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/// 001 ///



その日の朝初めて袖を通した真新しい制服は成長を考慮して大きめサイズに作られていたけれど,慣れない詰襟がどうにも息苦しかった。
一護はきっちり止められたホックを外していいものか,入学式が終わるまでは我慢した方がいいのか迷いながら,ホックに触れては憂鬱なため息を吐いていた。
八時半のチャイムが鳴る。
一ヶ月前まで通っていた小学校と同じ時間だけれども,チャイムの音色が違う。
そんなことを考えながら席に着くと,教室の前のドアが開いてスーツ姿の教員が姿を現した。

ざわめいていた教室がしん,と静まり返る。
まるで枯れ草のような淡い色の髪を寝癖なのかなんなのかぼさっとさせたその教員は,教卓の前に立つとぐるりと席に座る一護たち生徒を見渡した。

「おはようございます」

静かな教員の声に,教室の中に戸惑いが走る。
けれども数秒の間をおいて,おはようございます,と全員の声が重なった。
教卓に立つ教員は口の端をほんの少し引上げると,のんびりした動作で後ろを向き,きれいに拭き取られた黒板に読みやすい字で「浦原喜助」と書いた。

「これから一年,皆サンの担任を務める浦原と云います。宜しくお願いします」

あっさりとした言葉で自己紹介を終えると,教卓に広げた出欠簿を一番から順に読み上げていく。
一護は13番目に名を呼ばれた。

「黒崎一護くん」
「はい」

自分の名前が澱みなく読み上げられたことにほっとする。
「一護」と書いて「いちご」と読むのは珍しいらしく,大概初対面の相手は戸惑った顔をする。
小学校六年間でも何人もの教員が一護の名前を読み間違い,また,発音を果物のアレと同じにして一護の内心で失格のレッテルを貼られた。
新しい学校でのスタートがスムースに切れたことにほっとする反面,ぼーっとしてる風に見えるけど,悪いヤツじゃないのかもしれない,と胸の裡で辛口の評価を下した。

生まれつきとは云え,度派手なオレンジ色の髪をしている一護は良くも悪くも人目を引く。
けれども厳しくて有名な生徒指導の教員は一護の髪を一瞥するや否や睨みつけるような険しい表情はしたけれど,何も云ってはこなかった。
もしかして,担任が前以て云ってくれてたのかな,と一護は思ったけれども,尋ねる機会を得られないまま一ヶ月が経っていった。

一護のクラスでは出席名簿順に男女一人ずつが週番として提出物の回収や授業の開始と終了の号令,そして日誌の提出を義務付けられていた。
一護が初めてその当番に当たった日,一緒に週番となるはずだった女生徒が風邪を引いて休んでしまった。
面倒だな,と思いつつも一人でこなせないこともないか,と一護は隣の空席を見てため息を吐いた。

八時半のチャイムが鳴った。
生徒が席に着くのと同時に教室のドアが開いて担任がやってくる。
そして教卓の前に立つと,真っ直ぐに一護を見た。

「起立」

がたがたと椅子が音をたて,全員が立ち上がる。

「礼」
「おはようございます」

重なる37人分の声。

「着席」

また椅子の音が響いて,全員が席に座る。
そして担任が口を開いた。

出欠を取り,今日一日の予定を告げた後,「以上です」と締めくくる。
いつもと同じ流れの後,教壇を降り掛けた担任はふ,と足を止めて,それから真っ直ぐに一護を見た。

「黒崎サン」
「はい」

返事はしたものの,担任はそれ以上口を開こうとせず,仕方なく一護は立ち上がって教壇へと向かった。

「昼休みでいいんで,父母会の出欠届を集めて職員室までお願いします」
「はい」

頷いて席に戻ろうとすると,「一人で大変だろうと思うけど,宜しくお願いしますね」と言葉が継がれた。
え,と一護が顔を上げると,担任は野暮ったい眼鏡の奥から一護を見て,目元を和らげて「それじゃ,昼休みに」と云って教室を出て行った。

変なの。
一護は無意識に口をへの字に曲げ,たった今の担任とのやりとりを思い返していた。

教員と云うのはもっと威張りくさったものだと思っていた。
いい先生というのに未だ嘗て一護は巡り会ったことがなかった。
いつも上からモノを云って,そのくせ理屈に来たした破綻を指摘されると逆切れする。
まるで教室という小さな世界に君臨する暴君のように。
程度の差はあったけれど,一護が知る教員は多かれ少なかれそんなタイプばっかりで,生徒の苦労を労ったり,よろしくお願いしますね,なんて云ったりするようなのは一人も居なかった。

そういえば,「黒崎さん」なんて呼ばれるのも初めてのことだ。
「黒崎くん」と呼ばれたことはある。それか「黒崎」「黒崎一護」なんて風な呼び捨てだ。
「さん」付けで呼ばれると,まるで自分が大人扱いされているような気になるな,と一護は思った。
思ったけれども,何を馬鹿なことを,とその思いをすぐに打ち消した。
そんなことをしている間に一時間目の予鈴がなり,授業が始まった。

四限の授業が終わると給食の準備が始まる。
その監督にやってきた担任は食事開始の号令の前に「昼休みに先週配布した父母会の出欠届を週番まで提出してください」と告げた。
忘れた人は明日必ず持ってきてください,と付けたし,生徒全員の「いただきます」という声を聞いて教室を出て行った。

昼休み,一護は35人分の出欠届を手に職員室へ向かった。
38人中,病欠が一人と忘れたのが二人。
提出率としていいのか悪いのかはわからないけど,35枚プリントがあるのを確認してから職員室のドアをノックした。

ほんの少し緊張しながらからからから,と音を立てて開けると,一護の予想に反して職員室の中はがらん,としていた。
声をかけた方がいいのか,と中を見回していると,積み上げられた本の向こうからゆらりと立ち上がる人影があった。

「黒崎サン,こっち」

箸を持ったままの手で手招きされた。
並んだデスクを回り込んで担任の席まで向かうと,積み上げられた本たちの中,僅かに開いたスペースに銀色の弁当箱が開いたまま置かれていた。
中身は白いごはんに梅干がひとつ。そしておかずは鮭の切り身とほうれん草の胡麻和えとシュウマイがふたつ。
なんとなくそこから目が離せないまま「35人分,持ってきました」とプリント束を差し出すと「ご苦労様です」と箸を持ったままの手がそれを受け取った。
行儀悪いな,と思ったけれど相手が教員では指摘するわけにはいかない。
そのまま踵を返そうとすると「ちょっと待って」と呼び止められた。

「昨日の課題,採点終わってるの持って行ってもらってもいい?」

面倒だな,と思ったけれども嫌だと云えるはずもない。
「はい」と頷くと,担任はまたしても箸を手に持ったまま積み上げられた本の山をがさごそをしだした。
少しではあったけれど,埃が舞うのが見える。
一護は思わず「あの」と声をかけてしまった。

「ハイ?」
「埃が弁当に」
「あ…ほんと?」

手を止めて弁当箱を見下ろす。
指の先ほどの綿埃がごはんの上に落ちているのを見て「あーあ」と呟きながら無造作にそれを指で摘んだ。

「また後で取りに」と一護が云いかけると,それを遮るように担任は「んー,黒崎サンはお昼休み忙しい?」と尋ねてきた。

「いや,別に」
「じゃあお茶淹れるんでちょっと待ってて貰っていい?次の時間移動教室でしょ。もう一回来てもらったんじゃ手間だから」

そういうと一護の返事も聞かず,さっさと立ち上がって,やっぱり手には箸を持ったまま担任は職員室の隅に設えられた給湯スペースへと向かった。
ひとり取り残された一護は質素な弁当をぼんやりと眺めて「面倒なことになったな」とため息を吐いた。

戻ってきた担任は,湯のみではなくマグカップを手に持っていた。
「この席空席なんで」と隣の机から椅子を引き出し一護に勧めると,カップを前に置いた。
覗き込んだカップ中身は緑茶ではなくミルクの入った紅茶で,一口啜るとほんのりと甘かった。

「じゃ,スミマセンね」

云いながら担任は再び弁当箱に箸を使おうとする。
一護はまたしても思わず口を挟んでしまった。

「あの」
「ハイ?」
「箸,汚れてる」
「え?あー,ほんとだ」

云いながら机の上に積み上げられた本の山の更にその上に置かれた箱からぴっとティッシュを一枚引き抜き,ぞんざいに箸を拭うと,鮭の切り身を摘んで口に放り込んだ。

「給食,美味しかったっスか?」

もぐもぐと口を動かしながら担任が尋ねる。
野暮ったい眼鏡が鼻先までずり落ちて,それを箸を持ったままの手で押し上げて,一護の方を見た。

一護はなんと返事をしたものか迷った末に「普通です」と答えた。

「普通ねぇ…。場当たり的な答えだ」

喉を鳴らすように笑って,今度は梅干を箸で小さく削り取って一口分のごはんの上に載せて口へと運ぶ。
ゆっくりと動いていた口が止まると,ネクタイの締まった喉元がゆっくりと上下する。
一護は薄甘いミルクティを啜りながらぼんやりとその様子を見ていた。

「それ,自分で作るんですか」
「ん?おべんと?」

聞き返されてからはっとなる。
そんなことを聞くつもりはなかったのに。
そう思ったけれども,尋ねてしまった手前無視するわけにもいかず小さく頷いた。

「そうっスよ。給食食べてもいいんスけど,アレもタダじゃないしねえ」
「え,先生も給食費って払うんだ」
「市の補助がないから,キミたちの親御さんが払ってるのの三倍の値段が給料から天引きされます」
「知らなかった」
「でしょうねぇ。……って云ってもまぁそれでも外で食べるよりは十分安いんスけど」
「じゃあ,なんで?」
「ん?――あぁ,なんでおべんと持ってきてるかって?」

担任はそこで一旦言葉を切ると,湯呑みの注いだ緑茶をずず,と啜った。

「自炊してるとね,ごはんが余っちゃうんスよ。一合ばかり炊いても仕方ないしねぇ。だから朝の炊き上がりにして,朝ごはんとおべんと,残りは冷凍しておいて夜って三食分で二合炊くようにしてるんスよ」

いいながらも無造作にぽいっぽいっという風におかずやごはんを放り込み,あっという間に弁当箱の中身は空になった。
担任は空になった弁当箱の中に梅干の種をぺっと吐き出すと箸を持ったまま両手を合わせて「ごちそうさまでした」と云った。

「さて,お待たせしましたね」

云って向き直る担任の顔を見て,一護は思わず笑ってしまった。

「え,何?」
「顎に,ごはん粒」
「ほんとに?」

担任は手探りで顎の辺りに触れたが,ほんの少しのずれで米粒に届かない。
「どこ?」と一護を見る顔が可笑しくて,一護はまた声を上げて笑った。

「笑うなんてひどい」

露骨に傷ついた顔をするが,その顎には米粒がまだついている。
一護は笑い止まないまま手を伸ばすと「ここだよ,ここ」と米粒を摘んで担任に見せた。

「あー,ほんとだ」

担任の手が一護の指先から米粒を摘んで,ひょい,と自分の口の中に放り込む。

「って食べんのかよ!」

声を上げてからしまった,と慌てると,担任は全然気にしない風に「だってお米の中には八百人を越える神様がいるんスよ?」と意味のわからないことを云った。






このことをきっかけに,担任――浦原と,一護の距離はほんの少し縮まった。
一護と一緒に週番をすることになっていた女生徒の風邪が長引いて,その週まるまる登校することができなかったせいもある。
昼休みになると一護は提出物を集めて人気のない職員室へと向かい,うす甘いミルクティを飲みながら浦原が弁当を食べ終わるのを待った。

そんな風にして一週間が過ぎると,一護の当番は終わり,昼休みに職員室へ行くこともなくなった。
けれども授業でわからなかったところを聞いたり,ほかの教員たちに対するのと違ってほんの少しだけ気安く話しかけられるようになった。
浦原はいつでも「黒崎サン」と一護のことを呼び,質問には丁寧に答えてくれた。
一護は説明を聞き終わると「ありがとうございました」と丁寧に礼を云い,それから少しだけ素のものに近い口調で「先生,袖口のボタン取れかけてる」なんて指摘をする。
そうすると浦原は「あらら,ほんとだ」と云って困った風に微笑う。
聞けば,裁縫はあまり得意じゃない,というよりも苦手なんだそうだ。
そうなんだ,と一護が云うと,ずり落ちてきた野暮ったい眼鏡を押し上げながら「針に糸通すのが難しくて」とため息を吐く。
裁縫セット持ってきたら通してやるけど,と一護が云うと「ほんと?」と云って次の日本当にソーイングセットを持ってきた。
昼休みに一護が職員室に行って針に糸を通してやると,食べ終えた弁当箱に蓋をしてデスクの端に追いやると,徐にシャツを脱ぎ出した。

「え,今つけんの?」と一護が驚いた顔をすると白い半袖のTシャツ姿になった浦原は「だって,持って帰る間に糸が抜けちゃったら困るでしょ」とマジメな顔で云った。

一護は相変わらず教員はあまり好きではなかったが,何となく浦原のことは好きだと思った。
見ていて飽きない,というのか。
クラスメイトたちの浦原への評価は「悪くない。でも変わってる,と云った感じだった。
熱血ではないけど,無関心ではない。
雑談が面白くて盛り上がるような授業ではないけれども,どちらかと云えばわかりやすい授業だ,とそんな風に。

「なんていうかさー,ウラセンは『毒にも薬にもならない』って感じだよな」

そういうクラスメイトも居たけれども,「毒にならない分マシじゃねーか」と一護は一人胸の裡で呟いていた。

季節は巡り,三月下旬。
一年生の最後の日は雨が降っていた。
たまたま週番だった一護は放課後,一緒に週番だった女子が書き上げた日誌を受け取るとひとりで職員室へ向かった。
コンコンコン,とノックをしてドアを開ける。
いつもの昼休みと違って何人もの教員が居た。
一護は内心で怯みながらもまっすぐに浦原の席を目指した。
けれども浦原は席にいなかった。

いつも一護が椅子を借りていたのと逆側の隣の教員が「浦原先生なら離席中よ」と教えてくれた。
一護は教えてくれた教員に礼を云うと,小さくため息を吐いて相変わらずごちゃごちゃしたデスクの上に日誌を置いた。

最後に話したかったのにな。
そう思った。
別に何か用事があったとか,云いたいことがあったとかそういうわけではない。
春休みが終わって二年生になっても,きっと学校の中で顔を合わせることもあるだろう,というのもわかっていたけれど,それでも,話したかったのに,と残念に思った。

教室に戻ると,もう誰もいなかった。
一護は一年過ごした教室を,特に感慨もなく眺めて鞄を肩にかけると昇降口へ向かった。
昇降口を出て門へと向かう途中,あれ,と思って足が止まった。
職員用の駐車場の端に,誰かがしゃがみ込んでいる。
こんな雨の中,誰が?と目を凝らすと,それは浦原だった。

他の誰かだったら無視して帰るところだけれど,一護は身体の向きを帰ると駐車場に向かって歩き出した。
雨粒が傘を叩くぱらぱらと云う音。
校庭の隅に植えられた桜は今が満開だけれど,この雨できっと散ってしまうんだろう。
そんなことを考えながら歩いていると,あっという間に目的地に到着した。

「先生,何してんの」

傘をあみだにさして尋ねると,しゃがみ込んでいた浦原が振り返った。

「黒崎サン」

なんでか,困った顔をしている。
と,その向こうで「きゃん」と小さな声がした。

「え,犬?」

尋ねながら一護は足を踏み出した。
しゃがみ込む浦原のすぐ横にしゃがみ込むと,ドウダンツツジの植え込みの影にダンボールが置かれ,そこに茶色い子犬が蹲っていた。
蹲る子犬のすぐ横には銀色のトレイのようなものが置かれ,なんでかがんもどきが転がされている。
視線を浦原の方へ動かすと,浦原の膝の上には蓋の開いた弁当箱があった。
おかずが一区画だけなくなっているのを見て,「ああ」と一護は思う。
それと同時に「犬ってがんもどきなんか食うの?」と尋ねていた。

「わかんないっス。でもおなかすいてるのかなーと思って」
「…でも,食ってないよな」
「食べてないっスねぇ」
「その犬,どうすんの」
「どうしよう」

どうしようじゃないだろどうしようじゃ。
思わず突っ込みたくなったけれども一護がぐっとそれを堪えていると,浦原はやさしい手つきで子犬の頭を撫で「困りましたねぇ,ぽち」と犬に話しかけた。

「あのさ」
「ん?」
「なんでぽちなわけ」
「犬っていえばぽちでしょう」

至極当然,という口調で云うが,一護は納得が行かない。

「古い」
「えー」
「もっとこう,かっこいい名前の方がいいんじゃねーの?」
「例えば?」
「例えば…,」

一護は言葉を切ると口を噤んで考え込んだ。
浦原も喋らないせいで,傘を叩く雨の音だけが響いている。

「…レイン,とか」

一護が呟くように云うと,隣で浦原がふっと笑った。

「それこそ単純じゃないっスか」

一護はむっとして「でもぽちよりマシだろ」と口を尖らせると,浦原は「じゃあ,レイン」とあっさり意見を翻してまたやさしく子犬の頭を撫でた。

「先生,飼えんの」
「…難しい,かな」
「どうすんの」
「どうしましょっかね…」

飼えないけれども,このまま雨晒しにしておくのは忍びない。
静かな声で云う浦原に,一護も頷いた。
家に連れて飼えることも考えたが,病院という人の出入りが多い家業を考えるときっと無理だ,と一護は項垂れた。

「とりあえず,今日のところはアタシが連れて帰ります」

云って,浦原は「ね,レイン」と犬に呼びかけた。

「…大丈夫なのかよ」
「だって,放っておけないし。締めの飲み会断れば六時には帰れるし,その足で病院に連れて行きます」
「病院?なんで?」
「他の貰い手見つけるにしたって,健康診断とか受けないと駄目でしょ。あと予防接種なんかも」

なるほど,と一護が頷くと,浦原は肩と首で傘を挟むように支え,不器用に手を伸ばして犬を抱き上げた。
身体のバランスが崩れたせいで,膝の上を弁当箱が滑り落ちる。
一護は慌ててそれを受け止めた。

「危ね!」
「え?」
「弁当箱落ちる!」
「わ,ほんとだ。――危なく昼ごはん抜きになるところだった」

白いワイシャツに泥がつくのも構わず犬を腕に抱いた浦原は,そう云って一護を見ると目元を和らげた。
一護は深々とため息を吐くと,傘を持ち直して立ち上がった。

「職員室まで持ってくよ」

そう云って弁当箱に雨がかからないように持ち直す。
それから手を伸ばしてダンボールの中の蓋を取り上げた。

「ありがとう。黒崎サン」
「…だって,放っておけねーし」
「こんなに小さいものね」

云って浦原は腕の中の犬の頭を指先でくすぐるように撫でた。
両手が塞がっているせいで傘は傾き,犬こそぬれないものの浦原の肩を包むシャツにどんどん雨が滲みていくのが見えた。

「そうじゃなくてさ」

え?と聞き返す浦原を無視して,一護は口を引き結ぶと自分の傘を閉じて,手を伸ばす。
弁当箱の蓋を持った手で傾いでしまっている浦原の傘をそっと受け取ると,犬と浦原が濡れないように差しかけた。

「…あの,黒崎サン?」
「何」
「今のってもしかして…」

浦原の問いに一護は答えなかった。
ぱらぱらと傘を叩く雨音を聞きながら,浦原の腕の中でふるふると震えている小さな犬を見つめていた。













続きます。(めいび)。

2010.06.09

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