--- はちみつ色の朝 ---
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黒猫を拾った。
それは獰猛で美しい黒猫。
しなやかで優美な身体と,極上の手触りの毛皮を持って,きれいな色の目玉もついてて。
でも,少し後悔している。
目覚まし時計が鳴る10分前。
体内時計がそろそろ覚醒を促す,しかしまどろみにもしがみつきたい,至福のひととき。
一護は耳元でぱふ,ぱふ,と云う音を聴いていた。
それが示すのが何かはわかってはいたが,後10分。そう思って無視を決め込む。
はふ。
頬にすべらかな感触。
ぱふぱふぱふぱふぱふ。
寝返りをうって顔を背けると「にゃぁ」と声がした。
「一護サン,朝」
こめかみにざらりとした舌の感触。
目尻を通って頬へ。そしてくだって口の端へ。
そのまま中へ突っ込まれそうになって,一護はとうとう目を開けた。
「……こら」
「オハヨウゴザイマス」
「目覚まし鳴る前に起こすな駄猫」
「機械に縛られた生活なんてアタシの飼い主らしくないっスよ」
舌を差し込むのは諦めたのか,ちゅ,ちゅ,と唇を落としながら目を閉じて頬を擦り寄せて来る。
額や頬をくすぐるのは月色の髪。その奥には漆黒のビロードみたいな耳があって,上機嫌にぴくぴくと動いている。
一護が首を竦めると,うすい瞼が細く開いた。その奥から現れた眼差しは深い緑に金色が浮かび,上等の硝子玉みたい。
じっと見てると変な気になる。
きれいな猫だ,と一護はしばし見蕩れていた。
ぴーぴーぴーぴーぴーぴー。
鳴り出した目覚まし時計にウラハラの手が伸びる。
ばちん,と叩いて,もう一度唇が寄せられた。
「オハヨウゴザイマス,ご主人さま」
「…おはよ。どけ。メシの支度する」
圧し掛かろうとするウラハラの肩を押し退けるように両手を突き出せば,その手を掴まれ甲に口付け。
そのままゆっくり引き起こされて,腕の中にぎゅ,と抱きしめられる。
「朝メシ」
「後で」
「ふざけんな。俺は学校だっての」
「サボっちゃえ」
「猫の分際でご主人サマの生活乱すな。ドアホウが」
抱き込まれたまま黒いセータの背中をぐい,と引っ張り「ほれ,どけろ」と云えば,不機嫌をまんま顔に出した仏頂面で腕が解かれた。
乱れたベッドの上であぐらを掻いて「にゃぁぁぁ」と不満げな声を上げる黒猫をよそに,一護はベッドから降りた。
寝巻き代わりのシャツを脱ぎ捨て,Tシャツを取りに行くべく部屋を出て行く。
「あんな無防備な格好で」
ひとり残されたウラハラは,自分の手の甲をぺろりと舐めて,その直ぐな背中に艶やかな目を向けていた。
「ウラハラ,メシ!」
ダイニングの方から声がする。
一護が脱ぎ捨てたシャツに顔を埋めるようにしてうとうととしていたウラハラはその声にのろのろと身体を起こすと「くぁぁぁぁ」とあくびを漏らした。
一護は日向の匂いがする。
雨の日も,雪の日も,いつでも。
その匂いは安らかで健やかで,ウラハラにとってはまどろみたくなるほどのいい匂い。
一護が学校へ行くのは嫌いだけれども,この匂いがあるのならまどろんで待つくらいはできないことじゃない。
奔放が常の猫にだって,度量というのは存在するのだ。
「ウラハラ!冷めるだろ!!」
もう一度声が飛び,ベッドからするりと抜け出てドアを潜る。
ダイニングから漂ってくるのは,たまごの匂い。
バターの匂いはしないから,目玉焼き?
「お待たせしました」
椅子を引いて腰を下ろしながらくしゃくしゃの髪に指を梳きいれて後ろに流すと「おせーよ馬鹿」と目の前に真っ白い皿がことんと置かれた。
フライパンで四つ一度に焼かれる目玉焼きのうちのふたつ。
一護はいつもウラハラに完璧なサニーサイドアップを出す。
頃合で蒸し焼きにした蓋を開け,フライ返しで半分に切る。
するりと皿に落として,ウラハラへ。
残った二個分は自分用に裏返してぽくぽくになるまで焼くのだった。
塩と胡椒を振りながら,「別にサプリメント(キャットフード)で十分なのに」と小さく零す。
一護のつくるごはんは美味しかったが,ウラハラは特別食べることに執着する性質ではなかった。
そんなことよりくっついていたい。その肌の温もりをずっとずっと感じていたい。
その欲望の方が強かった。
「ばーか。メシってのは時間だから食うものじゃねえの。ウマいから食う。満たされるから食う。そういうもんなの」
きれいなきつね色に焼けたターンオーバーを自分の皿に落としながら,一護は云う。
自分の牛乳をコップに注ぎ,ウラハラには特別苦いブラック・コーヒーのカップを持ってテーブルに着く。
ウラハラはパンダの模様に焦げ目のついたトーストに,バターをたっぷり塗ったのを「ハイ,ドウゾ」と一護に差し出した。
「さんきゅ」
しゃく。
いい音をさせて一護がトーストにかじりつく。
起き抜けでよくもそんなに食欲が。
ウラハラは頬杖をついて,目玉焼きにフォークを突き刺す。
白身にとろり,黄色が広がり,それを絡めて口に入れる。
ん,おいし。
付け合わされたソーセージも,黄身を絡めて食べる。
ん,おいし。
味わうということを教えてくれたのは,一護だ。
ウマい?熱い?辛いの平気か?どうせ食うなら同じもの食えた方が楽しいじゃねーか。俺,ひとりでメシ食うの嫌い。
そんな風に言葉を連ねて,ウラハラに「食事」というものを教え込んだ。
なければないで平気だけれど,一護とともにするそれはなかなかに「楽しい」と思う。
楽しいことは大好きだ。
「一護サン,スキ」
思ったままを口にすると,一護がごほっとトーストに咽た。
「い,いきなり何云いやがる」
「今日は遅い?」
「ん,バイト」
「迎えに行っていい?」
「目立つから来るな」
「だって夜までひとりじゃ寂しい」
「でかい図体でガキみたいなこと云うなよ」
手が伸ばされてくしゃりと髪を掻き混ぜられる。
自分より細い身体。弱い心の持ち主なのに(雨が降ると一護はいちにち口を利かない。辛そうな苦しそうな顔で一日シーツを被っている),ウラハラが甘えるとやさしくしてくれる。
ひとというのは変な生き物だ。
変な生き物だけれど,一護は愛しい生き物だ。
やさしくしなきゃ。
「キスして」
「メシの途中だろ」
「してくれたら,いい子で待ってる」
「………この,くそ猫」
一護が伸び上がって顔を寄せた。
ウラハラはフォークを持ったままその頬に手を伸ばし,後頭部に髪を梳くように指を絡める。
重なる唇を尖らせた舌で撫ぜ,開くように要求。
一護が首を振ろうとするのを,そっと戒めてもう一度。
諦めたような息が漏れ,開かれたそこに舌をゆっくりと差し込んだ。
やわらかで甘い舌は,サニーサイドアップより美味しいと思う。
舐めても絡めてもやわらかく噛んでも,それは変わらない。
一護のテーブル越しの不安定な身体はどんどんウラハラに体重を預けてくる。
支えることは造作もないし,睫越しに震える一護の瞼を見るのはとてもいい。
決して触れた箇所を離さないまま幾度も幾度も深さを変えて唇を重ねた。
「う…らはら」
「もうちょっと」
「はなせ…」
「学校休む?」
「休むか,馬鹿!」
ばちん。
叩かれたのは額だった。
目の前に星がちかちかと飛ぶ。
ちぇ,悪戯,失敗。
ウラハラは叩かれた額を押さえて,再び椅子に座り込んだ。
頬杖でフォークをくるくると回す。
一護は口許を押さえてそっぽを向いて,荒い息を繰り返している。
もうちょっとだったのに。
惜しい気持ちが半分と,でもいい顔見れたし,と楽しい気持ちがやっぱり半分。
一護サンはかわいいなあ。
ウラハラは,にゃあ,と鳴いた。
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涼零さんの描かれたにゃんこ浦原さんに触発されて一発書き。
愛だけは無尽蔵に篭もってます…。(俯き)
(2006.03.03)