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一護は自分のベッドの上にどっかりと胡座をかいて座る男を視界からシャットアウトするように広げたテキストに意識を集中させていた。
「一護サン,一護サンてば」
男は胡座をかいた足首を手で掴みゆらゆらと身体を揺らしながら自分の名を呼んでいる。
この男の名前は浦原喜助。吸血鬼だという。
そんなおとぎ話の中にしか出て来ないモンスターが実在するなんて一護も最初は信じていなかった。
しかし信じないわけにはいかないような事態に気がつけば追い込まれていたのだ。
「んー,キミの血って本当に美味しいスね。アタシもうこれ以外欲しくない」
不慮の事故というかなし崩しというか,一護の同意の元ではない状況下で(あろうことか,この腐れ吸血鬼は「ええ,だってキミの同意なんてあったってなくたっておなかは膨れますし」と云ってのけたのだ)一護の血を啜った浦原は,唇の端に着いたしずくをぺろりと舐めとりながらそう云った。
ふざけんな!
一護が貧血気味で力の入らない声でそれでも罵倒すると「けど,キミには悪くない話なんじゃ?」といけしゃあしゃあと云ってのけた。
「何が」
「アタシがキミひとりに執心すれば,このところこの街に頻出している乾涸びた死体は出なくなりますよン♪」
「え。つーことはまさかあれ,オマエが…」
「そーそ。だってごはんですもん。残したら罰が当たるでしょ」
「なんだよそれ!」
「なんだよもなにも。キミだって動植物あまねく殺して食べてるじゃないスか。それと同じ。食物連鎖」
何か反論がありまして?
そう窺うようにこちらを見た顔に,怒りで血が沸騰するような心地がした。
「第一,どこに死体が転がろうが,ンなの俺の知ったことじゃねえだろ!」
「ウソツキ。一度知ったら最後,見て見ぬフリなんてできないくせに」
くふりと笑って云う男に目眩を覚えたのは貧血ばかりのせいじゃなかった。
結局なし崩しに言い負かされて,首筋に牙を突き立てられた。
「いつまでもガタガタ云ってると,キミも死体にしちゃいますよン?」
冗談めかした口ぶりだけれど,目に浮かんでいた光は本物で,一護は思わず息を呑んだ。
しかし次の瞬間には売り言葉に買い言葉で「おう上等だ!テメェの顔二度と見なくていいならそっちのがマシだ!」と,貧血で焦点の定まらない目をギッと向け言い放っていた。
「面白い子」
自分の発した言葉の危険性に気づき,本当に食い殺されるかと覚悟した瞬間,一護に向けられたのは柔らかな眼差しだった。
そして一護は拍子抜けというか,一気に力が抜け,そのまま返す言葉もなく意識を手放した。
それ以後,週に一度,多いときに二度くらいの周期で浦原は一護の前に姿を現す。
黒いスーツに黒ネクタイ,黒い革靴,コートも黒でシャツだけが白というまるで葬儀屋の社員のようないでだちで。
「一護サン,アタシ,無理矢理とか力づくとかって好きじゃないんスよね」
声が僅かに低くなった。
一護は不承不承顔を上げると「どの口が云うんだそれ」と不機嫌を前面に出したまま浦原に向き直る。
「やっとこっち向いてくれましたねン♪」
「だから,今日はだめだっての」
「どうして」
「さっきも云っただろ。明日1限が体育なんだよ。貧血で倒れるわけにいかねえの!」
「でも,アタシは命がかかってるんスよ?」
「うそつけ。一日くらい抜いたってどうったことねぇくせに」
「そりゃそうっスけど,おなか空いたまま過ごすのって凄く精神衛生上よくないし」
「………脅してんのかよ」
キミが拒否するならアタシはほかのひとを襲うまでだ。
言葉ではなく目で語る浦原に一護は視線を鋭くする。
浦原はそんな一護に「アタシが一護サン脅したりするわけないでしょ」とにっこり笑った。
「胡散臭…」
「でもね,アタシ今日ちょっと体力消耗したんで補給しとかないと本当に辛い感じなんスよ…」
「…………」
「だから,ね? お願いシマス。今回だけ。一回だけ。ね?ね?ね?」
両手を合わせ片目を瞑り,拝むような格好で懇願する浦原に,一護の渋面はますます深くなっていく。
一事が万事この調子なのだ。
いっそのこと最初のように力づくで奪って行ってくれればいいと思うのに,浦原はそれをしない。
あくまで一護が諾と応じるまでは脅したり賺したりはしても,絶対に強硬な手段に出ようとはしないのだ。
嫌な男だ。俺が拒絶しきれないって見込んでやってるに決まってる。
「一護サァン…」
情けのない声で情けのない顔を装って,こちらを伺う浦原に一護は深いため息を吐いた。そこに滲むのは諦観以外のなにものでもなく。
「今回,だけだからな」
「わぁい♪」
「そのオッサン面で『わぁい』とか云うな気色悪い」
「酷いっスねぇ」
やわらかな眼差しで苦笑を浮かべる浦原に,一護は椅子をぐるりと回して身体ごと向き直ると,寝巻きの襟元をくつろげた。
「無駄口叩いてんなよ。さっさと済ませろ」
「じゃ,遠慮なく」
衣擦れ一つたてないしなやかな身のこなしで浦原は立ち上がると,そっと一護の前に立った。
視線を絡めたまま唇を寄せて行く。
そして首筋に唇をまるで接吻のように押し当てた。
無精髭が肌を撫でるざらりとした感触とやわらかな唇の触れる感触に一護の肌が粟立つ。毎回繰り返される儀式のようなそれが一護は苦手だった。
だらりと垂らしていた手が,無意識に浦原の上着の腰の辺りをぎゅっと掴む。
そうでもしないと,浦原のことを突き飛ばしてしまいそうだった。
最初の衝動をぐっと堪える間に牙を突き立てられていた。毎度のことながら痛みは微塵も感じない。
ぷつ,と皮膚が裂ける感触があり,あとはとくりとくりと血を吸い上げられる不思議な感覚が続くだけだった。
体温が奪われて行く。くらり,酩酊にも似た目眩がやってきて,このまま意識を飛ばしたらすごくよく眠れるだろう。二度と目覚めることがないほどに。
そう思いふわりと微笑んだ瞬間,つぷ,と牙が抜かれる。
「ゴチソウサマでした」
満足げな息が肌に触れ再び唇が押し当てられる。
一護はふらつく身体を支えきれずに浦原にしがみついた。
「ありゃ,吸い過ぎちゃった?」
「るせ。なんでもいいからベッドまで運べ」
「仰せのままに。っていうか一護サンアタシも今日泊まって行っていい?」
「ふざけんな。オマエの顔なんてこれ以上見たくねぇ」
「でも,湯たんぽの代わりくらいはしてあげられますよ?」
何もかもお見通し,という口調の浦原に一護は舌打ちを漏らした。
血を吸われた後は寒くて寒くてたまらなくなる。
体温自体も下がり切っているせいだろう。それ以上に,自分の中から熱が根こそぎ奪われてしまったような心地がして。
「勝手にしろ」
掠れた声で吐き捨てるようにそう云うと同時にベッドにそっと身体が横たえられた。
目を瞑り重たい身体を無理に捩って浦原に背を向ける。
しゅるり,しゅるり,背後で衣擦れの音がする。
コートを脱ぎ,ジャケットを脱ぎ,ネクタイをはずすその気配も,毎度馴染みのものになっていて。
「お邪魔シマス」
吐息ほどの声音でそう云うと,浦原は空いたスペースにするりと身体を滑り込ませる。
腕を一護の腰に回し,一護の背中をそっと抱きしめる。
密着した箇所から浦原の体温が伝わってきてその温もりに一護は身体の力を抜く。
「オヤスミナサイ」
「………おやすみ」
夜が主な活動時間である浦原にとって,この時間を自分に割くというのはどういうことなんだろう。
食事の礼,ということなんだろうか。
よくわからない男だ。
なんで俺なんだろう。
頭の中を止め処ない疑問符がぐるぐると回る。
もう一度深く息を吐くと,一護は考えることを無理矢理止めた。
暗闇の中,小さな声が響いてくる。
浦原の声。
呟きというよりもこれは,歌?
じっと耳を済ませて言葉を,旋律を拾う。
浦原は,子守唄を歌っていた。
なんなんだよ,こいつ。
一護は堪らなくなって枕に顔を埋めた,
ところどころ掠れながらもやわらかで甘い歌声は一護が眠りにつくまで途切れることなく続いていた。
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多分続く。(いい逃げ)
(2006.01.25)