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白衣を脱いで椅子に放り「午後の診療は3時から」と書かれた札をドアに提げ一護は外に出た。
細身のジーンズのポケットに財布と携帯を捩込みキーチェーンをベルトフラップに引っ掛ける。
――昼メシ、スロット……いや、本屋か。
定期購読している医学雑誌の今月号が発売になってるのを思い出して息を吐く。
くしゃくしゃになってしまったパッケジから引き抜いた煙草を唇にくわえ足を留めて火を点しているとすぐ脇の車道を路肩に寄せるメタリック・シルバーの外車が目に入った。
ち、と舌を鳴らし車道に目を向けるのと、音もなくウィンドウが開いて「くっろさっきサン♪」と弾んだ声音で名が呼ばれたのは同時だった。
「……アンタ、よっぽど暇なのか」
「デキル男は余裕を作り出すものなんスよ」
「あーそーかい。で?」
一護のつっけんどんな応じにも怯むことなく窓から顔を覗かせる抗がん剤の国内シェア三割をキープする空座製薬常務取締役浦原喜助はへらり、と見ているこちらが気抜けするような笑顔を浮かべて一護を見た。
「お昼ごはん、食べました?」
「いや」
「ご一緒しません?」
「町医者には接待交際費なんて名目で落とせる金なんかねぇんだ。勝手に行け」
「イヤだなァ。誘った方がお金出す、なんてのはデートの基本じゃないスか」
「誰がだ」
「え?」
「誰と誰がデートだって?」
煙草をくわえた歯の隙間から軋るような声で云う。
その表情にも声音にも街場をうろつくちんぴら風情なら縮み上がるほどの威力があったが浦原相手では指先ほどの効果も上がらなかった。
「そんなのモチロン」と上目遣いに一護を見、にこりと笑みを深めると爪先まで手入れされた長い指をひょい、と一護に向けた。
「黒崎サンとボク」
「うちは脳外は専門外だ。よそ当たれ」
「えええ、一昨日健康診断の依頼出したところっスよ?多分今日当たり石田サンところから依頼が来るはず」
「だーかーら!なんで俺が石田先生んとこまで行ってテメェの健診なんかしねぇといけねんだッ!」
「そんなことよりごはん行きましょ。どうせ朝からコーヒーしか飲んでないんでショ」
「世話焼くな放っておけ。それよりなにより人の話を聞きやがれ!」
「だから、ごはん食べながら、ね」
語尾にぺとりとハートマークがつきそうな調子で云って、またへらりと笑う。
結局根負けしたのは今回も一護だった。
渋々を通り越して嫌々一護が助手席に乗り込むのを待って、浦原は上機嫌に車を出した。
「黒崎サン何食べたい?」
「牛丼」
「ぎゅ、え……」
ちらりと向けられた眼差しに「信ジラレナイ」と書かれているのを読み取って「なんだよ」と唸るように返すと再び前を向いた浦原が道化を削ぎ落とした声音で云った。
「牛丼に含まれる食品添加物…否、有害物質のパーセンテージについて解説しましょっか」
ひとの健康を守る医師がそんなことじゃ駄目じゃないスか。
ほんの少し口調をほどいて冗談めかして継がれた言葉に一護はフンと鼻を鳴らした。
「俺が守らなきゃなんねぇのは患者の健康でテメェの健康じゃねぇ」
「屁理屈云わない」
「嗜めンな。腹立つから」
「和食と洋食、それとも中華?」
「バーミヤン」
一護が口にしたのは程近くにある中華料理を出すファミレスだった。
ハンドルを握る浦原の口から深い深いため息が漏れる。
それでも進行方向に桃のマークをあしらった看板が見えると左にウィンカを切った。
餃子に炒飯、海老の炒めものに青菜のあんかけ。鶏の揚げたのに葱ソースがかかったものに五目焼きそば。
何皿も並んだ料理を挟み、テーブルについた一護は炒飯に添えられたスープを一口飲むと喉を鳴らしてくつくつと笑った。
「何?」
「いや、なんでもね」
そういいながらもまた喉を鳴らす。
向かいに座る浦原が可笑しかった。
フル・オーダと一目で知れる品のよいスーツに身を包み、シャツの袖にはブラックオニキスとプラチナのコンビのカフリンクス。
見るからに金のかかったナリをした瀟洒な男が街場のファミレスで箸を使っている様は違和感を通り越して滑稽ですらあった。
しかし本人はまるきりそんなことを気にしない風で飄々としているのがまた可笑しい。
「何なんスか?一人で楽しそうに」
「なんでもねぇって」
餃子の皿に箸を伸ばすとたれを注いだ小皿がひょい、と寄せられた。
「サンキュ」
「どう致しまして」
皿をつつきながら他愛ない話をする。とはいえ共通の話題がそうあるはずもなく、どうしたって途切れがちになってしまう。
しかし一護は一向に気にせず途切れたら途切れたまま無言で料理を口に運んだ。
それを見る浦原はほんの少し恨めしげな顔をするがすぐに苦笑に解いてまた別の話題に移る。
楽しげに喋る浦原を眺めて何がそんなに気に入られたんだか、と鼻を鳴らす。
知り合ったのは一年半ほど前。
一護が父親の跡を継いで最初の学会絡みのパーティの場だった。
学生時代からの友人であり同業でもある石田と共に参加した医学雑誌の発行元主催のパーティだった。
興味深い話が聞けるわけでもなく知り合いを増やしたいわけでもない。
話しかけてくる幾人かとは適当に言葉を交わしたが後はひたすらタダ酒を飲んでいた。
そんな一護に話し掛けてきたのが浦原だった。
浦原の顔と名前はレセプションの最初に知った。
一護の医院でも使っている数種類の鎮痛剤を製造している製薬会社、空座製薬の常務取締役。
上等なスーツに身を包み、耳に心地よい声で卒なく挨拶する姿を眺めても特に感慨があったわけではない。
自分とは縁のない人種だな、と思っただけだった。
だから声をかけられ正直面食らった。
自分の姿を顧みてド派手な頭したちんぴらみたいな若僧が紛れてやがる、と興味でも覚えたか、とぞんざいにあしらえば何が楽しいのかにこにこと話しかけてくる。
話題が先月から市場に出回り始めた抗がん剤の新薬の開発に纏わるものになると俄かに興味を覚えいつの間にか斜に構えた態度もナリを潜め熱心に話を聞いてしまった。
これがよくなかったのか。
以来事あるごとにに一護の前に顔を出しやれ酒だ、やれメシだ、と誘いをかけてくる。
邪険にあしらってもほとぼりが冷めるより早くまた顔を出す始末。
こんな風に子供じみた嫌がらせをしても懲りるどころか嬉しそうにしている。
――やっぱ、アレか。
先日自社の創業者である老翁と会食した際の出来事を面白おかしく語る浦原を水のグラス越しに眇め見て一護は口の端で笑った。
末尾一桁まできっちり割り勘にして会計を済ませ店を出ると一護は後ろを歩く浦原に向かって声をかけた。
「俺、本屋行くから」
「医学新星?」
「あ?あぁ」
買いに行く予定だった雑誌名を口にされ煙草をくわえながら頷くと、浦原が左手に提げていたアタッシェ・ケースを開け、中から名を口にしたばかりの雑誌を取り出した。
「どうぞ」
「……コレ」
「仕事柄10冊単位で送られてくるんスよ。黒崎サン確か読んでたよなーて思ったんでおすそ分け」
肩を竦めて云う浦原を見つめて、一護は静かに息を吐くとくわえていた煙草を掌に握り込み、一歩足を踏み出した。
革靴とサンダルの底の厚さの違い込みで身長差はニセンチ弱一護の方が高い。
逆に云えばそれしか違いがない。
なのに、コイツは――。
一護は目を見開いてる浦原のダークオレンジのネクタイを掴むとそのままぐい、と引き寄せた。
「え」の形に開かれた口の端ギリギリに唇を寄せ「ちゅ」とわざとらしく音を立てる。
そのまま間近から瞳を覗き込むようにして「構って欲しいならそう云えよ」と低めた声で云うと春の月のようにやわらかな色をした髪の下深い色の瞳が目一杯見開かれた。
一護は引き寄せたとき同様唐突に浦原の身体をつき離すと受け取った雑誌を掴んだ手で浦原の肩をとん、と突き「サンキューな」と軽く云って歩き出す。
背中に浦原の視線を感じたが振り返ることはしなかった。
浦原とは一度だけキスをした。
安い挑発に乗る振りで噛み付くように貪るように。
かなり酒にも酔っていた。否、酔ったふりをしていた。
夢中で舌を絡めながら深い色の瞳が色を変えていく様を眺めるのは悪くなかった。
でも、だからと云って。
簡単にオチてやるつもりはない。簡単にオトしてやるつもりもない。
今はまだしばらくこのくだらないゲームみたいなやりとりを楽しんでいたかった。
「く…黒崎サン!」
叫ぶように呼ぶ声にのっそりと振り返る。
上等のスーツもなんの駐車場の入口脇にへたり込んだ浦原は振り返った一護に向けて再度声を張り上げた。
「構って!」
これには一護が驚いた。
こんな馬鹿みたいな直球投げてくるタイプに見えなかったのに。
一護が度胆を抜かれていると更に浦原は更に声を張り上げる。
「構って!アタシ、黒崎サンになら弄ばれても後悔しな」
最後まで叫ばせることはしなかった。
大股に歩みよりとビンタする勢いで浦原の口を塞ぐ。
「テ、メェ、なんのつもりだ」
「愛の告白?」
「語尾上げんなムカつく」
「え、それって」
「誤解すんな耳障りだクソッタレって意味だ馬鹿」
「わー、馬鹿って云われた!新鮮」
「喜んでンな変態」
「黒崎サンが構ってくれるなら罵倒だって耳に甘い」
「頭沸いてやがる」
「恋は盲目。ちなみにアタシは八割抱きたい側ですが黒崎サンが相手ならそれを一割下げて七割」
「悪かったな。生憎と俺ァ十割抱く側だ」
見開かれた瞳に口の端を歪めてぽかんと開いた口に無理矢理唇を重ねる。
「弄ばれる覚悟が出来たら電話しろ」
唇を触れ合わせたまま低く告げ、まるで魂が抜けてしまったかのように呆然としてる浦原の頬を一撫でして立ち上がる。
まるめた雑誌で肩をとん、と叩いてサンダルの踵を引きずって。
思わず零れた鼻歌に眉間に皺を寄せて一護はくつりと喉を鳴らした。
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微妙にいちうら風味。
でも勝負はこれから。まだわからない。(●´艸`●)
(2008.09.05)