.Kus. vol.03
西條 葎
§・§・§
このゲームは501と呼ばれるスタンダードなゲームでプレイヤ二人はそれぞれ501点を持ち点にゲームをスタートさせる。
ボードは円を二十等分してあり,外周に点数の数字が表記されている。
中心にある二重の円をBULL(ブル)と言い,内側はブルズアイと呼ばれ二十五点×二,その周囲はシングル・ブルと呼ばれ二十五点で計される。
的には二つの帯状の輪がある。一番外側にある輪はダブルリングと呼ばれ点数の二倍,内側の輪はトリプルリングと呼ばれ点数の三倍として計算する。
スローイングラインに立ったプレイヤはボードに向かって三本のダーツを放つ。これを「1スロー」と呼ぶ。
501は持ち点から1スローごとに得た得点をマイナスして行き,先に持ち点をゼロにした方が勝者となる。
また,男が云った「トリプル」と云うのは正確には「トリプルイン・トリプルフィニッシュ」と云い,ゲームの難易度を上げる制限のことを指す。ゲームの始まりと終わりは必ずボード上の二重の円のうち,内側のトリプル・リングにヒットさせなければならない。
「Middle for diddle」
呟いてボードを見つめる。
意識が研ぎ澄まされていき,迷いのない動作で腕を振る。
放たれたダーツはまっすぐにブルズアイを射抜いた。
「…お見事」
ふふふ。
笑いながら男がスローイングラインに立つ。
流れるような動作で腕が振られ,一護が放ったダーツのすぐ横,にヒットした。
バーテンがカウンタから出て,ボードに向かう。
そして二人の方に向き直るとまっすぐに一護を見た。
「一護サンが先行だって」
男の言葉に一護の口からは安堵の息が漏れた。
このゲームに限ったことではないが先行を取れるか否かで勝率はぐんと変わる。
――Game Start.
一投目。
一護が放ったダーツは狙い通り15のトリプルをヒットした。
出だし好調。
勝つためのジンクスでもあるポイントを得られたことで一護の肩から無駄な緊張が抜けていく。
一護はそのまま間をおかずに二投目を投げた。
11のダブル。
ち,と舌打ちが漏れる。
狙いが僅かに逸れた。
一護の狙いは14のダブルだったのだ。
三投目。
6のトリプル。
合計得点は85。
小さくガッツポーズを決めて後ろを振り返ると,ひゅう,と口笛が吹かれ,嫌味ったらしい男の笑みが向けられた。
「腕,上げましたね」
「負けるのは趣味じゃねぇからな」
ふふふ。
笑いながら男がスローイングラインに立つ。
何の気負いもなしに放たれたダーツはいきなり20のトリプルをヒットした。
一護の口から呻きが漏れる。
ボード上最も高得点なのはブルズアイの50点ではなくこの,20のトリプルの60点なのだ。
いきなり追い詰められて一護は忌々しげにボードを見つめた。
二投目。
狙いが僅かに逸れたのか1のトリプル。
目にした一護は頬が緩むのを感じた。
三投目。
またしても狙いは逸れ,5のトリプル。
思わずくつりと喉が鳴る。
振り返った男を「だっせ。欲かくからだバァカ」笑いながらスローイングラインに向かう。
男の得点は78。一歩リードといったところだった。
五回,六回と交互に投げ,得点は一護が477,男が480になっていた。実に7点の僅差。
勝負は七回目に持ち越された。
持ち点の残りは26。
一護は呼吸を整えると9のシングルを狙った。
ヒット。
二投目。
2のシングル。
これも狙い通り。
501では持ち点がゼロになった方が勝者。
マイナスになってしまった場合は問答無用で敗者となる。
三投目。
一護の狙いは15のシングル。
狙いを定め,ダーツを放つ。
しかし,その瞬間――。
からんからん。
店の入口のカウベルが鳴った。――最悪のタイミングで。
一護の放ったダーツは,爪先一枚分狙いが逸れ,10のシングルにヒットした。
「……ちくしょ」
スローイングラインから外れるべく足を踏み出すとすれ違いざま男が「ご愁傷サマ」と囁いた。
勝負は見えている。
この期に及んで男がミスを犯すはずがない。
暗澹たる思いでボードに目を向けた一護は,無駄取りしつつも「地震でもくりゃいいんだ。もしくはなんだ…アイツが急激な腹痛に見舞われるとか」そうひとりごちるのを我慢することができなかった。
男の指先から放たれたダーツは,吸い込まれるように一護が狙いを外した15のシングルに吸い込まれた。
最悪。
コイツほんっとーに根性悪ィ!
拳をぎゅっと握り締め,男を睨みつける。
そんな一護に気づいた男は,口の端を線対称に引き上げにっこりと笑った。
二投目。
1のトリプル。
三投目。
1のトリプル。
小憎らしいまでに難易度の高いポイントの取り方で男が勝利を収めた。
「ふぅ」
満足げな息を吐きながらこちらにやってくる男を一護は射殺さんばかりに睨みつけた。
「I'm winner.」
おどけて云う男に殺意にも似た感情を覚える。
嫌いだ。
大ッ嫌いだ。
こんなヤツ――!
悪感情を隠そうともしない一護を眺見つめ,男は楽しくて楽しくて仕方ないというような笑みを浮かべ,優雅な動作で手を伸ばした。
「さっきの賭けですけど…,ちょっと変更」
云うなり白く筋が浮き上がるほどきつく握り締められた一護の拳をそっと包み込むように持ち上げた。
「何す――」
一瞬の空隙。
手の甲に触れるやわらかな感触。
男は大きく見開いた一護の瞳の先,その手の甲に恭しく口付けた。
ちゅ,と音がしてやわらかな感触が離れていく。
名残惜しげに指を撫でられて,ぞわり,皮膚が粟立った。
「な,なななな,何しやがるッ!」
弾ける勢いで手を引き,感触を薙ぎ払うようにぶんぶんと振る。
それだけでは飽き足らず,コーデュロイ地のパンツの腿の部分にぐいぐいとこすり付けて拭った。
「何もそこまでしなくたって。…アタシだって傷つきますよン?」
「知るかッ!つーか何しやがんだテメェ!」
「知らない?」
「あ?」
「手の上なら,尊敬のキス。辛くも敗れたけれど健闘する姿勢は讃えて余りあるもの,ってね」
茶目っけたっぷりのウィンクのおまけつきで云った男に,一護の眉間に見る見るうちに深い深い皺が刻まれていく。
「テメェ…,覚えてろよ浦原ッ!」
「あ,やっと名前呼んでくれた。瓢箪から駒ってあるんスねぇ」
「いつか殴る。その面ボッコボコにしてやるッ!」
「うわぁ,暴力反対!勝負はダーツで,ね?」
「ね?じゃねぇよ!ね?じゃ!」
喚き拳を振り上げた一護から男――浦原は大仰な動作で逃げ惑う。
一護は淡い月色の髪をひとつに括り,耳朶に穿たれた濃い色の石が嵌めこまれたピアスがきらりと光る浦原の横顔を睨みつけて太い息を吐いた。
こんなヤツが,こんなヤツがあのひとと同じ名前だなんて…!
浦原の下の名前は知らない。知ろうとも思わない。
浦原の姓が浦原であるというだけで一護には耐え難い屈辱だった。
――いつか改名させてやる!
きつく握り締めた拳で口元を押さえ,何とか怒りをやり過ごそうとした。
しかしそれを見た浦原が「あ」と嬉しそうに声を上げてすべては台無しになった。
「わぁ,一護サンたら間接キスだ」
語尾にハートマークでもつきそうな声音にガチリ,と音がしそうな勢いで一護が固まる。
浦原は猫を髣髴とさせる身のこなしでその傍らに歩み寄り,微かに俯く一護の顔を覗きこんだ。
「一護サン?一護サーン」
「……気安く名前呼ぶなっつってんだろ」
「もう一勝負,どう?」
「次は負けねぇ」
「今度は何賭けましょっか?」
こうして熱い金曜の夜は更けていく。
果たして勝負の行方は――?
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