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///009///



「イラッシャイ。お疲れさま」
「ん。なんか手伝うことある?」
「店の方は特に。もう片付けも大体済んでるし,そろそろ閉めちゃおうかなって」
「そっか」
「戸締りしてから上がるんで,これ持って上に上がっててもらっていい?」

売れ残りのケーキが載った皿を差し出す。
黒崎はそれを左手で受け取って「お,チェリータルトだ」と目を輝かせた。

「じゃ,ついでに洗濯取り込んでおくな」
「助かります」

ドアの向こうに消える背中を見送って,火の元の点検と店の戸締りに取り掛かる。
ドアに下がるプレートを「open」から「closed」に裏返し,ドアに施錠すると店仕舞完了だった。

店の脇を抜け庭に面した階段を昇って二階に上がる。
ほんの時間差でも明かりの点った部屋に戻るこの瞬間が浦原は好きだった。

「お帰り」

寝室から顔を出した黒崎に足早に近づき,勢いのまま抱きしめる。

「何かあったのか」
「何もないっスよ。ただ,一護サンみたらこうしたくなっただけっス」

しばらく窺うような沈黙があったが,やがてだらりと降ろされていた腕が浦原の背へと回された。
自分が抱きしめるのと同じだけの強さで抱きしめられる。
一日の疲れがするすると解けて,浦原はそっと黒崎に凭れかかった。

「お疲れさん」

耳元で囁かれる声。
笑みを孕んだ吐息を零し,「一護サンも」と返すと布越しに触れ合う黒崎の腹が「ぐぅ」とくぐもった音を立てた。

「お腹空いてる?」
「昼,食いはぐったんだ。朝から高台で三件物件案内入ってて,気付いたらもう夕方で」
「寄ってくれたらよかったのに」
「六時過ぎだったから,どうせなら晩飯まで我慢しちまえって」
「じゃ,腕によりをかけて作りましょ」
「何食わしてくれんの」
「できてからのお楽しみ」

最後にぎゅ,と抱きしめて首筋にキスをひとつ。
腕を解く代わりに手を繋いで寝室を後にした。
二人並ぶとキッチンは少し手狭だ。
でも,手伝ってくれるという気持ちが嬉しくて,浦原は小さなお願いごとをいくつかする。

ランチの仕込みのついでに三枚に卸しておいた鯵に青じそと叩いた梅を載せてくるくると巻き込む。
衣をつけて揚げる間に黒崎には大根を下ろしてもらうように頼んだ。
水気を切った大根おろしにはじゃこをたっぷり載せた。
しし唐と長葱を五センチほどに切ったのをごま油で焼いて焦げ目を付いたら甘酢に漬ける。
きゃべつと人参の浅漬けを器に盛り,味噌汁は里芋と三つ葉にした。

調った食卓を前に,黒崎が歓声を上げる。

「たいしたものじゃないっスけど」
「何云ってんだよ。やべえ,マジ腹減った。いただきます!」

箸を持った両手をはし,と合わせ,炊き立ての白米をよそった茶碗を手に取る黒崎に目を細める。
店にやってきた客から貰う褒め言葉とはまた違ったうれしさが胸に込み上げる。
同時に愛しい,という気持ちが窒息しそうなほど膨れ上がって食欲など消し飛んでしまいそうになる。

「鯵美味ぇ。梅!紫蘇!」
「店ではアジフライで出したんスけど,こういう食べ方もいいかなって」
「最高。マジ美味い。五臓六腑に染み渡るわ」
「一護サン,褒めすぎ」
「お世辞じゃねえし。葱も美味いのな。焼いてあるからほんのり甘くて,酢とすげえ合う」
「よかった」

半時間ほどで食事を終え,二人並んで片づけを済ませても時刻はまだ二十一時を回ったところだった。
食後の腹ごなしに,と海辺へ向かうことにした。

まだ花火の時期には早いせいか,海辺に人の姿はない。
海岸沿いの通りに間遠に立つ街灯の明かりがあるきりで,目が慣れるまでは足許も危うい暗さだった。
寄せては返す波の音を聞きながら,手を繋いで歩く。
会話はあまりない。
それでも気詰まりは感じず,繋いだ掌から伝わる温もりに心までふうわりと包み込まれるような心地がする。

時折足を止めて口付けを交わす。
浦原からすることもあれば,黒崎からされることもある。
鼻先と鼻先,睫毛と睫毛が触れ合うほどの距離で見つめ合い,笑い合う。
浦原は右手に広がる海にざまあみろ,と思う。

朝になればまた黒崎はウェットスーツに身を包み,サーフボードを抱えて海へと駆けていってしまう。
でも今は。
今だけは。
丁寧に淹れた紅茶のような色をした澄んだ瞳に映るのは,空でも海でもなく,自分だけだ。

唇を触れ合わせたまま名を呼び,アイシテル,と囁く。
返された同じ言葉は,波の音に掻き消されることなく触れ合った唇から直截浦原に伝わった。












海辺の街で小さな喫茶店を営む浦原さんと,サーファーの一護。
最終回。お付き合いありがとうございました。(●´艸`●)
2012.07.03

photo by FotoGraffi
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