SWINGS AND ROUNDABOUTS

extra





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「次は鳴木三丁目,和菓子の大黒堂前です。お降りの方は――」

座席の横に設えられた釦は一護が押す前に別の乗客が押したらしく赤いランプが点灯し,車内には「次止まります」のアナウンスが流れた。
結露した硝子を掌で拭って,流れる景色をぼんやりと眺める。
コクトーの住まいを訪ねるのは,二度目だった。

大晦日の夜。
浦原と喧嘩をして,部屋を飛び出した一護は飲み屋街のはずれにある小さな公園で屋台を開けていたコクトーに拾われて家へと連れて来られた。
今にして思えば強引にもほどがあるやり方だったけれど,コクトーは一護が見失っていた本当の気持ちを思い出させてくれ,そのおかげで一護は浦原の元に戻ることができたのだった。

――俺が拾ってやるよ。
耳元で継がれた低い囁きを思い出して,一護はひとり息を呑んだ。
頬が熱い。
顔が赤くなっているのがわかる。

あれは,コクトーの冗談だ。性質の悪い,冗談だ。
わかっている。
わかってはいるけれども。

掴まれた手の熱が。
否,だからアレは。

悶々と葛藤を繰り返しているうちに,バスは徐々に速度を落とし,ブザーに続いてドアが開いた。
一護は二つ空けた前の席の乗客が立つのに気づいて慌てて席を立ち,料金を支払ってバスから降りた。

「遅ぇ!」

いきなり降って来た声に,一護はびくりとなって声の方を振り返った。
するとそこにはジーンズにダウンジャケット,しかしなぜか足許は素足にビーチサンダルという格好のコクトーが寒そうに身を縮こまらせて立っていた。

「何してんだよ」
「迎えに来たんだっつの。お前ここからうちまで道わかんのか」

云われて周囲を見回し,まったく見覚えのない街並みに気が付いた。
考えても見れば当たり前だ。
この間来たときは夜だったし,歩いたのは駐車場からアパートまでの道だった。

一応コクトーには駅前でバスを待っているときに今からいく,とメールで知らせてはあったのだけれど,一体いつから待っていたんだろう。
ていうか,それよりも――。

「なんでビーサンなんだよ」
「るっせ。いちいちブーツ履くの面倒だったんだよ。オラ,行くぞ」

顎をしゃくるようにして歩き出すコクトーに,一護は小さく笑って足を踏み出した。
細い通りを二本越えると,見覚えのある通りに出た。
少し歩いた先に,見慣れた白いヴァンが停まっている駐車場があり,やっぱりな,と記憶が違っていなかったことを確認する。
コクトーは「うー寒ィ,くっそ。雪でも降るんじゃねえか,コレ」とぼやきながら踵を引きずるような足音をさせてすたすたと歩く。
一護はふ,と思い立つと「コクトー」と半歩先を行くコクトーの名を呼んだ。

「あン?」
「コレ,貸してやるよ」

云いながら首に巻いたマフラーをはずし,コクトーへと差し出す。
コクトーは差し出されたマフラーと一護を交互に見ると,口の端をニヤリと引き上げ,両手はポケットに突っ込んだまま礼をするように頭を突き出してきた。

「ンだよ」
「巻いてくれ。手,冷たくて出せねえ」
「甘えんなっつの」

云いながらも外したマフラーをぐるりと巻きつけて首の後ろで結んでやると,コクトーはのっそりと身体を起こし,一護の鼻先で「サンキュ」と笑った。

「…顔が近ぇ」
「男前だろ?」
「寝言は寝て云え」
「ツレねぇなあ」

云いながらも喉を鳴らして笑うコクトーに,一護はンったく,とため息を零した。

コクトーの部屋は,何か変わった匂いがした。
料理っぽいけれど,食欲をそそるというのとはまた違う,でも,いい匂い。
靴を脱ぎながら一護が鼻を鳴らすと,先に部屋に上がったコクトーがそれに気づき「仕込みしてんだよ」と肩を竦めた。

「仕込み?」

云いながら台所に目を向けると,ガスコンロの上に大きな寸胴型の鍋が置かれていた。
それが匂いの元らしい。

「仕込みってアレか?中身何」
「出汁。生地作るのに使うやつ」
「って自分で作ってんのか!」
「ッたり前だろ。市販であの味が出せるかっつの」

云いながらコクトーは鍋に近づき,その表面に掌を押し当てた。

「よし,大分冷めてんな」

蓋を開けながら一護に「テキトーにしてろよ。コレ開けちまうから」と部屋の方を指差す。

「見ててもいいか」
「別にいいけどよ。面白いもんでもねえぞ?」

丁寧に手を洗った後,コクトーはシンクの中によく焼酎などが売られている大きなペットボトルを置き,そこに漏斗を差し込んだ。
そして鍋を流し台に置くと,一護の家にあるものの数倍はありそうな大きなレードルで漏斗へだし汁を注ぎ込む。
足許に並べられたペットボトルを見て,一護は黙って手を出した。

「下,持っててやるよ」
「おー,サンキュ」

ほの温かいだし汁がペットボトルに注がれていくのを眺めながら,すげぇな,と一護は感心していた。
コクトーの焼くたこ焼きは美味い。
でも,その味の理由を考えたことなど今までなかった。
小麦粉を解いた生地のとろりとした姿を思い出す。
あの中にはこのだし汁以外に一体何が入っているんだろう。

そんなことを考えてるうちにペットボトルが満杯になり,一護が漏斗を持つ横でコクトーがそれに蓋をして空のものと入れ替えた。

「そういやお前,何しに来たんだ?」

今更なことだったが,一護自身ここにやってきた理由を忘れかけていたのではっとなって「ちょっといいか」と漏斗をコクトーに預けて部屋の隅に置いた鞄の元へ向かった。
潰さないようにバスに乗ってからはずっと手で持っていた小さな紙袋を手にコクトーの元に戻ると「何だこれ」とコクトーはしげしげと紙袋を見つめた。

「チョコレート。うちの妹がいつもたこ焼き貰ってるお礼にって」
「マジかよ!わざわざ悪かったなぁ」

嬉しそうに云うコクトーに一護も嬉しくなりちょっと誇らしげな気持ちで「ちなみにそれ,手作りだぜ」と付け足すと,コクトーの目が驚いた風に見開かれた。

「手作り?お前んちの妹小学生だろ?」
「アイツ,好きなんだよそういうのが」
「へぇ…。あ,俺今手ェ塞がっちまってっから一護中開けて見せてくれよ」
「終わってからにすりゃいいだろ」
「バッカ,あと何本あると思ってんだよ」

かこん,と音を立てて足元に並べられた空のペットボトルを蹴るコクトーを見て,一護は肩を竦めた。
仕方なしに袋から小さな箱を取り出し,包み紙を剥がして蓋を開けると,「おお,すげえ」とコクトーがはしゃいだ声を上げた。

「手作りとかいつぶりだ,俺」

しみじみした口調に噴出しながら「客からは貰わねえの?」と揶揄すると「あー,そういやお前に預かってんのあるぞ」と企む顔でコクトーが笑う。

「預かってる?」
「サトエママだよ。お前のことすっげ気に入ってる」
「あ…のひと,か」

思わず顔を強張らせた一護に,コクトーがけらけらと笑う。
サトエママというのはコクトーの店の常連で,スナックを経営する女傑……というか,オカマだった。
身長は軽く180センチを越え,体重は三桁は軽くあるだろうと思われる巨体を思い出し,一護はごくりと喉を鳴らした。

「安心しろ。市販品だ」
「いや,問題はそこじゃねえだろ。……やっぱ来月お返しとか用意した方がいいのか?」
「そこは気持ちだろ。俺がどうこう云うもんじゃねえ」
「って,お前は貰わなかったわけ?」
「あー,八個ンとこ十二個のにおまけして渡した。だから俺の分はチャラ」
「ずっりィ!」

一護が喚くと,コクトーは「ざまァ」と意地悪く口の端を引き上げ「ンなことよりそれ,食わせろよ」と一護の手の中のチョコレートを顎でしゃくった。

「食わせろって」

だから終わってからにしろって,と一護が云う前に,コクトーは「あーん」と口を開けた。
そして手は再び空のペットボトルにだし汁を注ぎ始める。
一護は仕方なく箱の中のチョコレートを一粒摘むと,コクトーの口へと押し込んだ。

「味わって食えよ」
「おう」

云いながら,コクトーは何が楽しいのか,それとも嬉しいのか,目元を和らげて黙々と手を動かしている。
口の中でチョコレートが溶けてしまうと,再び口を開ける。

「……鳥かなんかに餌付けしてるみてぇ」

一護がぼそりと云うと,チョコレートに歯を立てようとしていたコクトーの目が一護を見た。
そしてそのまま,一護の指をぱくりと咥える。
指先に,濡れた感触。
指紋をなぞるように舌先が動き,くすぐったさと同時に背骨から力が抜けてしまいそうな甘ったるい感覚が走る。
真っ白になった頭で呆然とコクトーを見つめると,紫暗の瞳がぞくりとなるような艶を帯びた。

「逃げねぇと,このまま食っちまうぞ」

指先に歯を立てたまま,くぐもった声でコクトーが云う。
その言葉の意味を解した瞬間,一護は飛びのく勢いでコクトーから離れた。

「な,ななななな,何すんだお前!!!」

舐められた指をぎゅっと握り締めてぎゃんぎゃんと喚く一護に,コクトーは笑うだけで応えない。
一護は顔を真っ赤にしたまま背後からコクトーに近づくと,脹脛を蹴り付けた。

「いってえ!」

声を上げるコクトーに「ざっけんな!この!」と云いながら更に一発,二発。
痺れを切らしたコクトーがレードルを鍋に投げ込み,漏斗をペットボトルの口に残したまま一護を抱え込むまでその攻撃は続いた。

「調子こいてんじゃねーぞクソガキ!」
「ざっけんな!お前が!変なことすっからだろ!」

頭を抱え込まれ,ぎゅうぎゅうと締め上げられながらも一護はコクトーの足を蹴り続ける。
しばらくどたばたしていると,部屋の壁がドン!と大きな音を立て,一護の動きがぴたりと止まった。

「…あ,悪い」
「あー,気にすんなって。シンケーシツなんだよ。隣のヤツ」
「って,今日平日だよな。仕事とかしてねえの?」
「知らね。あんま深いこと気にしてやんな」

云いながらコクトーは一護から離れると,音を立てた壁に向かい,そこをどかっと蹴り付けた。

「いつかそこの壁抜けそうだな」
「バーカ。古い建物のが作りしっかりしてたりするんだぜ」

云いながら戻ってきたコクトーは一護の頭をくしゃりと撫で,片頬を歪めるようにして笑った。