So Far


西條 葎





† † †



「不眠症…ってヤツ?」
「そんなおおげさなものじゃ」


云いながら浦原は首を横に振る。


「でも…年に何回か大きな波があって,それに当たると駄目」
「駄目って…何日も眠れなかったり?」
「眠れても,些細な音で目が覚めて。犬の遠吠えだとか,酔っ払いが空き缶を蹴飛ばす音だとか」


そういえば,と一護は思い当たるのを感じた。
前に夜更けに一緒に映画を観たとき,浦原はこんなことを云っていた。


――こんなに気持ちよく眠れそうなの,一週間ぶりなんスよ。だから…少しだけお願い。


もしかしたら,あのときも?
ふ,と過ぎった疑問をそのまま口にすると,浦原は躊躇った後に小さく頷いた。


「なんでか知らないけど,一護サンが横に居るとよく眠れるんスよ」
「冷え性,とか?」
「それはないなァ。…いちおうね,自分でもいろいろと試してみたんですけど,傍に誰かの体温があってぐっすり眠れたのは一護サンだけだった」
「だからいっつも人のこと抱き枕みたいにして寝てたんだ?」
「ゴメンナサイ」


肩を竦めるようにして詫びる浦原に,一護は首を横に振る。


「ほんとは電話なんかするつもりなかったんですけど,ちょっと参ってたみたいで」
「……何日寝てないの」
「ええと」
「嘘,つかないでな?」


じ,と浦原の横顔を見つめてそう云うと,困ったような笑みが口の端に浮かび,ぽつりと「今日でちょうど一週間」ため息ほどの声音が返された。


「身体,大丈夫なのかそれ」
「もう慣れてますから」
「そういう問題じゃねえじゃん。俺が近くに居たら寝れるとかっていうなら昼寝でもなんでもしたらいいだろ?なんで黙ってんだよ!」


焦りとか心配とか,そんなものたちがいっしょくたになって叱り付けるような口調になってしまった,と気づいたのは言葉を切った後だった。


「……っと,ゴメン」


バツが悪くなってそう詫びると,傍らの浦原の身体からくたりと力が抜け,ほんの少し低い位置にある一護の肩にその頭がことん,ともたれた。


「ありがとう」


耳元で零された静かな声。


「なんで…礼なんか」
「だって,心配してくれた」


一護は何も云えなくなって口を噤む。
なんでそんな嬉しそうな声で云うんだ。
どうしようもない気持ちになった。


「あのさ,時間とか気にしなくていいから,電話,いつでもしてきていいから」
「え」
「無理してるわけじゃないぜ?もしかしたら寝ててでないかもしれないけど,でも浦原さんがかけてきた電話が俺にとって絶対迷惑になることはないから。それだけは絶対だから」


肩に触れるぬくもりを感じながら,一護は一生懸命に言葉をついだ。
膝の上で握り締めた掌に爪が食い込むのを感じた。


「なんで」


浦原の声が揺れていた。


「なんでそんなにやさしくしてくれるの」


上手く答えられる言葉を一護は持たなかった。
答える代わりに手の中でほんの少し溶けてしまったチョコバーの残りを口に押し込み,噛み砕いた。


そんなの,一護にだってわからない。
相手が浦原だからだ。
それだけは確かだった。
それだけが確かだった。


そんなやりとりがあった後,週末に限定された土曜日の明け方や日曜日の明け方,浦原から電話がかかることが何度かあった。
一護は携帯電話の取扱説明書を首っぴきで浦原からかかる電話の着信音を変えた。
ビートルズのブラックバード。
携帯電話に内蔵されていた音楽の中でそれが一番きれいだったから。


どんなに深く眠っていても枕元に置いた携帯電話が鳴れば一護は目を覚ました。
いつ電話がかかってきてもいいように,金曜の夜は早めに寝るようになった。
顔を合わせて欠伸ばかりが浦原が心配する,そう思って。







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