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普段ならば絶対承諾しない学会後のパーティへの顔見せを承諾したのは医者の不養生なんて洒落にならない言葉を地で行き、去年の冬、初雪が降った日に呆気なく早逝した旧友の跡取りが参加する、と小耳に挟んだからだった。
互いにそれなりに多忙な日々を送っているため年に二、三度あればよい方であったがそれでも途切れることなく暇を見つけては約束を交わし酒を飲んだ。
豪気な性質の友人は酔いが進むと必ず息子自慢を口にした。
――愛想はねぇ、ガラが悪ィ、ガキだろうがジジババだろうが遠慮がねぇ。でもアイツはいい医者になる。いい男になる。なんつっても俺の息子だからな!
親バカ、という人種は確かに存在するのだ、と呆れ半分感心半分で何度そんな言葉を聞いたことか。
残念ながら友人の存命中に愛息子と面識を持つことはなかったが友人の葬儀の際一度だけその姿を目にした。
黒衣がひしめく斎場で一際目を引いたのはその髪の色だった。
泣き崩れる妹の背にそっと手をやり、強張った表情ながらも気丈に振る舞うもう一人の妹を気遣いながら彼はそこにいた。
眉間に刻まれた深い皺。
苛立ちでも怒りでもなく、そこには確かに悲しみがあった。
そしてそれを押し殺し家族を背負って立つという覚悟が。
そのときはかける言葉を見出だすことができず声をかけることなく斎場を後にしたのだったが、彼が参加する、というのなら顔を出すくらいしてもよいか、と思ったのだ。
会場に入って10秒で後悔した。
主催である医学誌の発行元の担当者が浦原の姿を見るなりいそいそと歩み寄り乾杯の音頭をなどと言い出したのだ。
冗談じゃないと顔を顰めそうになるのをなんとか堪えながら丁寧に辞退を申し出たが最終的には引き受ける羽目に陥り、その後はどこぞの病院の院長だとかどこぞの医大の助教授だとかに囲まれ身動きひとつままならなくなってしまった。
ため息を噛み殺しながら引っ切りなしにかけられる声に愛想よく応えつつ会場内を見回すと壁際に鮮やかな彩を見つけた。
鮮やかなオレンジ色の髪にワックスで動きをつけ、細身のデザイナーズ・ブランドのスーツに身を包んだその姿は医者というよりファッション誌の表紙を飾るモデルのようだった。
通りかかったウェイタからマティーニのグラスを受け取り一息で煽る様は洒脱そのもの。
思わず口笛を吹きそうになるのを堪え、浦原はしつこく話しかけてくる同業他社の取締役に一礼して彼の方へ向かった。
「コンニチハ」
途中でピックアップしたマティーニのグラスのひとつを差し出しながら声をかけると、既に手にあった空のグラスを煽るようにし中にあったオリーブを口にくわえた彼――黒崎一護――と目が合った。
「…大手製薬会社の常務取締役さんが一介の町医者に何の用だよ」
爪先から頭の天辺までをじろりと無躾に一瞥しながらも浦原がグラスを差し出すとサンキュ、と軽く言って受け取った。
「お名前、お伺いしても?」
「黒崎一護」
云いながら胸元のプレートをぴん、と指で弾く。
「黒崎サン?」
「おう」
「いいお名前で」
にっこり、人好きのすると自覚のある笑みを浮かべてそう云うと、こちらを見つめる黒崎の目がほんの一瞬見開かれた。
続いて堪えかねたように笑い出す。
「え…変なこと云いましたアタシ?」
「や…だって普通こんな集まりで名前褒められるとは思わねぇだろ」
「思ったことまんま口にしただけなんスけど。……かけがえのない唯一のものを護る、そういう意味デショ?」
くすくすと耳を擽っていた黒崎の笑い声がぴたりと止んだ。
そして今度はまじまじと浦原を見る。
「あんた」
「あ、アタシは浦原って云います。浦原喜助」
痛いほどの視線を頬に感じながら、上着の内ポケットから名刺を差し出す。
「仰々しいな」
「自分でもそう思います」
「そのくせ変わってる」
「え、そう?」
「変わってる」
重ねて云われ、困ったように肩を竦めると、喉を鳴らすようにして黒崎が笑った。
「貰っといて悪ィけど…」
「あ、気にしないでくださいな。お名前教えてもらったし」
「そっか。…つーかいいのか?」
「え?」
首を傾げて尋ねると、黒崎は手にした空のグラスで浦原の肩越しに背後を示した。
「あんたに話しかけたそうな連中が微妙に列成してんぞ」
「……どっちかというと逃げたい感じなんですが」
「なんで」
「アタシ、見世物じゃないですし」
ぼそりと呟くと、黒崎は意外そうな顔をした。
「好きでやってンじゃねぇのか」
「そういう性質に見えます?」
「見える」
「うわ、即答?」
「事実だしな」
追い討ちをかけるように頷きながら言葉を重ねられ、がっくりと肩を落とす。
しかし浦原はめげなかった。
「ね、黒崎サン」
「あ?」
「もしよかったら…抜け出しません?」
「抜け出すってどこに…」
「どこにでも。アタシを連れて逃げてくださいな」
百戦錬磨を自称する会社の重役達を目の前に企画を押し通すときに用いる「有無を言わさぬ笑顔」のおまけつきで浦原がそういうと、黒崎が眉を顰めた。
「抜けるのは構わねぇけど、言い方が気色悪ィ」
素直な物言いに、浦原は堪えきれず思わず「ぷ」と噴出した。
こんなに楽しい思いをするのは久しぶりだった。
黒崎はちょっとここで待ってろ、と云い置いて踵を返すと、傍らを通り過ぎたウェイタに空のグラスを渡し、会場の中ほどで談笑している若者に近づいていった。
若者の肩を掴み、浦原の方を指差しながら耳元に何かを囁いている。
浦原が新しく受取ったグラスに添えられていたチェリーを口に咥えてひらりと手を振って見せると黒崎は呆れたように肩を竦めて若者の肩をぽん、と叩いてその場を離れた。
「オカエリナサイ」
「出るぞ。あんたはいいのか」
「あんたじゃなくて浦原」
「主催とか、声かけなくて」
「……黒崎サンが無視する」
「ぐちゃぐちゃと煩ぇな。どうなんだよ浦原」
あっさりと呼び捨てにされ、浦原は思わず破顔した。
「とりあえず義理は果たしましたし、後日クレームが来たらテキトウに往なしますよン」
ころりと調子を変えて云いながらにこりと笑うと、黒崎は一瞬口をへの字に結んで、それから深々とため息を吐いた。
「じゃ、行くか」
先を立って歩き出す黒崎を追って浦原も歩き出す。
さりげなく腕に腕を絡めると「何しやがる」と横目で凄まれた。
「酔いを醒ます振りをしといた方が無難かな、と思って」
「腕を組む理由になってねぇ。肩でも掴め」
「黒崎サンのが背、高いからやりにくい」
どうしましょ?と首を傾げて尋ねると、背後から「浦原常務!」と慌てた声がかけられた。
すると黒崎は顔を顰めてち、と舌を鳴らしながらもさりげない動作で浦原の肩を抱き、支えながらゆっくりとした動作で振り返った。
「どうやら少し酔われたみたいなんで、車までお送りしてきます」
丁寧ながらも有無を言わせぬ口調だった。
浦原は内心で口笛を吹きながらも調子を合わせるべく気だるげな声で「すみません」と言葉少なに詫びた。
声をかけてきた主催はまだ何か言いたげだったが、黒崎が二言三言言葉を継ぐと引き下がり去っていった。
会場のドアを抜け、広々とした通路を進み角をひとつ曲がったところで「いい加減自分の足で立て」と脇腹を小突かれた。
「ええ、もう少しいいじゃないスか」
「重てぇんだよ。もう十分だろ」
不承不承身体を離すと、黒崎は凝った肩をほすぐように腕を回し、「じゃあな」とあっさり歩き出した。
「え、待って黒崎サン!」
「あァ?まだなんかあんのか」
「なんで行っちゃうの?」
「は?」
「一緒に抜け出しましょうって云ったじゃないスか」
「だから連れ出してやっただろ。俺ァ帰ンだよ」
「えええええ…飲みに行きましょうよー」
「だるいからイヤダ」
「そ、即答…」
少なからずやショックを受けながらも諦め悪く追いすがり、手を伸ばして黒崎のジャケットの裾を掴むと呆れたように眉を上げた黒崎がため息を吐いた。
「なんでそんな俺に絡むわけ」
「え…だって」
「だって何」
「楽しかったし」
「何が」
「黒崎サンと喋るの」
半歩離れたところに立つ黒崎が胡散臭げに浦原を見つめる。
浦原はその目をじっと見返し、嘘じゃない、と表情で主張した。
「……変なヤツ」
「よく言われますそれ。で、場所なんですけど、この先のホテルの上階にいい感じのバーがあるんスよ。そこでどう?」
「奢り?」
「当然!」
「一杯だけな」
押し切る形ではあったが、浦原は内心で喝采を上げながら黒崎の腕を取った。
「黒崎サン、お酒強いっスねぇ」
「…オヤジ仕込だからな」
「若い頃から馴らしたクチ?」
「飲酒はハタチから、だろ」
「うーわ、うっそくさい!」
はしゃいだ声を上げながら、浦原は内心で首を傾げていた。
いったい、なんだって。
旧友の息子がどんな医者なのか、覚えた興味はそんなだった。
一言二言言葉を交わして、もし気が向けば父親の話でもできたら、とそれくらいのつもりだったのに。
「これが一目惚れってヤツっスかねぇ…」
ぽつりと呟いた声に、すぐ横を歩く黒崎の怪訝な顔がこちらを向く。
「何?」
「いいえ、何も」
にこりと口の端を引き上げながら、どうしたら一杯を二杯、三杯へと引き伸ばせるか、浦原は考えていた。
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微妙にいちうら風味,の続き。
携帯から発掘したのでupしてみる。書イタノ(´・ω・)(・ω・`)忘レテタ
(2008.09.05)