002
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「だから,ね? お願いシマス。今回だけ。一回だけ。ね?ね?ね?」
そう云って両手を合わせて拝み倒して一護の血を啜っていった夜から今日で五日め,浦原は今日も一護の部屋にいた。
「身体にかかる負担が最小限になるよう,本当にぎりぎりのほんのちょびっとしか吸いませんので」
「大丈夫。一護サン若いから,これくらいなら倒れたりしませんて」
「今日はお土産持って来ました。ほうれん草だとさすがにアレなんで,プルーンでしょ,鉄分入ったチーズでしょ…」
口先だけで弄される時期は過ぎている。
本当に嫌だったら断っている。それでもなし崩しに首筋を晒してきたのは,浦原の顔色が理由だった。
「聞こうかどうか迷ったんだけど」
ベッドにうつ伏せて枕に左頬を預けて浦原の方を向く。
横を向いて左手で一護の髪をずっと梳いている浦原はもう少し顔が上にあるため,一護の目には浦原の顎先しか映らない。
しかし顔を,目を見てしまうときっと誤魔化されるからこれでいい,そう思った。
思い切って目を瞑る。
「オマエ,どうしたんだ」
「…どうしたって?」
「ここんところ毎日じゃねぇか」
「それはほら,一護サンの顔が見たく」
「嘘つけ」
「……そんな気前よく思い切り遮らなくても」
嘘じゃないのに。
浦原は苦笑まじりの息を吐いて,一護の髪に鼻先を埋めた。
猫が擦り寄るようなその仕草に,一護は首を竦める。
「嘘じゃなくても,それだけじゃねえだろ」
「……なんでそう思うんスか」
「匂い」
「匂い?」
「オマエ,怪我とかしてねぇ?」
浦原に付き纏うのは血の匂いに似ていた。
しかし浦原が他者から血を啜っているとは思えない。自分でいうのも変な話だけれど,浦原の自分への執着はかなり深いものだった。
「もう一護サンの血しかいらない」
冗談めかして云ったあの声に,潜む本気を耳ではなく肌で,身体の芯で聞いた。
あれは気のせいなんかじゃなかった。
「怪我?してませんよ」
飄々とした声。でも,それは嘘だ。
「じゃあなんで」
「だからキミに会いたくて」
「会いたがられる理由がねえ。俺,餌だろ? 餌の顔わざわざ見に行く酔狂なヤツがどこにいる」
「ここに」
「………もういい」
胸にざわりと黒い靄が広がるような心地を覚えて,一護は寝返りを打った。
ベッドの上,なるべく壁際,浦原から離れた場所に身体を横たえる。
枕の向こうに僅かに左耳だけ見せている一護に浦原は手を伸ばした。
「触るな」
オマエなんかあっち行け。
まるで幼い子どものような声音。
触れる寸前で発せられた拒絶に浦原は一瞬手を止めたが,そのまま伸ばして肩に触れた。
「触るなってば」
「ゴメンナサイ」
「謝れなんて誰も云ってねぇ」
「わき腹と背中,あとは右の腿」
「え」
「傷の場所」
胸に抱きこまれ,耳に直截注ぎ込むやり方で浦原はそう告げた。
一護の顔が上がり,「…ンだよ。それ」と低い声が漏れた。
「傷をひとに漏らすってのは,致命傷に通じる,それがアタシらの常識です。味方もなく,相対するのは敵ばかり。そんな世界で生きてるから。だから,すっかり忘れてました」
信じてないわけじゃないんです。忘れてただけ。キミは敵じゃない。そんなこと重々知っていたのに。
掠れた声に,一護の声が詰まる。
「どうして…」
「敵」
「なんで…」
「敵だから,としか云い様がないっスねぇ,こればかりは」
「血,足りねぇの」
「そんなことないですよ。十分頂いてます」
「その声,さっきと同じだ」
「え」
「俺に会いたいから毎晩来てるって云ったときのと。嘘だろ。本当はしんどいんだろ」
今度は浦原が言葉を詰まらせる番だった。
一護は無言を答えとして受け取り,パジャマのボタンを外すと左の肩を露にした。
「吸え」
「大丈夫」
「大丈夫じゃねえよ。明日は体育ねぇし,移動教室もねぇ。うるさい教員の授業もねぇからずっと寝てられる。オマエがこれ以上傷負う方が嫌だ」
まるで怒ってでもいるような声に,浦原は瞑目した。
この子どもの示す理解できない優しさに,身動きができなくなる。
不本意だ,と全身で拒絶するくせに,弱った自分には平気で手を差し伸べる。
この優しさは強さは,一体どこから来るのだろうか。
「大丈夫。本当に」
「遠慮かよ」
「違います。でもひとつだけお願いが」
「なんだよ」
「明日も,会いに来ていいっスか」
「あ?」
「ここで眠らせて。キミの傍で」
むき出しになった肩に浦原の額が押し当てられた。
髪が頬を擽る。そしてくぐもった声。
一護は身体を浦原の方へそっと寄りかからせると,自分の身体の下から右腕を引き抜き,それを肩越しに背後に回した。
肩に載る浦原の髪に指を梳きいれる。
「駄目だっつったって来るだろ。なんだよオマエ。今日本当に変だぞ」
「駄目って云ったら来ません」
「駄目なんて云ってねぇだろ」
「…………」
「……傷,一個も増やして来なかったらな」
ため息交じりの声に,回された浦原の腕にぎゅっと力が篭もった。
一護はその中で安定する姿勢を求めて身動ぎすると,毛布を肩までしっかりあげた。
「もう寝るぞ」
「……はい」
「おやすみ」
「オヤスミナサイ」
腕の中の温もりと身体を包み込む温もり。
それぞれをそれぞれに感じながら,瞼を閉じる。
浦原も一護も言葉にならない思いを胸の奥に感じていた。
それでも傍らに居たいと云う。
それでも傍らに居ることを許すと云う。
交感される温もりはいつしか穏やかな眠りを誘った。
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更に続く。(いい逃げ)
(2006.01.31)