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///006///



追憶を振り切るように湯から上がり,下着とジーンズを身につけた格好で店に降りた。
汗が引くのを待ってTシャツを着込み白いコーデュロイのシャツを着込む。
まだ開店時間ではないのでエプロンはつけず,濡れた髪を手首にひっかけてあったゴムでざっと括ると窓を開けてキッチンに立った。
流し台の上の吊り戸棚の下に捩じ込み式のフックがあり,そこにぶら下げたラジオのスイッチを入れる。
ガーゼを取り出し,三十センチ四方のを二枚用意する。
そこに500gのプレーンヨーグルトを開け,塩をほんお一つまみ散らし包み込むようにした口をタコ糸で縛ってしまう。
そうして作った包みを二つ,ボウルに吊るすようにしてラップをかけ,冷蔵庫に戻す。
三時間もすれば水気が抜けるので,あとはしばらく放置だ。

続いてモーニングの支度に取り掛かる。
昨日常連のお客の親戚の家が営む農園で収穫された国産のオレンジをたくさんわけてもらったので,それを使うことに決めた。
流し台に一番大きなボウルを置き,オレンジをひとつふたつと放り込む。
無農薬栽培のオレンジだと聞いているので,流水でざっと洗うだけで調理に取り掛かった。
皮は捨てずに砂糖漬けにしよう。
そんなことを考えながらひとつひとつ丁寧に皮を剥いていく。
薄皮まできれいに剥いて,果実だけにする。
まな板をざっと流して人参を取り出す。オレンジの分量と見ながら千切りにしていく。
なるべく細くを心掛ける。スライサーを使ってしまえば楽なのだろうけど,こうやって細かい作業は頭に残る眠気の残滓を溶かしていく気がして嫌いではない。

剥いたオレンジのボウルに千切りにした人参を入れ,混ぜ合わせる。
小さなボウルに目分量でオリーブオイル3に対しりんご酢を1,それに塩こしょうを加えたドレッシングを作る。
掻き混ぜるのに使ったビーダーから手の甲に少し取り,味見をして微調整。
オレンジと人参にドレッシングを回しかけ,オレンジを潰さないように混ぜて味を馴染ませる。
一人分だけを小さなココット型に移し,ボウルの中にはふやかしておいたレーズンを混ぜてきれいなオレンジ色のサラダの出来上がりだ。

気付けば時刻は六時を回っていた。
サラダのボウルを冷蔵庫に入れ,流し台をざっと片付けてから外に出た。
うすい青色の空を刷毛で刷いたような雲が流れていく。
頬を撫でる風が心地良い。
店の前に二席設けられたテラス席に日よけのパラソルを差し,鉄製のテーブルと椅子をざっと拭く。
そのまま店の裏手にある小さな庭へハーブを摘みに出た。
サラダの彩りに,と迷った末にイタリアンパセリを少し摘んだ。
元は二台分の駐車スペースに洗濯干し場だった庭を改造して小さな菜園を拵えた。
ガーデニングの得意な常連に教えてもらって育てやすいハーブを幾種類かを育てている。
今はペパーミントとスイートバジル,イタリアンパセリとタイムが植えられていた。

左手に摘んだイタリアンパセリを持ったまま目に付いた雑草を間引いていると店の表で自転車のブレーキ音が聞こえた。
浦原が立ち上がって出ていくと,サーフボードを脇に載せた自転車と黒いウェットスーツ姿の人影が二人分。

「イラッシャイ。黒崎サン,白崎サン」

笑いながら浦原が声をかけると二人が顔を上げて浦原を見た。
浦原の恋人である黒崎と,一緒に暮らす親戚の白崎だった。

「浦原さん,裏に居たのか」
「ええ。サラダに使うハーブをね。朝ごはん食べて行くでしょ?」
「ん,貰う」

含羞むように微笑む黒崎に,思わず目を細めた。
何,という風に首を傾げる恋人に,笑って首を振ると,その傍らから「けっ」と吐き捨てるような声がした。

「人の前でいちゃついてんじゃねえ。蹴るぞ」
「なっ」

顔を赤らめる黒崎に,「そんな可愛い顔見せンな。あのオッサンに襲われたらどうする」と真顔で心配を口にする白崎。
襲うわけないでしょ,と苦笑する浦原は無視して白崎は立てた親指を浦原が出てきたばかりの庭の方へと向けた。

「浦原ァ,裏の水場借りるぞ」
「ドウゾ。五分くらいで準備できるんで,運ぶのは外のデーブルでいいっスか?」
「おう」

サーフボードを抱えて奥へと向かう二人と入れ違いに浦原は店へと戻り,パンを三センチほどの厚さに切ってトースタへと放り込んだ。
その間にホイップバターとジャムを小さなガラス皿に準備する。
ジャムは名残りの苺を煮込んで作った自家製だった。

昨日のうちに仕込んでおいたベーコンと蕪とセロリのコンソメスープを火に掛け,温まる頃トースタのベルが鳴った。
白いオーバル型の皿に半分に切ったトーストとオレンジの鮮やかなサラダを盛り付けたココット型を載せる。
ジャムとバターの皿とスープをよそったコーヒーカップを銀色の盆に載せ外へと運ぶと上半身だけウェットスーツを脱ぎ,肩にバスタオルを引っ掛けた二人が戻ってきた。

「今日のサラダ,何?」
「オレンジと人参のサラダっス。白崎サンはレーズンだめでしたよね」
「あんなひからびたもん,食えるか」
「って云うと思って抜いておきました」

椅子を引いて腰を下ろす二人の前にトーストとサラダの載った皿と,ジャムとバターのガラス皿,それからスープのカップを置く。
紙ナフキンのスタンドを置き,差し出された手にそれぞれフォークとスプンを渡した。

「食べ終わったら声かけてくださいねン。コーヒーの準備しておくんで」
「ん。サンキュ」
「おう」

今日の波の具合を話しながらパンにバターを塗る二人を横目に店に戻ると時刻は七時まであと二十分に迫っていた。
手早く開店準備を整え,二人分のコーヒーを準備する。
湯の湧く音を聞いて火を止め,二人分の豆をミルへ放り込む。
豆が中挽きに仕上がる間にカップとドリッパに湯を注ぎ温めておく。

地元の焙煎屋から届くブレンドは苦味と酸味のバランスがよく,後味がすっきりしている。
フィルタをセットしたドリッパに粉を落とし,こんもりと盛り上がった粉の天辺になるべくポットの先を近づけて細く湯を注ぐ。
ふわり,粉が浮かび上がり,そしてゆっくりと沈んでいくのと同時にふわり,香ばしい匂いが鼻をくすぐる。
と,店のドアが開き黒崎が顔を覗かせた。

「浦原さん,ごちそうさま。サラダ美味かった」
「よかった。コーヒーももう入るんで」
「サンキュ」

二人分の皿を手に黒崎がやってくる。
ぺたぺたというビーチサンダルの足音に思わず頬が緩んだ。
膨れ上がった粉が沈んでいくのを待って二度目の注湯に入る。
今度は粉の中央から渦巻状に外側へ,そしてまた内側へ。
ドリッパから湯が落ちきらないうちに三度目。
四回できっちり二人分のコーヒーを淹れ,顔を上げるとカウンタに寄りかかって黒崎が見ていた。

「何?」
「見てた。俺,浦原さんがコーヒー淹れるの見てるの好きだ」
「アタシは一護サンが好き」

囁くように云って見つめると,どうやら不意打ちだったらしく頬が赤く染まった。
込み上げる愛しさのまま身を寄せてカウンタ越しに口付けると,驚いた風に見開かれた目が細められ,二度目を返してくれた。

「明日はお休み?」
「ん。今んとこ予定通り。店が終わるくらいには来れると思う」
「お待ちしてますねン。あ,そしたらボード置いてっちゃったら?」
「そうさせて貰えると助かる」
「いいっスよ。適当な場所に置いておいて」

ドリッパからカップにコーヒーを移し,冷蔵庫から取り出したキャラメルの包み二粒と一緒に盆に載せる。
黒崎を促して外に向かうと,椅子にふんぞり返るようにして座る白崎が仰向くようにしてこちらを見た。

「遅ぇ」
「スミマセン」
「中でいちゃついてたんだろ」
「ンなことしてねえっつーの」
「嘘つき。キスしてんの見えたぞ」

口の端に煙草を咥えたまま意地悪そうな笑みを浮かべる白崎に,黒崎がかっと顔を赤らめて噛み付く。
浦原は見えるわけないでしょ,と思ったが黙っておいた。

「見たのかよ!」
「したのかよ!」

相変わらずのやりとりに思わず笑みを零しながらコーヒーのカップとキャラメルをテーブルに置いた。

「チョコ?」
「生キャラメルっス。あったまると溶けちゃうんでつめたいうちにどうぞ」

浦原の言葉を聞くなり二人の手が同時に包みに伸びる。
コーヒーは甘いものと一緒に飲むのが一番美味い。
だから朝の忙しいときでも小さな菓子を添えていた。
口溶けのよい生キャラメルは白崎の口にもあったのか「美味いじゃん」という風に目元で笑ってコーヒーのカップへと手が伸びた。

バスタオルの下から覗く白崎の腕。
紋様…トライバル,というのだったか。ほぼ隙間なく刻まれたタトゥは,出会ったばかりの頃は面食らったが今ではすっかり見慣れたものとなった。
黒崎の親戚であり同居人でもある白崎の本業は彫り師なのだった。
それ以外にも頼まれてはレストランやバーの壁に絵を描いたりしているらしい。

「あれ,白崎さん新作?」
「あ?」
「肩のところの。模様が前と変わってるような?」
「あー,少しいじった。よく気付いたな」

白崎の身体に彫り込まれているタトゥは概ねその時々の恋人の手によるものらしい。
と云っても特定の恋人以外にも夜を共にする相手は何人かいるらしく,一緒に暮らす黒崎ですら紹介されたりなどはないらしい。

「俺のことは過保護にするくせに自分は干渉されんの嫌がるんだよアイツ」苦笑する黒崎と「一護に嫌われたくねえもん」と拗ねたようにそっぽを向く白崎。
齢は確か白崎の方がひとつかふたつ上なはずだが,この二人はまるで双子の兄弟のように仲がいい。
黒崎とつきあうようになったばかりの頃は「俺の一護になにしやがった」とまるで親の敵のように絡まれたものだけれど,今では黒崎抜きでぶらりと店にやってくるようになっていた。

時刻は七時五分前。
出勤準備がある黒崎と,昼迄眠るという白崎が連れ立って帰っていくと浦原はドアにぶら下がったプレートを「Closed」から「Open」へと裏返した。
同時に「もう入れる?」と入口のところで声が。
「オハヨウゴザイマス。大丈夫ですよン。どうぞ」と云うと笑顔になってこちらへやってくる常連客の姿。
今日も一日が始まる。
晴れ渡る空を仰いで浦原は口の端を引き上げた。












海辺の街で小さな喫茶店を営む浦原さんと,サーファーの一護。
そのろく。
2012.06.29

photo by FotoGraffi
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