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インサイドダウト・アウトサイドファクト


ユンケル ロイヤル






黒崎一護には、嫌いなモノが3つある。
人間、二十余年も生きて通常の社会生活を送っていれば、それなりの処世術や自身を巧く誤魔化してコントロールする手法にも長けてくるものだが、それらを持ってしても克服出来ない物事はあるのだ。
日々を消化し新しい未来の領域へ移行するとき、それらのどうしても切り離すことの出来ない厄介な部分が嫌悪の対象になることは必然であり、また生来の負けず嫌いを自覚する一護が克服に背を向け諦観に甘んずるということを諾とし難いのも当然だった。


まずひとつ、一護は雨が嫌いだ。
勿論、雨が人間の営みに限りない恩恵をもたらすものだと云うことは、一護も十二分に承知している。
地表上で生きる人間にとって、地球全体の水のうち97%の割合を占める海水よりも遥かに貴重である、淡水。
壮大な時間をかけて青い惑星が生成し得た天然の循環システムは、その貴重な淡水の粒を伴って地上に生きる動植物の命を繋ぐ。
だがその恵みの雨は、一護にとっては社会生活を送る上でメンタル的な部分に不安定要素を発生させるマイナス要因たり得る。
自己分析をするまでもなく、それは一護の過去にあった凄惨な出来事に起因しており、脳裏に焼き付いた忌まわしい風景が、雨の気配にリンクするからだ。
忘れられないのではなく、忘れてはいけないと一護が強く思うその風景は、雨の度に濡れ色を取り戻し、一護を苛み、それでいて脚を踏みしめ歯を食い縛る原動力を想い出させる。
大嫌いな雨は、だが同時に『もっと強くなりたい』という一護の礎を固める要素でもあった。
過去に太刀打ち出来ないことは、二十世紀におけるタイムマシン実用化の展望を見ても明らかだし、如何せん敵(雨)は自然現象である。
雨嫌いの克服は、いまのことろ一護側の戦闘放棄の状況だった。


ふたつめに一護が嫌いなものは、切れかけた電球。
街灯や室内ランプが、その終焉を知らしめるように点滅を繰り返している様を見ていると、一護は無意識のうちに眉間に皺を寄せ苛立ちも露わ、不機嫌になる。
消えたと思ったらまた灯り、弱々しく闇に仇為しするかと思えばまた消える。
切れかけの電球には、潔さの欠片もなければ心地良いリズム感も無い。
あれこそは、不確定で、いたずらに此方の神経を逆撫でする為の要素に満ちている忌むべきシロモノだ。
尤も、最近ではLEDの普及に伴ってフィラメント電球の地位は下降の一途を辿っている為、総合的観測に置いての電球事情は一護にとって明るい方向へと向かっている。
省エネ対策の普及が追い風となって、もう少しテクノロジィとコストパフォーマンスの折り合いが最適化したなら、一護自身が手を煩わすまでもなく、切れかけ電球を絶滅に近い状態へと追い遣ることも叶うだろう。


最後に、みっつめに一護が嫌いなもの。
それは先に挙げた2つよりも比較的近年…正確に云うならこの四年余りの間に一護の嫌悪対象の上位入りを果たし、勢いもそのままトップの座に君臨し、不動のものとなった。
忌々しい嫌悪の対象として他の追従を赦さないそれは、今、一護の眼の前で悠然と振る舞う彼人であり、彼こそは雨や忌み際の電球よりも遥かに質が悪く、また直接的害悪をもたらす人物だ。


平日の午前、国際ホテルの一室に召喚された一護は、柔らかな微笑みの裏側で眼の前の下っ端アナリストをどう苛めて遊ぼうか算段しているだろう上司に憮然とした顔で向き合っていた。
趣味の良い濃いグレイのスーツは一護の着ているものとは桁が違うだろう仕立てものだろうし、そのスーツに包まれた優雅で強靱な肢体は狡猾さを綺麗に拭い去ったマスク共々、若い女だけではなく多くの人間を魅了して余る男の武器だろう。実際、それらは昨夜も効力を存分に発揮したのだろうか…?
一護の視界の端を掠めるベッドは、寝乱れたままの様相を呈している。
流石に一護が部屋に入ってきたときには相手の女に繋がる有力な足跡など、残ってはいなかったけれど。


ベッドからはみ出したシーツを極力視界に納めないように白いそれから意識を逸らす。
そうしなければ、過去に、眼の前の男によってもたらされたアクシデントの作用が己の自制心を破綻させ、自尊心を打ち砕いてしまう気がしたから。
喧噪と遮断された空間でガラス越しに都心のパノラマを眺めながら、一護は苛立ちを押さえるべくゆっくりと息を吐き出した。


「それで、君の意見は?」


長い指先で捲っていた書類の束を、テーブルの上に置かれたマニラ封筒の上にぱさりと放り出し、その厭味なほど長い脚を悠々と組み替えた男は、ソファの肘掛けに頬杖をつき一護の視線を掬い上げる。
その不思議な色の虹彩の奥に、一護を試そうとする意思と嗜虐心が綯い交ぜになって垣間見えた気がしたが、それらが過去の事例においての被害意識に基づく主観の所為だと錯覚するには、余りにも楽観すぎるだろうと一護は気を引き締める。
眼の前の男はこれから紡がれる一護の言葉の中から少しでも引っ掻きがいのある部分を見つけ出し、傷を抉るように攻撃を仕掛けてくるに違いない。
より狡猾に、残忍に。


〈会社〉の息がかかった数ある〈下請け〉の中で、末端といっても差し支えない民間企業に勤務する一護の、天敵といっても過言ではない直属の上司であるその男の名は、浦原喜助。
雨も切れかけの電球も、嫌悪対象としてはこの男に比べればまだ我慢が出来る。
何故なら、前者には悪意や棘といった攻撃的要素は皆無だが、後者は柔らかな絹すらも肉を引き裂く刃に変えてしまうような悪魔的手管を持ち合わせており、その辣腕を獲物をいたぶる捕食者の如く一護に対して振る舞うのだから最悪としか云いようがない。


民間会社の三流アナリストでしかない一護が如何にして『国防省・情報官及び情報本部長補佐官兼特別分析統括局局長』という長ったらしい、公には存在しない部署の局長という肩書を持つ、一癖どころか数多の破綻面を持つ男を上司に得たか…思い起こせば苦い後悔ばかりが湧き上がる。
だが幾ら自己の岐路を省みたところで、過去に勝目は無い。
どうせろくに眼を通していないのだろう。
ぞんさいに扱われた書類を眺めながら、一護は極力表情を殺して、この意味の無い報告をさっさと終わらせてしまうことに意識を集中させた。







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