鰻
「いらっしゃいませ」
年の頃は60近く,半ば銀色の髪を上品に結い上げた女将が,店の入口で丁寧に頭を下げて二人を出迎えた。
浦原は扇子をぱらりと開くと鷹揚に「お久しぶりで。部屋,上ですか?」とかつてしったるなんとやら,の振る舞いを見せる。
一護はその背に半ば隠れるように立ち,ひとりでやきもきしていた。
「こちらへどうぞ」
会釈の形で階上を示され,二人は並んで履物を脱ぐ。
一護は常のくせですぐさま履物を整えた。
「一護サン,お店じゃそんなことする必要ないんスよ?」
「あ,ああ…そっか」
ふわり,頬が朱に染まる。
浦原はそれを目を細めて見つめると,「さ,行きましょ」とさりげなく一護の手をとった。
指を絡めて引く。
一護はよほど緊張しているのか,振り払うこともせず黙って手を引かれていた。
案内された部屋は二階の一番奥。
襖を開くと旅館の部屋のように靴脱ぎがあり,畳敷きの次の間があった。
そして本間へ続く襖がその先に。
一護はスリッパを脱いで上がろうとする浦原の袖を引いて名を呼んだ。
「浦原…ここ,なに?」
「え,うなぎ屋っスよ。昨日云ったじゃないスか」
「うなぎ屋って…俺こんなの」
「初めて?」
一瞬足を止め,浦原が意味深な笑みを浮かべる。
一護が返事に窮していると,先に襖を開けて部屋へ入った女将から「いかがされました?」と声がかかった。
「いいえ,何も」
浦原はそ知らぬ声でそう答えると「こんなところでもたもたしててもしょうがない。中へ」と一護の腰をぽん,と叩いた。
先へ促される格好で一護が先に本間へ入る。
本間は12畳ほどの座敷で,その中央に欅と思しき一枚板の重厚な卓が置かれている。
そして差し向かいになるように脇息つきの座椅子が二客。
一護は戸惑った挙句,床の間を背にしたほうではなく,その向かいの座椅子に腰を下ろした。
座椅子に敷かれた座布団h分厚くふわふわと柔らかくてどこか落ち着かない。
浦原の部屋でいつも枕にしているうすべったい座布団がふっと頭を過ぎった。
浦原は一護の対面に腰を下ろすと「ええとアタシはお酒。ひやで。一護サン何飲みます? ビール?」と品書きも見ないで注文した。
一護は浦原の慣れた素振りを腹立たしく思いながらも「酒なんか飲めるか。あの…ウーロン茶ってありますか?」とおずおずと女将に申し出る。
「ウーロン茶とコーラ,サイダーなどもございますよ」
品よく笑う女将に,一護はほっと胸を撫で下ろしながら「じゃ,すみませんウーロン茶で」と告げる。
少々お待ちくださいませ,と女将が部屋を出ると,如実にほっとした顔になった一護に浦原は「一護サン,なにもそんなに緊張しなくても…」とくつくつ喉を鳴らして笑った。
「うるせーな! なんでオマエはそんなふてぶてしいんだよ。普通緊張するだろうがこんな店来たら!」
「アタシは大人っスからねぇ。手前で稼いだ金で購うのになにを緊張する必要が?」
「くっそ…むかつく」
ふい,と不貞腐れ顔で顔を背ける一護。
窓の外につるされた南部鉄の風鈴がちりーんと涼やかな音をたてた。
「一護サン,おなか大丈夫っスか?」
「腹?」
「ここ,客が入ってから捌いて蒸して…って手順を踏むんで,ちょっと出てくるまでに時間がかかるんスよ」
「へっえ…なんかすげえ,本格的?」
「もしおなか空いてるようでしたら,なにかすぐ出るもの頼みますけど」
「や,平気。待つ。そんな手間暇かかる食い物,空きっ腹で食べなきゃ勿体ねえじゃん」
不貞腐れ顔もどこへやら,嬉しそうな顔で一護は云う。
ちょうどそこへ襖の外から声がかかり飲み物が到着したことを告げられた。
「お待たせいたしました。ご注文のお飲み物と,こちら,突き出しになります」
小鉢に盛られていたのは小振りな里芋のようなもの。端に塩が盛られている。
「お酒,お注ぎしましょうか」
と女将が云うのを浦原は「後は好きにやりますんで」と手で制した。
女将は気を悪くする風でもなしに心得顔で会釈をすると「それではどうぞごゆっくり」と部屋を出て行った。
「一護サン,どうぞ」
「やだよ酒。昼間から飲んだら頭悪くなる」
「それ…注文したアタシに対するあてつけっスか?」
浦原の眉間が曇る。
その顔をおかしがりながらも一護は差し出された杯を手に取った。
一杯だけな。そう云って。
元から酒に強い性質ではなかったが,さすがにこの程度で酔いつぶれたりはしない。
浦原が飲むのは旨い酒と相場が決まっていたのでそれを断る理由もないのだった。
「俺も注ごうか?」
「いいえ。アタシは手酌で」
浦原は優雅な手つきで自分の杯に酒を注ぐ。
一護はその手元にじっと視線を据えたまま,自分の杯から酒を舐めた。
「なんです?」
浦原が視線に気づきこちらを見る。
一護は慌てて杯を干すと「なんでもね」と顔を背けた。
「それより,なぁ…」
話題を転換するべく小鉢を指す一護。
浦原は杯を口元に運びながら目顔で先を促す。
「これ,どうやって食うんだ?」
指で抓んだそれは,どう見ても発育不良で小さい里芋だった。
しかも皮付き。
ためつすがめつして,このまま食うのか?と口を開けたところで浦原の笑い声がそれを制止した。
「皮付きじゃさすがにおいしくないでしょ」
「じゃあなんだよ。箸で剥くのか?」
「先端が少し剥けてるでしょ。そこに塩をちょっとつけて,指でぎゅっと押し出すようにするんスよ。そうするとつるりと中身だけがでます」
一護は素直に浦原の云ったとおりに里芋の先端に塩をつけた。
そして口元に運び,えい,と指先に力をこめる。
つるりと実が口の中に転がり込んだのを神妙な顔で咀嚼し,飲み込むと「けっこう旨い」と呟いた。
「きぬかつぎ,って云うんスよ」
「きぬかつぎ。へえ…」
更にひとつ手にとる。
同じ動作で口の中に実を落とすと今度は味わうべくゆっくり咀嚼する。
塩が芋自体の甘みを引きだし,かすかに泥の匂いがする。
泥の匂いといってもそれはちっとも不快なものではなく,芋の風味を引き立てる不思議な匂いだった。
「結構じゃない。これ,旨い」
瞬く間に小鉢を空にした一護は,物足りなげな声でそう述べた。
浦原は無言で一つ抓んだだけの小鉢を一護の方へ押し遣った。
「これもどうぞ」
「だってオマエの」
「アタシはこれがありますから」
そう云って再び杯を干す。
しばらく躊躇した後に,いつものごとく一護は小鉢を自分の下に引き寄せた。
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Flying colors // Ritsu Saijo presents
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