SWINGS AND ROUNDABOUTS

extra





§・§・§



二月半ばの日曜日の夜。
風呂上り自室に戻った一護は勉強机の明かりだけを点した部屋の中,どさりとベッドに腰を下ろすと携帯電話を手に取った。
メールの画面を開き,「明日,暇か」と素っ気無い一文を打ち込んで送信する。
ベッドの上に胡坐をかき,濡れた髪を拭きながら,膝の上に放り出した携帯をちらちら気にしていると,程なくしてディスプレイのバックライトが点った。

「はい」

通話釦を押しながらそう応じると低く笑う声がして「早ぇな」とコクトーの声がした。

「音消すの忘れてたんだよ。だからだっつの」
「あー,もう遅ぇからな。で,どうしたよ。こんな時間に」
「用件ならメールに書いただろ」
「暇かって?明日は休みだぞ俺」
「知ってる。だからメールしたんだって。店やってれば黙って顔出すだろ」

云いながら一護は勉強机の上に置かれた小さな紙袋を見てため息を吐いた。
その中には双子の妹のひとり,遊子の手作りのチョコレートが仕舞われている。

今日の午後のこと。
特に予定もなく部屋で雑誌を捲っていると,階下が俄かに騒がしくなってきた。
そういえば朝食のときに友達が来るとか遊子のヤツが云ってたっけ,と思い出し,昼食を取りがてら家を出た。
夕方帰宅したときには家中甘ったるい匂いで満ちていて「なんだこりゃ」と顔を顰めながら台所に顔を出すと,遊子と夏梨が並んで後片付けをしていた。

「あ,お兄ちゃんごめんね。夕ごはんこれから支度するから」
「そりゃ構わねぇけど,なんだこの匂い」

くん,と鼻を鳴らすと「明日の準備!」と弾むような声が返された。
明日…ってなんかあったっけか。
そんなことを考えながら冷蔵庫へ向かい牛乳のパックを取り出そうとすると,きれいに片付けられた冷蔵庫の棚二段が茶色い物体で占められていた。

チョコレート?
首を傾げて,漸く思い至った。
――バレンタインか。

コップについだ牛乳を飲み干し,「これも頼んでいいか」と食器洗いをする夏梨に差し出すと「一兄ィの分もあるから安心しなよ」と生意気な口調が返ってきた。

「夏梨,お前も作ったのか?」

どちらかというと男勝りな性質の夏梨が珍しいこともあるもんだ,と一護が尋ねると,途端に眉間に皺を寄せ「そんなわけないでしょ。あたしは味見係」という応え。
だろうな,と一護が云うと,向こうで遊子が声を上げて笑った。

そして夕食後。

「ちょっと早いけど,朝だとばたばたしちゃうから先に渡すね。お兄ちゃんの分はこれ。で,あとこっちがコクトーさんの」

と当たり前のように小さな袋を二つ渡されたのだった。

「コクトーの分?」
「だって,いつもお兄ちゃんがお世話になってるし,それにたこ焼きのお土産も貰うし!」
「で,なんで俺に寄越すんだよ」
「だって,いきなり私が持って行ったらびっくりするでしょ。直接話したことないし。お兄ちゃんから渡して貰うのが一番いいかなって」
「そのために遊子,わざわざ一式用意したんだから,一兄ィけちくさいこと云ってないで届けてあげなよ」
「あー…,そりゃまぁいいけどよ」
「ほんと?ありがとうお兄ちゃん。コクトーさんによろしく伝えてね?あと,いつもたこ焼きご馳走様ですって」
「あたしの分もついでに伝えといてね一兄ィ」
「味見係のくせにか」
「ちゃんと片付け手伝ってるでしょ!」

妹たちに押し切られる形ではあったが,まぁどうせ学校が終わった後に顔を出すことになってるし,と紙袋を受け取ってからはた,と思い出した。
今日が日曜日,ということは明日は月曜日。コクトーの屋台の定休日だった。

そして今に至る。

「家にはいるぜ。こっち来るか」
「んじゃそうする。バスで行くにはどうしたらいい」
「駅前まで出て来いよ。迎えに行ってやっから」
「休みなんだろ?わざわざ出てくる必要ねえって。ガキじゃねんだし」
「よっく云うぜ。ガキのくせに」

喉を鳴らすように笑いながらも,コクトーは近所のバス停の名前を告げ,道に迷ったら電話してこい,と揶揄するように付け足して電話を切った。
沈黙した携帯電話をベッドの上に放り出し,肩に落としたバスタオルを椅子の背に引っ掛ける。
ごろりとベッドに横になると,視界の端で再び携帯のバックライトが点った。

慌てて手を伸ばす。
すると,耳に押し当てた電話機から聞こえてきたのは浦原の声だった。

「一護サン?」
「何かあったのか」
「いえ。一護サンこそ。呼出音なる前に通じたからびっくりしちゃった」
「あー,今電話使ってたから」
「そうなんだ」

ひっそりと笑う声に,耳朶がじわりと熱くなるのを感じる。

「仕事,終わったのか」
「一応,なんとか。明日は予定通り夕方前の新幹線でそっちに戻れそう」

三日の予定で出張に出ている浦原から,お土産があるからもしよかったら取りに来て,と昨日の電話で云われていた。
それでも予定が延びてしまうことも侭あるので,予定は未定のまま,今日一日一護は携帯を気にしながら過ごしていたのだけれど,これで漸く未定が確定になった。

「俺,何時にそっち行けばいい」
「何時でも。駅前で待ち合わせしてもいいけど…」
「疲れてんだろ?俺も夕方ちょっと寄らなきゃなんねえところあるから,それ終わったら行くよ。お前は先家帰ってろ」
「早く,会いたい」

押し当てた電話機から聴こえてきた低くかすれる声に,ぞくりと背筋が震えた。
それだけではない。電話機を押し付けた右側の耳から,声が伝わるのと同じ速度で皮膚が粟立ち,息ができなくなる。
頭の芯が熱くなり,一護はぎゅ,と目を瞑った。

不意打ちは卑怯だ,と思う。
思うけれど,責める言葉も詰る言葉も出てこない。
同じ気持ちだ,と告げることも。

「…一護サン?」
「明日,行くから」
「はい」
「待ってろ」

それだけ云うのが精一杯だった。
通話を切った後,一護はしばらく動くことができなかった。
手の中には熱を帯びた携帯。
それをぎゅ,と握り締めて,ごろりと寝返りを打つ。

明日。
明日になれば。

続く言葉を飲み込んで,一護は毛布に潜り込むと目を瞑った。