偽翼蛇は歌う
ユンケル・ロイヤル
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話には聞いていた。
クライアントは年若い青年で、そしてこの業界で屈指の業績を誇る手腕の持ち主だと。
「この儂に入手出来ん情報は無い」と豪語する友人からとっておきのシングルモルトと引き替えに入手した彼に関するデータは、彼が属する組織の中でも群 を抜いた売り上げを弾き出し最年少で幹部入りを果たしたこと等が示されていた。
ファイルに添付されていた幾つかの画像。
望遠で狙ったのだろう若干上方からのアングルのその画像は、背景に紺碧の海と真白い建物が連続する風景を従えた鮮やかな髪の青年を捕らえていた。おそらく場所は地中海の何処か。すらりとした細身の躯、否応にも眼を惹くオレンジ色の髪、色付きレンズのバイザーの所為でその表情は窺い知れない。写真の中の彼は海風に白いシャツをはためかせ、数人の人物達に囲まれている。幾人かの見知った顔…彼らは今の己と同じような『傭兵』であった過去を持つ彼の私兵達。
この業界において、業績をあげることは刺客が増える事実とイコールだ。
調べ上げられた記載にある彼の信条は『前金必須』、行動は躊躇無く迅速。
その商才は友人が云うところに寄れば『コヤツの父親同等、或いはそれ以上』らしい。
数年前に他界した彼の父とは旧知の仲。あの男の息子がならば会うに値すると思ったのも事実だが、大半の理由は『退屈凌ぎ』だった。
眼の前の彼は、写真の中の彼よりも随分と年若く見える。
事実、入手した生年月日から換算したところ未だ数ヶ月ぶん二十歳に満たないはずの彼は十分に年若いのだが、実際にこうして向かい合うと高校生と云ってもすんなり納得できるくらいの印象だ。先進国において彼くらいの年頃の若者達は微笑ましいキャンパスライフを過ごしているのが一般的、小国の国家予算ほどの金を転がしている彼のような若者はざらにはいないだろう。
黒崎一護。
新進気鋭の、ウェポン・ディーラ。
「まどろっこしいのは嫌いだ。単刀直入に行こうぜ。アンタ、俺に雇われてくれんの?」
YES or NO?
バイザーをしていない一護の視線は真っ直ぐに浦原へと注がれて、意志の強そうな琥珀色が浦原の内側を探る。
その言動は、なるほど彼の父親に似た物言いだ。
容姿自体は母親似なのだろうあの髭面男の遺伝子は薄いようだが、真っ直ぐで人を引き付け魅了する眼差しは、確かに彼の父、黒崎一心の印象と酷似している。
あの髭面と過ごした数年間は、浦原の過去において確かに退屈を免れた時間だった。
その関係の基本はやはりクライアントと雇われ兵の範疇に留まっていたけれど。
不意に、根拠のない何らかの要素をその琥珀の中に垣間見た気がして、ちいさな希望的観測事項が浦原の内に芽生えた。
彼にならば、この惰性に満ちた世界を面白可笑しくしてくれる可能性を見いだせるかもしれない。
死に埋没することを只だらだらと待つだけの自分に、何かを与えてくれるかもしれない。
ほんの少し一護に緩い笑みを差し向けて、浦原は白いテーブルクロスの片隅に追い遣られていた青いガラス製のアッシュトレイに視線を流した。
「煙草、良いスか?」
「許可を求められるような権限は未だ無ぇよ」
「……それもそっスね」
にへら、と気安く笑って浦原はジャケットから紙巻き煙草の未開封パッケジを取り出すとフィルムを捲って、先ほど入り口のカウンタで入手したこのレストラン・バーのロゴが入ったマッチを擦って火を付ける。
じじ、と微かに音をたてて灯った指先の煙草に眼を遣って、奔放な様子の淡い色の髪を掻き上げた浦原の唇から満足げな吐息が零れた。
視界の端、アッシュトレイのあったテーブルの隅につるりとした銀のまぁるい蓋を持つソルト・セラーとペッパー・ポッドが並んでいて、浦原は燐の匂いを撒き散らすマッチを青いガラスに落とすと、そのドーム型鏡面状の蓋の表面にそっと視線を走らせた。
凸型に歪んだ像、そこに映る浦原の背後…カウンタには二人の人物。
ヒトリは、カウンタ内でグラスを磨いて、もうひとりは此方に背を向けてスツールに腰掛けている。
背を向けた人物の真っ赤な髪は一護に関するファイルに添付されていた写真で、確かに見たそれだ。
「喫煙出来るレストランって、最近少ないんスよね」
「先週行ったキャンベラなんか殆ど何処も彼処も禁煙だったぜ」
あそこの政府は国をあげて禁煙キャンペーンしてんだよ。
肩を竦め辟易した様子で一護がそんなことを云うので、浦原は少し横を向いて紫煙を吐きながら彼の方へと煙草のパッケジを差し出した。
「いらね。煙草はひと仕事終わった後だけって決めてんだ」
「アタシはコレがないと仕事出来ない」
「肺ガンになるぞ、アンタ…」
「ねぇ?ホント。まぁ長生きする予定なんて無いんですけれど」
職業が職業ですからねぇ。
あはは、と乾いた笑いを投げてフィルタを口に運ぶ浦原に対して、眉間に皺を寄せた一護が盛大な溜息を零す。
「…生きることに執着無ぇヤツは肝心なときに役立た無ぇ」
「ええー?アタシ、割と良い仕事しますよ?」
「アンタの履歴は知ってる。そういう意味じゃ無ぇよ…もっと、こうメンタルな意味合いだ」
「アタシ、フィジカルな方面に重心置いてるタイプなんです」
「まぁ、アンタみたいな職種の人間が精神論云々いってたらその間に御陀仏だろうけどな」
「キミだって、そう云う意味じゃ同じじゃないスか?」
巨額の金と、国家間の利害を転がす彼の手。
直接的にその手に掛けた命の数は浦原には及ばないだろうけれど、間接的に彼が屠った命の数は想像に難い。
一体どれほどの銃口が彼の眉間を狙っているのだろう。
その事実を知っていてなおプレッシャを感じさせない彼の振る舞いの根拠は何か…ある種の開き直り、或いは絶対的な何かへの信頼。
「俺はアンタよりずっとバランス感覚が良いんだよ」
白く燻る煙の向こうでブラウンの眼がほんの少し、眇められる。
それは年若い彼の過信じみた発言かもしれなかったが、浦原自身もその通りだという自覚はあった。
自分の歪さは、充分理解している。自分以上にアンバランスな人間はおそらく稀少。
彼は、正しい。
人を殺めることを生業にする死神はひっそりと口元を歪めた。
正しさ、というのは距離だ。
この世界には存在する自我の数だけの正しさがある。
正しいこと、間違っていることの差なんて思い込みひとつでどうとでも変わる。自分により近いモノはより正しく、遠いモノは正しくない。
眼の前の彼は浦原にとってきっと、正しい。
彼にとっての正しさが浦原と重なるかどうかなんて知らないけれど。
「えと、じゃあキミに雇われるにあたってヒトツだけ質問が」
「んだよ?」
「どうしてキミは戦争の道具を売り歩くの?」
金か、それとも権力か。
或いは、その両方か。
だが一護の眼は、未だ嘗て浦原が見てきた金や権力の亡者共とは一線を画くものだ。
薄茶色の眼の奥に揺らぐのは欲望の焔ではなく、もっと純度の高い何か。
鋭く透明な強い意思。
それこそ、浦原の心を穿った彼自身の可能性。
惰性と諦観に満ちたこの世界から自分を掬い上げるかもしれない、と期待させる何かが一護の眼の奥にあった。
眼の前の青年が力を欲する世界中の権力者達を相手取り、需要に応じて供給するのは『死』の代名詞たる数々の兵器。
その掌で死を量り売る彼の根拠が知りたいと思った。
「きまってんだろ、」
にぃ、と一護は方頬にだけ笑みを作ってその眼にきらりと悪戯な光を浮かべる。
年相応の眼ではなく、それは世界中の闇を渉る武器商人のその顔だ。
一護はテーブルに肘をついて身を乗り出すと、浦原に向かってちょいちょいと人差し指でもっとコッチへとジェスチャ。
誘われるままに、浦原も銜えた煙草を指先に挟んでテーブルに身を乗り出し一護に顔を近づけた。
オレンジの髪が触れるくらいに近い。
色素の薄い睫越しに一護が上目遣いで浦原を見遣って、まるで子供が内緒話をするように浦原の頬の辺りで囁いた。
誰にも聞こえないような、潜めたささやかな声色で。
とっておきの秘密を零すように。
「愛と、世界平和の為」
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