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--- 迎えに行くよ ---





昼の空気に夕闇の空気が滲み出す頃,シーツにすっぽり包まったままウラハラは目を覚ました。


「雨だ」


実際にはまだ降っていない。
耳の先と髭が,その微かな気配を察知しただけ。
でもそれが気のせいじゃないということは誰よりもウラハラ自身がよく知っていた。


ふぁさり,とシーツから目だけを出して時計を確認する。
時刻は17時の少し手前だった。
一護のアルバイトが終わるのは22時。
多分,その頃には雨は本降りになっているはず。


『今日は遅い?』
『ん,バイト』
『迎えに行っていい?』
『目立つから来るな』


朝の会話を思い出しながら,寝返りを打つ。
再び目を瞑りシーツを頭まで被って,すっかり淡くなってしまった一護の匂いを探す。


「いちご」


世界で唯一の愛しい者の名を発音する。


「一護」


口で発し,耳で聞く。それだけで愛しさはひたひたとウラハラを満たしていく。
顔が見たい。声が聴きたい。どこもかしこも触りたい。
会いたい。会いたい。会いたい。


迎えに行こう。
傘を持って雨の嫌いな一護のことを。愛しい愛しい唯一のことを。


シーツに包まったままもぞもぞと身じろぎして,枕に鼻先を埋めて目を閉じる。
次に起きるのは20時。
ゆっくりお風呂浸かって,それから迎えに行く。


それは既に予定ではなく決定事項だった。












薄暗がりの中,ウラハラは目を開けた。
今までとっぷり浸っていた眠りになんの未練もみせずに身体を起こして,両手を天井に向けて全身を伸ばす。
ベッドから降りて窓に向かい,ブラインド・カーテンの隙間に指を差し込み下に引いた。
結露した窓の向こうに雨の気配。
親指でぐい,と曇りを擦れば,しとどに濡れた水銀灯が見えた。


やっぱり。
ウラハラは息を吐くとバスルームへ向かった。
温度を調節し,バスタブに湯を溜める。
リビングにとって返し,本棚から一冊適当な本を抜くとそれを持ってバスルームに戻った。
湯はまだ足りない。
バスタブに寄りかかって頁を捲る。
本の中では男が泣いていた。
ひとを殺しては泣く男。
ひとを愛しては泣く男。
嗚咽を堪えて,ただ,涙を流す。
その描写が延々続いていた。


「陰気臭い話」


くすりと笑って首を捻ってバスタブを見る。
そろそろ頃合か。
床に本を置いてその場で服を脱ぐ。ドアを開けて脱いだ服を放り出すと,本を掲げたままざぶりと湯に沈んだ。
ちりちりと皮膚が痺れるような感覚。
眠りの残滓が洗い流されていく。
このまま30分も本を読めば頃合いだ。髪を洗っていい匂いになって一護を迎えに行こう。
帰りにドーナツ買って,DVDも借りて,手を繋いで歩こう。
ひとりにならないで。
そう云ってみよう。


自分の思いつきにウラハラは満足げに笑みを深めた。


小説の最後は,自分の涙に溺れていく描写で終わった。
自己憐憫なのかなんなのか。
泣くということをしないウラハラにはよくわからない。
でも,泣いた方が楽になる,というのはあるのかもしれない。
表面張力いっぱいまで瞳に涙を溜めた一護の顔を思い出す。
あんな顔するくらいなら,泣いちゃえばいいのに。


泣かないで,なんて自分は云わない。
いつでも一護が一番快く在れるように。一護が幸せで在れるようにしたいと思う。
もちろん,それは自分の傍ら限定で。


雨は明日も降るのだろうか。
耳を澄ませて雨の気配を拾ってみる。
わからないけれども,少なくとも夜いっぱいは降り続きそうな気配。
一護は大丈夫だろうか。
アルバイト先で,泣きそうな顔なんてしてないだろうか。
鼻の下まで湯に浸かり,ぶくぶくぶくと息を吐いた。


仕事中に店に顔を出すことは禁じられている。
前に破ったときは一晩ベッドから放り出された。
ドアの前でいくら鳴いても一護は顔を見せてくれなかった。
そのまま寝入って,明け方目を覚ましたら毛布はかけられていたけど。
しかもあれは一護の毛布だった。
怒ってるのに,なんて優しい。毛布を身体に巻き付けて幸せな心地でドアノブを回すと,小さな音がしてちゃんと開いた。
ベッドの中では毛布なしの上掛けだけで眠る一護が居た。
ウラハラはベッドの隙間に身体を滑り込ませ,毛布の端を掴んだまま,一護を包み込むようにぎゅっと抱きしめた。


「ばか猫」


一護の小さな声がした。
起きてたんだ。寝てなかったんだ。
ウラハラは喉をごろごろと鳴らすと,「ごめんなさい」と小さな声で謝った。


「ごめんなさい。一護サン」
「後1時間は寝るからな。起こすなよ」


一護はウラハラの腕の中で身動ぎをして安定する姿勢を探すと,深く息を吐いて身体から力を抜いた。
ウラハラは一護の髪に鼻を埋めて,その匂いに満たされながら同じように目を瞑った。
朝なんか来なければいい。そう思った。


思い出し笑いはすけべな証拠。
前に一護に云われた言葉を思い出した。


でも,一護との思い出はどれひとつとってもウラハラを笑ませないものはなかった。
どんな些細な記憶も,拾い上げるたびにふわりと気持ちのいい感じが胸のうちに広がった。
一護がいないときは一護のことを考えて過ごす。
ここにいない一護が,ウラハラの傍にいてくれる。
そうでもしなきゃ,本当にカンキンだ。


猫の執着は生半じゃないのだ。
それにすけべだって上等だ。すけべなことは大好きだ。


「非常事態って通じるかな」


物思いを断ち切ってそう声に出して云ってみる。
一護のことが気になった。今すぐ顔見て,無事を確認したかった。
通じないだろうな。一護は融通の利かないところがある。
だったらやっぱり終わる時間を待って,行った方がいいか。


ウラハラは不満げに鼻を鳴らすとざぶりを湯から上がった。
ドアに引っ掛けてあったバスタオルでぞんざいに身体を拭いてから浴室を出る。
髪から伝う雫が,床に小さな水溜りを作ったが気にしない。
冷蔵庫からペリエの壜を取り出してコップに注ぐ。
ごくごくごくと喉を鳴らして飲んで,けふ,と小さなげっぷをひとつ。
きれいに整えられた爪で壜のふちを弾くと「きぃん」と澄んだ音がした。


さぁ支度をしよう。
傘を持って一護を迎えに行こう。
帰りにドーナツ買って,DVDも借りて,手を繋いで歩こう。
ひとりにならないで。
そう云ってみよう。


ウラハラは耳をふるりと震わせてクローゼットの扉を開けた










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やっちゃいました続きです…。
黒猫ウラハラは書いててすっげー楽しいのです。
迷惑承知でこそっと涼零さんに押し付けます。(小声) (2006.03.14)

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