から見た浦原と自分の目から見た浦原にどれだけの差があるか興味が湧いてくるのを感じた。

その後,恋次の上司たる白哉にも浦原について探りを入れたが,返って来た答えは似たようなものだった。
浦原の店の経営状況は至ってよく,町内の番付にこそ載らないが,地方からやってきた一見の観光客でも安心して遊べる店として雑誌などにも載ったことがあるらしい。
金払いも悪くはなく,ただ,その総支配人たる浦原の人となりとなると,白哉は一護の職場の社長相手だと微塵も揺るがない白皙の面をこれ以上ないほど嫌そうに歪めてこう云った。
「不遜な男」と。

不遜な男,ねぇ。
労いを兼ねて昼食奢る,という白哉と,その背後で緊張と興奮に鼻息の荒くなっている社長に断って一護はひとり組の事務所を後にした。
よくあることなので二人ともしつこく引き止めることはなかった。
理由は簡単。金曜日だったからだ。

時刻は十三時過ぎ。
事務所からいつものレストランまでは徒歩でも十分かからない。
今日も浦原は来るだろうか。
週に一度共に昼食を摂るようになって一ヶ月。一護は初めて浦原に会うのを愉しみに感じていた。












ホストクラブの総支配人とサラ金の金庫番。
他人の目と自分の目。
信じられるのは――。

2011.03.27

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