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「いーちごサン,朝ー」

暢気な声を目覚めつつある意識の端で聞き,それでも一護は最後の足掻きとばかりに毛布を抱き寄せ,耳の上まですっぽり被ると声に背中を向けるように寝返りを打った。

「起きないと遅刻しますよー。今週,交通安全週間とかって取締強化されてるから,制限速度六十キロオーバで通学路をぶっ飛ばすなんてことできないんスから」

シャッ,とカーテンの開く音。
毛布からはみ出た皮膚が感じる,雨の気配。
天気予報が入梅を宣言して一週間,今日も律儀に雨は降り続いているらしい。

「…めろ,馬鹿」

不機嫌に喉奥で唸るように云って,更に深く毛布に潜り込もうとする。
すると,ぎし,と微かな音を立て,ベッドが軋んだ。
背中のすぐ後ろに膝がつかれる気配。

ヤバイ――!
身体を強張らせたときには既に遅し。
包まる毛布をちょい,と引き下げられ,露になった耳にそうっと息が吹き込まれた。
ぞわわわわっと皮膚が粟立ち,一護が飛び起きる。

「テッメエ,浦原ッ!」
「はーい,オハヨウゴザイマス」

今日もいいお目覚めで。
へらりと笑って浦原は「御大が一緒に朝食を,とダイニングでお待ちっスよ。テッサイが今支度してるから,顔洗って早く行って上げてくださいな」と寝癖で髪が奔放に跳ねる一護の頭をくしゃりと撫でた。

御大,と浦原が呼ぶのは一護の祖父であり,この街に古くから根を下ろしている暴力団組織の組長を務める山本元柳斎重國のことだ。
七十の坂を越え尚その威丈夫たる体躯に衰えは見えず,愛刀流刃若火を振るう居合道は今をもって尚名人の域を維持し続けているという。
普段は母屋で部下達と打合せを兼ねつつ朝食を摂るのが常だったが,時折こうして一護が暮らす離れを訪ね,共に朝食を,と望むことがあった。

ましてや,今日は――。
胸の奥がチリ,と小さな痛みを発する。
五年を経て尚,癒えることのない痛み。きっと一生抱え続けて行く痛み。

「まったく,お年寄りってのは朝が早くていけない。アタシなんか起こされたの五時半っスよ…」

際限なく沈んでいきそうになる物思いを停めたのは滑稽なほどに弱り果てた口調の浦原の声。
一護は強張りかけた肩の辺りから意識して力を抜くと,ザマミロ,と憎まれ口を叩きながらベッドから降りて浦原の前に立った。
当たり前のように浦原の手が伸び,一護のパジャマの釦を外していく。
傍らにはきっちりアイロンのかけられた制服が一式置かれている。

「あー,今日一限,体育」
「わかってますよン。はい,だからTシャツ」
「ん」

ばさりと被せられたTシャツをもぞもぞと着込み,シャツを羽織る。
すると浦原の手が再度伸び,また釦をひとつずつ嵌めていく。

「浦原ァ,今日の午後さ」

視線を窓の外,降り続く雨に向けながら一護が云うと「わかってますよン。サボるんでしょ」と笑みを孕んだ声が返される。
浦原は表向き一護の世話係として祖父に雇われている格好だったが,浦原が主人として認めるのは一護一人だった。
一護が口にするどんな我侭も,浦原が否を返すことはない。
――その身が危険に晒される場合を除いて。

「はい,出来ました。ネクタイは顔洗った後ね」
「ん」

サンキュ,と云い置いて一護は部屋を出る。
洗面所で顔を洗い寝癖をざっと直した後台所に顔を出すと見上げるほどの体躯を割烹着に包んだテッサイがにこやかに「おはようございます」と挨拶してきた。

「おはよう。メシ,俺が運ぶよ」
「いえいえ,どうぞお先に。山本殿がもう随分と長いことお待ちですので」
「ん。じゃあ箸と茶碗だけ」
「ありがとうございます」

小振りな鎌倉彫の盆に二人分の食器を載せ,一護は祖父が待つというダイニングに向かった。

「おはよ」
「おお,起きてきよったか」
「ジーサンが早いんだよ。まだ七時前だろ」
「まぁそう云うな」

苦笑を浮かべる祖父の前に瑪瑙を蔓で包み込むように編んだ箸置きを置き,専用の箸をそっと置く。

「…少し背が伸びたか」
「そっか?」
「ここ三ヶ月で二センチ」

体裁よく調えられた膳を手にした浦原が顔を出し,しれっとした口調で答える。

「なんでオマエそんなこと知ってんだよ。身体測定来週だぞ」
「一護サンのことでアタシが知らないことがあるわけないでしょ」
「なんだそれ」

そんな二人の軽口の応酬を,山本は目元を笑ませて眺めていた。











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(2008.05.03)





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