So Far


西條 葎





† † †



こんな風に夜明け前の公園で待ち合わせをするのはこれがはじめてのことではなかった。
きっかけは一護が進級する前のこと,学校に親が呼び出されるという小さな事件が起こった。
イワユル「エロビデオ」を扱う浦原の店に中学生である一護が出入りするのは好もしくない,というのがその趣旨だったが,夜更けに家を抜け出して浦原の家へ遊びに行っていることもバレてしまった。
こっぴどく叱られることを覚悟した,というよりも,一護は浦原に迷惑がかかることを恐れて食事も喉を通らないほど思い詰めたが,なんだかよくわからないうちに一護を目の敵にしていた教員は春の人事異動で学校からいなくなり,結局なし崩しになってしまった。
しかし一護は自分が考えなしに取った行動が自分の大事な人に迷惑をかけることになるのだ,と痛感し,それ以後夜更けに家を抜け出すことはしなくなった。


浦原の方でも変化があった。
午後からだった開店時間が夜からに変わった。
学校帰り一護が顔を出すと店はまだシャッタが締め切られたまま。
建物の裏手にある玄関から一護は上がりこむのだけれど,この変化に一護は最初ものすごく戸惑った。


「なぁ,俺のせい?」


泣きそうな顔になっている自覚はあったが聞かずにはいられなかった。
もしそうだ,と云われたらもうここに来るのはやめないといけない。
これ以上迷惑をかけるわけにはいかない。
身を切られるような思いに頬を強張らせて尋ねた一護に,浦原はなんでもないと云う風に笑って「違いますよン」と首を横に振った。


「嘘だ。そんなの」
「嘘じゃないっスよ。じゃあ証拠見せてあげる」


浦原はマグカップをことん,と卓の上に置くとその脇に置かれていた真っ白いノート型のコンピュータの蓋を開け,起動釦を押した。
しばらく待って,浦原の指がキィボードの上を滑るように動き,それからくるりと画面が一護の方へ向けられた。


そこには目がチカチカするような動画バナーがいくつも点滅していた。
その中のひとつにじっと目を凝らすと肌色の…女の人の,身体が。


「うわッ!」


目に浮かんでいた涙も吹っ飛ぶ勢いで仰け反るように身を離すと「どれ見て反応したの,今?」と可笑しそうに浦原が笑う。


「な,なんだよそれ」
「元からね,店舗営業ってそんなに利益率よくないんですよー。ほら,お店の人と顔合わせて借りるってやっぱり気まずいものがあるじゃないスか。うちに置いてあるようなマニアックなヤツなら特に」


一護サンもわかるでしょ?
首を傾げて尋ねられても「うん」と答えられるはずもなく。
しかし浦原はいっかな気にならない様子で説明を続けた。
先ほど見せられたサイトは浦原が管理しているもので,オンライン発注型のレンタルショップなのだという。


「ほんとは店,閉めちゃっても構わないんスけど,この街にも何人かお得意サンがいるもんで,その人たちのために今は開けてるの。営業形態が変わっただけだから,一護サンは気にすることない。それに,売上げだって今の方がいいくらいなんだから」


滔々と続く浦原の説明によると,店に並べられたマニアックな品揃えのほかに同業の店主たちと協力して品揃えも充実させ,その上アダルトグッズの通販なども手がけているらしい。


「もし一護サンが興味あるなら今度倉庫に遊びに行ってみる?」


と尋ねられたが,一護はぶんぶん,と首を横に振ってその申し出を断った。
その説明で納得しきれたわけではなかったが,結局以後も一護はまだほんの少し心が痛むものの変わらず放課後は浦原の家で過ごしていた。


春が過ぎて,夏が来て。
一護の誕生日には今二人で聴いているミュージックプレイヤを贈ってもらった。
U2やビートルズ,ピーター・ガブリエルもポリスもみんな浦原に教えてもらった。


夜,家を抜け出すことがなくなった代わりに,電話で話すことが増えた。
携帯電話は父親からの誕生日プレゼントだった。
欲しいんだけど,とねだったのは一護で,父親は片方の眉をひょい,と上げてまじまじと一護を見つめた後,「いいエロサイトあったら俺にも教えろ」ととんでもないことを云いながら翌日には黒い折り畳み式のを買ってきてくれた。


かけてくるのはいつも浦原から。
話すのは他愛ないことばかり。
15分くらい,長くても半時間ほど言葉を交わして「おやすみ」と言い合って通話を切る。


明け方前にかかってきたのはそんなやりとりをするようになってしばらく経った,夏休みの最中のことだった。
午前中から妹たちを市民プールに連れて行き,夕方早めに帰ってきたもののすっかり疲れてしまいその日は随分と早寝をしていた。
そのせいかもしれない。
枕元に放り出してあった携帯電話から聞こえる着信音に目を覚まして夢うつつで通話釦を押した一護の耳に飛び込んできたのは自分でかけておきながら驚いている浦原の声だった。


「…なんでびっくりしてんの」
「え,だって,今,時間」
「浦原さんがかけてきたんだし」


苦笑交じりにそういうと,「そうですけど」と云いながら浦原も小さく笑った。 こんな時間にゴメンナサイ,とすまなそうに詫びる浦原に一護は別にいいよ,と答えながら俺も目ぇ覚めたしどうせなら散歩でもする?と軽い気持ちで口にした。
次の瞬間,ふ,と沈黙が降りた。電話の向こうで浦原が口を噤む気配だけが,耳に押し当てた電話機越しに伝わってくる。


「…一護サンに会いたいな」


焦って呼びかけようと口を開いた一護の耳に返されたのはそんな言葉だった。
一護はかぁ,と顔が熱くなるのを感じた。
顔だけじゃない。心臓も,頭の中も,全部熱かった。


上手く回らない口で慌しく待ち合わせの約束をし,一護は通話を切った携帯電話を膝の上に放り出し,顔を掌でぺちぺちと叩いた。


なんで,こんな。
未だどきどきと煩い心臓に拳をぎゅ,と押し当てて目を瞑る。
すると耳の奥に今聴いたばかりの浦原の声が蘇り,一護は慌てて目を開いた。


寝癖だらけの頭もそのままに,服を着替えてそっと家を抜け出した。
まだまだ熱帯夜が続いているとはいえ,夜明け前の街はひんやりとして気持ちがいい。
深呼吸を繰り返しながら歩いているうちに少しずつ落ち着きを取り戻した。


待ち合わせの公園はぼんやりと朝もやに煙っていた。
今と同じようにブランコの柵に腰掛けて足元をぼんやりと見ている浦原に,一護は呼びかけた。


「浦原さん,おはよ」
「オハヨウゴザイマス。……起こしちゃってゴメンナサイ」


どこか元気のない様子が気になって,一護は首を横に振りながらその横に自分も寄りかかった。
食べる?と差し出されたチョコバーの紙を剥きながら,一護は横目に浦原を窺った。


「……何かあった?」
「…何も」
「嘘だろ,それ」
「…どうして?」
「浦原さん,元気ねえもん」
「そんなこと」
「なくないだろ?……それとも俺みたいなガキじゃ話聞く相手にもならない?」


自分で口にした言葉が自分に刺さるのを感じた。
口の中のチョコレートの欠片を噛み砕かずに丸呑みする。
喉を引っ掻きながら塊が落ちていくのを感じながらそりゃそうだよな,と諦めにも似た気持ちと,それでも浦原が話してくれたら,という気持ちが胸をぎゅっと締め付けた。


「……眠れなくて」


ぽつり,浦原が呟くように云ったのは,一護が沈黙に耐え切れなくてごめんと口にしようとした寸前のことだった。
一護は言葉を飲み込んで顔を浦原の方へ向けた。
ごっそり表情が抜け落ちたような,今まで一護が目にしたことのない顔をした浦原がそこに居た。







>> next