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Love Me Tender.





――の影は,新宿の,人の欲望煮えたぎる夜の闇に解けて消えた。


最後の読点を入力すると,浦原はキィボード上で大きく手を広げ上書き保存のショートカットキィを押した。


ふぅ。
ため息が漏れる。
しかしそれはここ数日幾度となく漏らした苦しげなものではなく,ようやくこの苦役から開放される,という安堵から齎されるものだった。
岩盤のように凝った肩をぐるりと回し,部屋続きになっているリビングのソファの上で本を読んでいる恋人の名前を呼んだ。


「一護サン」
「ん,終わったのか?」
「や,後もうちょっと」
「終わったら呼べっつったろ」
「おなか空いた」
「当たり前だ。一昨日の夜俺が無理矢理食わせたきりオマエなんも食ってねーじゃん。ひとが心配してんのに凶悪な面で睨みつけやがって…」
「スイッチ入っちゃうとどうしても駄目なんスよね…。ゴメンナサイ」


浦原が肩を竦めて詫びると,一護はやれやれ,とため息を吐いて立ち上がった。


「で,何食いたいんだ?」
「オムライス」
「また?」
「だってアタシのイチバンの好物て一護サンの作るオムライスですもん」
「……しょーがねぇなあ」


鮮やかな橙色の髪をくしゃくしゃと掻き乱しながらそれでもどこか満更でもなさそうな表情て一護はキッチンに向かった。
冷蔵庫を開け「卵あるし…鶏肉は冷凍してあんだろ。ケチャップもある」と材料の確認をしながらちらりと浦原を振り返り「オマエなあ!」と一喝した。


「15分くらいでできんぞ。それまでに終わらせなかったら食わせないからな!」
「はぁい」


浦原は完成済みの原稿に向き直り,続きを書いているフリをした。
こんな嘘をつくにはわけがある。


野菜を刻む警戒なリズム。
こつこつ,と卵の殻を割る音。
かしゃかしゃと割った卵を溶く音。
浦原が耳を済ませていると,そんな音たちに続いて鼻歌が聞こえてきた。


――かしゃかしゃかしゃ
たまごの黄色はおひさまの色
ふんわりふわりに焼き上げて
チキン,チキン,チキンライスをぱらぱらぱらぱら手際よく
赤いハートをおひさまに包んであなたにあなたに食べさせたい
オムライス,オムライス,愛しいあなたに,はいどうぞ
私のスペシャル,愛のオムライス――


きっと無意識なのだろう。
何の気無しに口ずさむその歌詞を浦原は聞き取りながらキィボードの上で指を踊らせる。


か,可愛い…。可愛いすぎる。
背中を向けているのをいいことに,顔を全開に笑み崩して浦原は頬杖をついた。


バターをたっぷり使って卵を焼くオムライスは確かに美味だったが,浦原がそれをねだるのはこの歌のせいだった。
普段は呆れるくらいに照れ屋でその上頑固。
間違っても甘い愛の言葉など口にしない一護がオムライスを作るときはいつも臆面なくこの歌を口ずさむ。
もちろん自分を思ってのことじゃないだろう。
それがわかっていてもこの歌を耳にするたびに浦原は一護への愛しさを募らせてしまう。


歌が二巡したところでハミングに変わった。
浦原はモニタに表示された歌詞を一文字ずつ消していき,最後にもう一度上書き保存をかけた。


「浦原,できたぞ」
「はぁい。今行きます」


引き出しからまっさらなメディアを取り出しドライブに放り込む。
焼き付けの指示を出して浦原立ち上がった。

















「ほれ」


ことん,と目の前に置かれた皿にはふわふわの卵が載ったオムライス。
続いていつの間に作ったのかサラダとスープのボウルも置かれ,華やかな食卓になった。


「いただきます」


両手を合わせてそれぞれに云い,スプンを手に取る。


「つーかオマエそれ止めろよ」


一護の嫌そうな声を聞きながらそれでも怯むことなく浦原はスプンで掬ったケチャップでハートの形を描き上げた。


「でーきた」
「…最悪」
「なんで?愛のオムライス〜て感じしません?」
「ハァ?」


思わず節をつけて言ってしまった浦原は怪訝そうな一護の視線にぶつかると慌てて首を横に振った。


「なんでもない。さて,頂きましょ」
「や,ちょっと待て」
「え」
「今のさ」
「あ,だからなんでもないって」
「や,そうじゃなくて。今の歌。なんて歌?」
「ハイ?」


一護の問いをはぐらかさんと一口掬って頬張ったオムライスは,とろけた卵にバターの風味が効いていて,チキンライスのほのかな甘さと共に自覚していなかった空腹を浦原に知らしめる。
けれどもそれより一護の問いに意表を突かれて,浦原は二口目を掬う前にスプンをオムライスに添えたまま一護を見た。


「オムライス〜,て口ずさんだだろ。あの歌。有名な歌なのか?」
「え,なんで?」
「その歌,俺も知ってんだけど,元々誰が歌ってたのかは知らねんだよ」
「あぁ…ええと,それは」
「教えろよ」


口にオムライスを運びながら一護が重ねて云う。
浦原がどうしたものかと視線を逸らし頬の辺りをスプンを持った指でぽりぽりと掻いていると「教えろってば」と更にせっつかれた。


ここまで問われたら,仕方がない。
浦原は小さく息を吐くと「アタシもよく知らないんスよ」と困った顔で云った。


「知らないってなんだよ。いい加減なこと云うな」
「だってアタシも聴いているうちに覚えたんスもん」
「聴いてるうち?」
「そ。一護サンが口ずさんでるの,聴いてるうちに覚えちゃった」


俺が…,俺。俺?
スプンを持った指を唇に当て,一護は浦原の言葉を反芻するように呟いた。
そして次の瞬間,ばふん!と音を立てそうな勢いでその顔が真っ赤に染まった。


「なっ!つーか,オマエ!」
「ほんとはバラしたくなかったんスけどねぇ…」
「あ,あ,あほか!盗み聞きしてんじゃねえッ!」
「えー,最初は偶然だったんスよ?一護サンが珍しく鼻歌うたってるなーって耳済ませてたらなんだかすごく可愛い歌で。偶然かな,て思ったらオムライス作る度に歌ってるから,いっつも密かに楽しみにしてたのに」
「悪趣味ッ!」


一護は恥ずかしいやらなにやらで真っ赤な顔のままオムライスをばくばくと頬張った。
浦原はくすりと笑って自分もオムライスを口に運びながら「でも」と話を続けた。


「一護サンは誰に教わったの」
「……おふくろ。俺がガキの頃,オムライス食べたいって云うと必ずあの歌口ずさみながら作ってくれた」
「なるほど」
「んで,おふくろが死んだ後は親父が。親父も毎回この歌うたいながら作ってて,俺ずっとそれを傍で見てたから…」
「ついつい自然に身についちゃったんでしょうねぇ」


浦原の言葉にそういうこと。と一護はこくんと頷いた。


「でかくなってからnetとかでその歌のこと調べてみたりしたんだけど,どこにも情報なくてさ。そしたらアレかな。もしかしておふくろが勝手に作った歌だったのかな」
「そうかもしれないっスねぇ。でもお父さんまで歌ってたって…」
「オヤジはノリノリだったぞ。愛しいあなたに,のところをやけに伸ばしてとんとん,てフライパンの縁を叩くんだ。それから皿の上のチキンライスに卵をごろん,て落として」
「……その姿を想像するとちょっと恐いスね」
「ちょっとどころじゃねぇよ。ガキだから何にも疑問に思わなかったけど,今やられたら確実に蹴り入れたくなる」


真顔で云う一護に,あはははは,と笑って浦原はスープのボウルを引き寄せた。
ブイヨンのストックにサイコロ状に切ったじゃがいもとにんじんと玉ねぎとベーコンが入ったスープはシンプルだけど滋味深い味がする。


「あー,幸せ」


思わず解けた声で云えば一護が「当たり前だろ」とくしゃりと笑った。


「ところで今日はこれからどうします?」
「どうするってオマエ寝るんだろ?」
「一護サンと一緒ならね」


わざと意味深に微笑って云えば,一瞬の空白の後一護の頬が真っ赤に染まる。
スプンをくわえたままくすくす笑ってそれを見つめる浦原は食べ終わったら一護サンが観たがっていた映画の上映館を調べよう,と笑みを深くした。












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日記にて「どれの二人だかわかりますかー?」て募集してみたところ何人もの方がメィルをくださいました。
みなさん遊んでくださりありがとうございましたv

(2007.02.18)

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