002.晴れの日も、雨の日も
ほっとけないし。ほっときたくないし。
眉間に皺寄せた難しい顔してるとこ見ると,笑わせてやりたくなんのよ。それが理由。
***
群青色の夜空には雲ひとつなく銀色の月だけが皓々と輝いている。
賭場で引っ掛けた女としばらくシケ込み,いい気分で戻ってきた白崎は月の光を背に明かりの消えた窓を見上げて口の端を引き上げた。
「まーだ二時だぜ?もう寝てンのか」
口調とは裏腹に声音は笑みをはらんでやわらかく夜気を揺らす。
足元から拾い上げた小石をぽん,ぽん,と放り,けれども窓ガラスに向けて投げることはせずもう一度道端に放り出す。
そして三階建ての屋根の上まで枝葉を茂らす無花果の枝に手を伸ばすと軽い動作で登りだした。
一般に無花果は幹も枝も弱く登るのには適さないとされているが,白崎の身軽さを持ってすればまさに朝メシ前と云ったところ。
あっという間に三階の高さまで登りきり,撓る枝に腰を下ろして窓の向こうを窺うと,ひょい,と身を寄せ片手で難なく錠を開けた。
キィ,とかすかな軋む音を立てて開いた窓の隙間に身を滑らせる。
窓のすぐ下に設えられたベッドでは白崎が所属するパーティのリーダである一護が健やかな寝息を立ててぐっすりと眠っていた。
白崎は脱いだサンダルを手に窓の桟に腰を下ろすと窓から差し込む月明かりを頼りにしばらくその寝顔に見入った。
共に旅するようになって一年。
こんなに続くとは正直思っていなかった。
自分で云うのも何だが,相当飽きっぽいという自覚はある。
女でも,仕事でも,自分を取り巻く環境ひとつ取ってもすぐに飽き,放り出す,というのを繰り返してきた。
これまでも誘いを受けてはいくつかのパーティに参加したが,正式な解散まで付き合ったことは一度もない。
お宝が適度に集まったところで根こそぎ浚って,ドロン。
いくつかの街には黄ばんだ手配書がまだ貼ってあるはずだ。
そんな風に生きてきた。
だから,今の状況が自分でも不思議でならなかった。
何が不思議って,ちっとも飽きることがないということが。
一年前のちょうど今頃,この宿の下にある酒場で白崎は一護に声をかけられた。
どこをどう見ても不機嫌としか云いようのない顔。
眉間に刻まれた深い皺。そしてへの字に結ばれた口許。
背は白崎より拳半分ほど低く,年の頃は同じか,ほんの少し下といったところか。
声をかけられたからには自分を仲間にしたい,と思ってるということなのだろう。
なのにこの不機嫌面は,と半ば状況を面白がるような気持ちで「ドーモ」と白崎が小さく首を傾げるように会釈すると,慌ててぺこりと頭を下げた。
栗色の髪に紅茶色の目玉。
生真面目そうな,といえば聞こえがいいが,融通が利かなそうだ,というのが第一印象だった。
いつまで経っても口火を切らない一護に痺れを切らしたのは白崎の方だった。
スタックがうんざりするほどついたベルトに指先を引っ掛け,肩を聳やかすようにして一護の顔を覗き込み「俺,盗賊しかするつもりないんだけど」と云うと,強張った顔のままこくん,と頷いた。
「金は?」
「あんまりない」
「とりあえず稼ぎに行かないと,ってことか」
前のリーダから支給されていた武器の類は賭場での種銭にあっという間に消え去って今の白崎が持つ武器は小型のナイフだけだった。
とりあえず何体か魔物をぶっ倒せば武器を盗む機会もあるだろ,と軽く構えて「ほんじゃよろしく」と手を差し出すと,ぽかん,とした顔の一護が白崎を見た。
「え,嫌?」
「いや,っていうか…何?」
「何って握手?これからドーゾヨロシクの挨拶」
「握手…」
おずおずと差し出された手をぎゅ,と握ると,一護は目玉が零れ落ちそうなほど目を見開いて白崎を見た。
その顔が可笑しくてくすくすと笑うと,眉間にぎゅっと皺を寄せ,白崎の手をぎゅう,と握り返してくる。
「とりあえず,名前聞いていい?」
「一護」
「俺は白崎。でもシロって呼んでいいよ」
「シロ?」
「そーそ。で,そっちは名前で呼んでいいわけ?」
「名前以外に何があるんだ?」
「例えばそーだな。リーダ,とか,ゴシュジンサマ,とか」
「気持ち悪い」
「あははは。いいね。じゃー,一護ちゃん,改めて宜しく」
に,と口の端を引き上げると,一護も攣られたように頬を緩める。
笑うとカワイイのな,と印象が少し変わった。
草原を駆け巡って魔物を倒して回るうちにあっという間に日が暮れた。
その日の夜のこと。
報酬は折半で,とイチバチで告げた条件に一護は逡巡することなく頷いた。
「え,ほんとにいいの?」
「なんで」
「なんでって…」
生真面目っつーよりこりゃ世間知らずだな。
そう思ったものの自分に都合が悪いわけではないので白崎は続く言葉を飲み込んだ。
報酬が折半なら魔物の倒し甲斐もあるというもの。
身軽さと素早さを武器にして速攻をかける白崎と,素早さには劣るが攻撃力が高い分止めを刺すのに有効な一護の組み合わせは効率がよかった。
一週間もすると装備を揃えて少し余るほどの金が蓄えられた。
「これ,オマエの分な」
そしてその夜,宿代をケチるべく野宿を決め込んだ洞穴の中,焚き火を明かりに銀貨をきっちり半分に分けると一護は約束どおりその一方を白崎の方へ差し出した。
「ありがと」
礼を云う白崎に小さく首を横に振ると自分の取り分を手元に引寄せ,「コレで二人分の装備って揃うか?」と白崎に尋ねた。
「え,二人分って俺のも?」
思わず聞き返すと当然だろ,という顔をされる。
「当然とかないから」
だって俺自分の分金貰ったじゃん?と気づいたときは欲得感情抜きにして突っ込んでいた。
「それはオマエの報酬だろ?こっちが誘ったんだから装備品とか揃えるのは当たり前」
「じゃないって。そんなこと云うの一護ちゃんくらいだって」
ほとほと呆れた。
世間知らずの上にお人好し。
こんな人間がこの年まで誰にもカモにされることなく平穏無事に生きてきたなんて,まるで奇跡だ。
白崎は親の顔も兄弟の顔も知らない。
物心ついたときには地獄の極卒のような盗賊一味の親方の下でこき使われる日々だった。
生まれつき身が軽いのと手先が器用なのと頭の回転が速いのとで親方の覚えはいい方だったが,それでも機嫌が悪いとぶん殴られたし食事も抜かれた。
言葉を覚えるのと同じ速度で他人を出し抜くことを覚えた。
世界は騙すか騙されるかしかなかった。
罪悪感は微塵もなかった。
いつだって騙される方が悪い。
白崎はずっとそんな風に生きてきた。
それなのに。
気づいたら「あーもう」と口が動いていた。
報酬,と寄越された銀貨をざらざらと一護の前の山に戻し,そこからひぃ,ふぅ,みぃ,よ,と数えながら十枚を抜き取る。
「今回の俺の取り分はこれでいい。残りで装備買お」
「でも,それじゃ…」
「いいんだよ。装備揃えた方がもっと楽に稼げるようになるだろ?」
「…いいのか?」
「俺がいいっつってんだからいいの。でもそーだな。装備より先になんかウマいもん食おうぜ?ちゃんと味のついたヤツ」
わざとらしく眉を下げて云うと,一護の顔がふっと緩んだ。
ぱちぱちと爆ぜる音を立てる焚き火には身体を洗うついでに飛び込んだ川で捕まえた魚が枝に刺さって炙られていた。
所持金が少なかったため塩と薬草と迷った上で薬草を取った一護の判断にケチをつけるつもりはなかったが,それでもあんまりにも味気ない。
表立っては何も云わなかったが一護も同じように考えていた,というのが知れて白崎はなんとなく嬉しかった。
「一護さ,あんまり金勘定得意じゃないだろ?」
手の中の銀貨をぽん,と宙に放り落下途中で掬い上げる。
それを手品のように右手から左手,左手から右手へと移して見せながら問うと,目をきらきらさせてみていた一護の顔が不意に強張った。
「あー,別に責めてるわけじゃないぜ?」
云いながら指先に挟んだ銀貨をぎゅ,と握りこみ掌を返す動きで二枚,三枚と増やしてみせる。
一護の視線が再び手の動きを追い出すのを見て,白崎は小さく笑みを零した。
「苦手なら,俺がやろうかってそんな話」
ぱちん,と手を叩いて両掌を一護に翳す。
四枚あったはずの銀貨はまるで空に消えたかのようにどこにもなかった。
一護の驚いた顔が上がり,それから白崎の言葉が耳に届いたのかすぐに真顔になった。
「無理にとは云わないよ。まだ会って一週間かそこらだしな。信用してくれって差し出すものもないし」
伏せた目を上げて,なるべく重くならないように言葉を継ぐと,一護は真っ直ぐに白崎を見ていた。
「助かる」
「へ?」
素っ頓狂な声を上げた白崎をよそに,一護は目の前に小山を築く銀貨をざらざらと皮袋に仕舞うとそれをずい,と白崎に差し出した。
「ちょ…,考えた?ねぇ,ちゃんと考えた?」
「考えるって何を」
「俺がこれ持って逃げるかも,とかそういうこと」
「逃げるのか?」
「逃げないけど!」
「だろ?」
「だろって…そんな,さぁ」
白崎は言葉の接ぎ穂を見失って途方に暮れた。
生真面目。
世間知らず。
お人好し。
どれをとってもカモとして絶好の要素だ。
その上その絶好の要素が三つも揃っている。
なのに,騙す気になれない。
こんなあけすけに自分を信じる他人に白崎は会ったことがない。
大概信じるに値する人間かどうかじっと値踏みするように窺われ,その後おっかなびっくり距離を詰めてくる,というのが常だ。
それなのに,この,一護は。
――騙されてもいい・て考えてるわけ?
そう聞こうとして口を開いたのに,白崎は声に出して尋ねることができなかった。
生まれて初めて真っ直ぐに向けられた信頼がこそばゆくて,嬉しくて。
この気持ちを台無しにしたくなかった。
差し出された銀貨の詰まった皮袋を受け取ってしょーがないな,と口の端を引き上げる。
ずし,と掌に感じた重みは中に詰まった銀貨の分よりもっと重たく感じられた。
「任せた」
どこかほっとした風な顔で云う一護に,白崎は茶目っ気たっぷりに片目を瞑り「任された」と返す。
その云いざまに一護が小さく喉を鳴らして笑う。
白崎は「ほんとに笑うとカワイイのな」と胸の裡でひとりごち,手にした皮袋をしっかりと腰のベルトに繋ぎ留めた。
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