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「黒崎サン…,不動産屋サンだったんスね」
「こんな格好だからそう見えないかもしれないけど,いちおう営業やらせてもらってます」
「海に居たってことは,もしかして今日お休みだったんじゃ?」
「あー,そうなんだけど,店近いし。家も近いんでどうせだし」
「わざわざスミマセン」
「いや,浦原さんに謝ってもらうことじゃないんで。俺が勝手にしたことだし」
「物件の紙,見せてもらっても?」
「どうぞ」
クリアファイルに挟み込まれていたのは十枚ほどの書類だった。
その中から飲食店不可,というものを弾いて順に見ていく。
「小さな喫茶店を開きたいと思って」
「場所の希望はある?」
「できれば,海の近くが。――でも,こんな素敵なお店があるんじゃ難しいっスかね」
「違う客層選べばイケるんじゃないかな。夏場はここ,県外から来るサーファーで埋め尽くされちまうから地元の人間は近寄らないし」
「そうなんだ」
「駐車場広いだろ?水場も用意してあるし便利らしい。なんか雑誌にも載ったとか云ってた」
地元の話をあれこれ聞きながら,一枚一枚物件情報を読み込んでいく。
居抜きの物件もいくつかあったが,スナックとバーで浦原が求めるものとは違っていた。
いちばんよさげな海に程近い物件は残念ながら飲食店不可の指定がついていた。
浦原が残念そうに書類をテーブルに置くと「条件に合うのはない?」と黒崎が尋ねてきた。
「この物件が条件的には一番いいんスけど…」
「ああ,そこ。飲食店不可だからな。――浦原さんさ,どんな店が開きたいって云ったっけ」
「喫茶店です。一人でやるつもりなんで,店はあんまり大きくない方がよくて」
「喫茶店…今流行のカフェじゃなくて?」
「流行のカフェ…壁がコンクリ打ちっぱなしで,天井は配管むき出しで,デザインは洒落ているのかもしれないけど座り心地がちっともよくない椅子の並んでいるような?そういうのは他のひとにお任せしたいかな」
「あはは。繁華街とか若いのがたくさん集まるような街ならいいんだろうけど,確かにここにはそういうの合わないよな」
「アタシがやりたいのは――」
浦原は漠然とだが抱いていた理想を語った。
磨きこまれたカウンタがあって,テーブルがあって,床は板張りで。椅子も店の空気に馴染む地味な布張りか革張り。理想で云えばびろうどの布を張ったのがよいのだけれど,メンテナンスの面で少し難しいだろうか。椅子を張り替えてくれるお店が近くにあればいいんだけど。
一番大切なのは派手さやお洒落さよりも落ち着く空気。前を通りかかった人が気負いなくふらりと立ち寄れるような,そんな店。
語るうちに熱が入ってしまい,そのことを自覚して浦原は頬を赤らめた。
不動産屋で営業をしているというだけあって,黒崎は素晴らしく聞き上手だった。
「…とまあ,そんなお店が開けたらなって。居抜きの物件なんて都合のいいことは云いません。そんなのずるいし」
「ずるい?」
「自分が作り出したい空気まるごと備えたお店ってことは,他の誰かが長い時間をかけて作り上げたお店と,そのお店が持つ空気を横から掻っ攫うようなものでしょ」
「なるほど。そういう考え方もあるのか」
笑みを孕んだ声で云って浦原の言葉に頷き,黒崎はすっかり冷めてしまったコーヒーを一口飲んだ。
「浦原さん,あのさ」
「ハイ」
「ここ出てちょっと歩ける?時間まだ平気?」
「時間は特に」
「じゃあ,ちょっと付き合って貰えるかな」
店を出て,店の前に繋いであった自転車を押す黒崎と海沿いの道を歩いた。
だらだらと続く直線を歩くときも,緩やかなカーブを超えるときも,すれ違う車はほとんどなかった。
唯一「町内巡回バス」と表示を出した小型のバスが逆側の車線を走り去ったきり。
「浦原さんはこの辺の人じゃないよな」
「ええ。お店の物件探しでこのところ休みの日はあちこちにでかけてて。ここに来るのには二時間半かかりました」
「二時間半!一体どこから来たんだ?」
浦原が実家の住所を口にすると「うわあ…テレビでしか聞いたことねえよその地名」としみじみした口調で云われ,浦原は小さく噴出した。
「そんな笑わなくたっていいだろ」
「黒崎サンはこの辺の生まれなんスか?」
「実家は隣の県。高校卒業と同時に親戚んちに転がり込んだ感じ」
「それはやっぱり…サーフィンがしたくて?」
「そ。ガキの頃から休みっちゃこっちの親戚んちに泊り込んで朝から晩まで海に居て。でもそれじゃ足りなくなっちまって」
「楽しそうにしてましたもんね」
「……もしかしてさっきずっと見てたのか」
「サーフィンする人を間近に見たの初めてだったもんで。あれ,すごいですよね。波をくぐるのとか」
「そんな難しいもんでもないけど」
「でも,体力すごく使いそう」
「あー,それは。って浦原さんあんま運動しない方?」
「ええ。でも最近は物件めぐりですごく歩くようになりましたけど」
「それは運動と違うだろ。疲れるだろうけど」
喉を鳴らして笑う黒崎に,釣られて浦原も笑みを零す。
空の高いところにあった太陽が少しずつ海の方へと傾いていく。
「もう少しだから」「寒くねえ?」「自転車置いて車で来ればよかったな」
黒崎の口から零れる気遣いに溢れた言葉たちに「大丈夫」と返しながら頬に触れる風に冬の名残を感じる。
「ココなんだけど」
黄昏時の一歩手前,足許から長く長く伸びた影が古めかしい建物へとかかった。
通り面したアーチ型の門を潜ると石畳敷きの庭,色の違う敷石の軌跡を追うとこじんまりとした建物があった。
建物の前には不ぞろいな石で囲われた小さな花壇。
その前には鉄製のテーブルと椅子が。
看板が外されてしまっているので店の名前はわからないが,一目で「喫茶店」と知れる店構えだった。
海辺の街で小さな喫茶店を営む浦原さんと,サーファーの一護。
そのよん。
2012.06.27