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In the town where I was born
Lived a man who sailed to sea
And he told us of his life
In the land of submarines...


街頭を流れる数多のクリスマスソングを右から左に聞き流しながら口ずさむのは,どうしてかビートルズの「イエローサブマリン」
原曲よりもほんの少し間延びした調子でメロディを口ずさみながら胸の前で抱えた看板代わりのボール紙の端を指で弾く。
ボール紙には黒いマジックペンで「ストレス解消しませんか?一発五百円。二発からどうぞ」と書き殴られ,その下には「拳に自信のない方は平手でどうぞ」と右上がりのくせ字で書き足されていた。


黒崎一護25歳。
所謂「殴られ屋」である。


若者が多く集まる繁華街に程近い駅前広場のちょうど交番から四角になる一角。
首から提げたボクシング用のグローブをつけた客に二発から三発,多いときで五発ほど殴らせ,小銭を受け取る。
大事なのは目を逸らさないこと。
客の拳が飛んでくるタイミングを見計らい,バレないギリギリで勢いを殺ぎながら派手に吹っ飛んでみせる。
顔,然り,腹,然り。
そうすることで客は自力以上の効果に顔を綻ばせ気持ちよく去っていく。


一晩で少ないときで一万。多いときで三万ほど稼ぐ。
そのうち半額は場所代として帰りしなを見計らいどこからともなく姿を見せるヤクザモノに支払い,その残りが一護の稼ぎとなる。


割のいい商売,とはとてもじゃないが云えない。
しかしこれ以外に糊口を凌ぐ術が一護にはない。
誰に頭を下げることなく身元を探られることなく身一つで日銭を稼ぐにはこれくらいしか方法がなかった。


「おい,貴様」


不規則なリズムで点滅を繰り返す青と白のイルミネーションをぼんやりと眺めていた一護は,お世辞にも感じがいいとはいえないその声にゆっくりと視線を下げた。
イルミネーションを背景に立っていたのは中学生くらいの少女。
紺色のダッフルコートに身を包み首にぐるりと巻きつけたやわらかそうなパステル・イエローのマフラにうずもれる様にして険しい目を一護に向けている。


「客?」
「そうだ」
「一発五百円。二発からどうぞ」


云いながら抱えたボール紙を指先で弾く。
すぐさま二つ折りにされたまっさらの千円札が突き出され「二発だ」とぶっきらぼうな声が告げた。


「平手?拳?」
「拳」
「諒解」


口の端で笑うと首にひっかけていたグローブをはずし,手まねで手を差し出すように少女に告げる。


「きつくないか」


跪いてグローブをつけてやり,ちらりと視線を上げると硬い表情のまま少女はこくん,と頷いた。


「はい,じゃあどーぞ」


距離を空けて立ち,放り出すように声をかける。
構えからどこに拳が飛んでくるかシミュレートするが,結局のところは出たとこ勝負だ。
静かに深い呼吸を繰り返す少女を見つめ,一護はひっそりと身構えた。
すると,次の瞬間少女の目が真っ直ぐに一護を射抜き,その唇が笑みを刻む。
そして――。


「尽敵螫殺『雀蜂』」


呪文のようなものを唱えると一護の視界から少女が消えた。


「ッ!」


目を見張った一瞬の隙。


気づくと少女の姿が眼下に迫り,まるで宿敵と対峙するような殺気の篭った目が一護を捉えていた。


本能で防御の姿勢を取ろうとする身体を無理矢理押さえつけ,飛んでくる拳に合わせて僅かに身体を仰け反らせる。
しかし一護の反応より少女の動きの方がほんの僅か早かった。


数値にして二割ほどは殺いだと思われたが,小柄な身体から放たれたとは思えないほどの衝撃を顎先に食らう。
衝撃の余波で脳が揺れぐらりと身体が傾ぐ。
それでも無様に膝をつくことだけはなんとか免れ一歩二歩,後ろに下がっただけで踏みとどまった。
しかし先渡しで受け取った代金は二発分。すぐさま次弾が装填された。


「弐撃,決殺」


少女の唇がまた呪文のような言葉を唱える。
一護は口の中に堪る血を横に吐き出すと一呼吸置き,再び身構えた。


地を蹴って飛び掛るように間合いを詰め,着地と同時に深く膝を折る。
折った膝をばねにした勢いを全て拳に載せ攻撃する。
二度目となれば不意をつかれることはない。
勢いの七割を殺し,一護は再び顎先を狙ってきた拳を冷静に受けた。


大きく仰け反り,それからがくりと膝をつく。
口の端に滲んだ血を大仰に手の甲で拭いながら「お見事」と笑って見せると,少女はフン,と鼻を鳴らしながらもどこか満足げな表情を見せた。


「毎度どうも」


小さな拳からグローブを外すと,少女はくるりと踵を返し雑踏に向け「夜一様!」と一護に向けて発したものとは別人のようなかわいらしい声で呼びかけながら駆け出した。


「…なんだありゃ」


美少女格闘マニアとか?
思わず呟いた一護だったが,返る声があるわけもなく。


「末恐ろしい世の中だな,おい」


ため息混じりに呟きながら初撃を食らった顎をそっと撫でた。
これが,本日一人目の客。


世間が浮かれ惚けるクリスマス・イヴだと云うのに蟠る鬱憤を抱えた輩は意外と多いらしい。
その後も一人,また一人と声がかかり,普段の二割増ほどの客を相手にした。


肝を冷やしたのはあの最初の客だった少女と対峙したときだけで,後は可もなく不可もなく。
金を受け取り,グローブをつけてやり,大げさに吹っ飛んで見せ,顔を顰めながら愛想なく愛想を口にして見送る。
最後に客となったOL風の女――猫科の猛獣,もしくは猛禽類のように鋭い爪をしていた。そしてもちろん指定は平手。しかも四発。――を見送って一護は店じまいを決めた。
最後の客の武器と見紛う爪が掠めた頬の傷から滲む血を親指の腹で拭いながら深々とため息を吐く。
羽織ったブルゾンの裾を被せるように腰から下げたシザーバッグには四万弱の金が入っているはずだった。


ぱちぱちぱち,と気の抜けた拍手が聞こえて来たのはそのときだった。
冷やかしや隙あらば売上げをくすねようとする馬鹿の相手には慣れている。
面倒くせぇ,と口の中で呟きつつものろのろと音のした方に顔を向けると,一護の背後,広場と歩道を区切る柵に凭れるように寄りかかっていた黒づくめの長身の男がゆらりと身を起こした。


思っていたようなのとは違う姿だったが,黒い細身のパンツに黒いコート。ところどころ銀の混じったやわらかそうなファーが縁取るフードを目深に被った様子は,高そうな服を着込んでいる,というよりも胡散臭さ先に立つ。


「いやァ,見事なもんスねぇ」


瓢けた口調で云いながらゆっくりと歩み寄る男を一護は無言で見つめ,すぐ間近までやってくるとその視線を見つめるものから睨むものに変えた。


「おや,恐い顔」
「客以外に振りまく愛想はねぇよ」
「あらま。じゃあアタシもお客になろうかな」


さっきからずーっとずーっと見てたンすよ。ボクシング?いや,どっちかっていうと空手,スかねぇ。
男は相変わらずのおどけた声で尋ねるともなくさらりと分析すると不意に身体を折り,一護の足元に転がっていた看板代わりのボール紙を拾い上げた。
黒い皮手袋を嵌めた手でそこに書き殴られた文字をなぞりながら読み上げる。


「一発,五百円。二発から。へぇ,平手でもいいんだ?」
「女用だそれは」
「グローブは必ず?」
「それは俺の為じゃなくて殴る客の為。馴れねぇヤツが拳ぶん回すと怪我すんだろ」
「やさしいんスね」
「サービス業だ」
「じゃあ,グローブなしでも可?」
「料金は倍」
「なるほど」


男は頷くとボール紙を足元に戻し,両の手をコートのポケットに突っ込むとにこりと笑って一護を見た。


笑った,と云ってもそれは口許だけのこと。
目元は重たい雲間から時折顔を覗かせるこの時期の月のように淡い色の髪の下,さらにまんまるい黒眼鏡のレンズに隠されそのせいで柔和とも云えるその表情を殊更胡散臭いものに見せている。
一護は警戒を解かないまま険しい目を男に向けた。


「そんな,睨まないでくださいな」


困ったように肩を竦めて男が云う。


「…やンのか。やらねぇのか」
「やりますよン」
「じゃあ金」
「グローブなしは,倍額でしたよね」


一護が頷くと男はふふ,と平坦な音で笑って羽織るコートの懐に手を差し込んだ。
一護は黙って手を差し出す。
すると男は何気ない動作で空手を懐から抜き,差し出された一護の手首を掴んでぐい,と引いた。


完全に虚をつかれた。
マズイ,と一護が思ったときには男の顔が間近にあった。


「二発分。代金は先払い」


云うなりブルゾンの裾が捲られ,その下に着込んだTシャツの裾も捲られる。
露になった腰に夜気がひやりと触れ,最近また痩せたせいで緩くなっているジーンズのウエストに厚みのある何かが突っ込まれた。


「ッ!」


見開いた視線の先,黒いレンズの向こうから自分を見下ろす男の瞳が見えた。
頬に浮かぶやわらかな微笑と打って変わってなんの感情も見出せないまるで硝子玉のような瞳。
吸い寄せられるように思わず見入っていると次の瞬間後頭部の髪を遠慮ない力で鷲掴まれた。


痛いほど仰向かされた格好で男を見上げる。
喉が引き攣れ,唇が薄く開いた。
すると男はあろうことか一護の唇に自分のそれを押し当て「まずは,一発目。グローブなしの拳が倍額なら,キスはいくら?」とやわらかなそれを触れさせたまま囁いた。


男の言葉を耳が拾い,脳に伝達するまでにコンマ五秒。
漸く我を取り戻した一護が男の身体を突き放そうとすると,その両手をがしりと掴まれ,無理矢理後ろに回されるとそのままきつく抱きしめられた。


「これで,二発分」


云うなり,一度目の比じゃない激しさで口付けられる。
無意識に食いしばった歯の根を嘲笑うように舌が撫ぜていき,歯茎を擽られる。
ほんの一瞬の隙をついて舌が差し込まれ,文字通り貪るように口付けられた。


官能を越えた炎のような情欲を叩きつけられ,煽られ,呼気も吸気もまるのみされる勢いで奪われる。
与えられる情欲の炎は一護の中心にもその火種を落とし,一護は酸欠も相俟って思わず膝から崩れ落ちた。


「…いい顔」


一護の唇から伸びる唾液の糸をぺろりと舐めとり,男が笑う。
そしてもう一度今度は額にちゅ,とキスを落とすと,「メリー・クリスマス」と一護の目を覗きこむようにして囁きそのまま去っていった。


広場に敷き詰められたごつごつとした石畳が膝に食い込むのも忘れて一護は呆然とその場に座り込んでいた。
漸く動けるようになる頃にはもうどこにも男の姿はなく,頭がガンガンとするようなとてもじゃないが歓迎できない興奮と,口の中に残された煙草の苦味だけが残されていた。


「…なんなんだ,今のは」


呟く声は酷くかすれていた。
喉が渇く。
けれども求めているのは水なんかではなくて。


一護は苦しげに息をつくとゆるゆると頭を振り,ウエストを苦しくさせる男の手が突っ込んでいった分厚い異物を引き抜いて視線を落とした。


「なッ!」


驚きに声を上げると同時にそれをブルゾンの懐に押し込む。
手にあったのは紛うことなき「札束」。
しかも十万や二十万ではない。
帯封付のそれは,実際に目にしたことはなかったが恐らく「百万」の束。
それが,二束。


一護は俄かに鼓動が早くなるのを感じた。
慌てて周囲に視線を巡らせるが,やはり黒づくめの男の姿はどこにもない。
代わりに毎晩取立てにやってくるヤクザモノのスキンヘッドが肩で風を切るようにしてこちらへやってくるのが目に入った。


咄嗟に頭に浮かんだのはこの札束をあのヤクザモノに見られるわけにはいかない,ということ。
あの業種の輩にしては珍しく性質の悪い男ではなかったがそれでも隙を見せられる相手ではない。
しかしもうこの距離では隠せる場所も余裕もない。
仕方なく一護はジーンズのウエストを直すフリをして再び札束をもとあった場所に突っ込んだ。


「おう,一護。今日はどうだった」


切れ長の目に笑みを滲ませそう尋ねてくるスキンヘッドに一護は辛うじて引き攣った笑みを頬に貼りつかせ「ぼちぼち,だな」と返す。


「売上げは?」


問われて腰に下げたシザーバッグから紙幣をつかみ出し,ぎこちない手つきで数え,半数と割り切れなかった一枚を載せて差し出した。


「おう,ご苦労さん。まー今日はクリスマスだからよ,この一枚は駄賃にくれてやる。ケーキでも買って帰れや」


もしかしたらもう一杯ひっかけた後なのかもしれない。
斑目というヤクザモノは気安くそういうと「メリークリスマス」と一護の肩をぽん,と叩き引き上げていった。


再び一人になった一護はぼんやりと広場を行き交う人々を見,それからのろのろと立ち上がると上手く力の入らない膝を無理矢理動かし歩き出した。


懐に札束。
二百万。
食い尽くされるような,キス。


なんて夜だ。
男の容貌を思い出そうとすると目眩がした。


腹の底のもっと深くでぐつぐつと煮える感情があった。
怒りとも違う,もっと,こう,言葉にならない――。


見上げた空にはシリウスとオリオン。
一護は太い息を吐きながら背を丸めると従兄弟二人と暮らす塒へ戻るべく足を早めた。


駅前を回れば多分,終電を間近に控え最後の叩き売りで半値に下げられたケーキが買えるだろう。
買って帰ればコンが喜ぶ。
白は皮肉っぽく片方の眉をひょい,と上げて「ガキかよ」と笑うだろう。


この金はどうしよう。
とりあえず滞納している家賃を全額払って…けど一度に払うと不審に思われる。
隠し場所はどこだ。


自分の身に起こった出来事を一旦棚上げし,現実を頭の中でこねくり回しているうちに,ようやく頬から熱が引いた。


2008年12月24日。
これが,一護と浦原の出会いだった。















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メリークリスマス!
てなわけでちっとも甘くも幸せでないFlyingcolorsからのクリスマス・プレゼントでございます。
少しでも楽しんで頂けたら幸いです。(2008.12.25)