白と黒
簾を下ろした縁側に南部鉄の風鈴の音が響き渡る。
濃い縞模様に染まっているのは,黒地にうすい紫の矢絣の浴衣に鈍色の帯を締め,しどけなく膝を崩した妙齢の女と,夏服の白いシャツの釦を二つばかり外し,胡坐をかきつつ団扇を使う少年の二人。
「よっしゃ,エースとジャックのツーペア!!」
得意満面,という顔で手札を晒す一護に,夜一はきらりと目を光らせるとくっきりとした笑みを浮かべた。
「すまぬな,一護…。ふるはうす,じゃ」
「マジ!? 夜一さん強すぎだって。ありえねえ!!」
悔しそうに顔を顰める一護に口元を綻ばせつつ,夜一は器用な手つきで札を切った。
「これで儂の十勝二敗。まだやるかの?」
「あったりまえだろ!! ここで引いたら男が廃るっての!!」
「ふふ。いい顔をする」
そしてまたゲームが始まる。
浦原はそんな二人のやりとりを,部屋の押入れの前,いつもの一護の定位置に寝そべり,頬杖をつく格好で眺めていた。
一護が来て約1時間。自分だけ除け者にした楽しげな空気に,胸のうちに雨雲のようなもやもやしたものが満ちる。
浦原は不貞腐れていた。
「なんなんスか。もう…」
聞く者のいない呟きは,咥えた煙管の煙同様,ぷかりと宙に浮くと,そのまま天井近くで消えた。
「浦原,浦原…」
額をぺしぺし叩く気配で,浦原はひっそり目を覚ました。
文字通りの不貞寝。気がつくとうとうとしていたらしい。
声の主はもちろん一護で,部屋の中からは夜一の気配は消えていた。
しかし胸のうちで燻る不機嫌は消しようがなく,浦原は狸寝入りを決め込んだ。
「目,開けろよ。どうせ寝たふりしてんだろ?」
アラ,お見通しっスか。
でも,だったらどうして不貞腐れてるかもわかるでしょ。
キミがどう出るか,アタシはとくと見物させてもらいましょ。
声には出さずそう呟き,寝返りを打つふりをして,一護から顔を背けた。
「んったくガキみてえなことしやがって…」
呆れ声。
それでも無視を決め込むと,一護がふらりと立ち上がる気配がした。
すたすたと足音が遠ざかり,部屋の入り口の引き戸が開いた。
一護の気配が完全に遠ざかってから浦原は片目を開けて引き戸を見ると,半分ほど開けられたままになっていた。
開けたら閉める,など基本的な躾の行き届いた一護が開け放していくということはすぐに戻るからの意思表示か。
可愛らしい気遣いにふっと口元が緩んだ。
けどまあ,簡単には許しませんけどね。
にしたって夜一さんはなんだって。
ごろり,仰向けになると,浦原は頭の後ろで手を組み,天上の組み木模様を眺めながら考えた。
ここ数日の夜一の様子を思い浮かべる。
目が合えば視線に殺気を込め,話しかければ敢然と無視。
手を伸ばせば爪を立てる。
「女の子の日,とか云ったら殺されそうですしねぇ…」
ため息混じりに苦笑が洩れる。
「けど,だからって一護サン使うことないじゃないですか。アタシの一番弱いところ突くなんて,まったく…」
苦笑から笑いが抜け,苦々しい声になる。
「なーにぶつぶつ云ってんだよ」
小ぶりな盆を手に,一護が戻ってきた。
浦原は目を上げてその姿を見ると,ふいっと目を逸らした。
不貞腐れ再度,である。
「まだ不貞腐れてんのかよ」
「…………」
無言で背を向ける浦原に,一護は小さくため息を吐く。
そして横たわる浦原のすぐ横に腰を下ろすと,危なくないところに盆を置き,上から厚手のガラスのコップを取ると,軽く揺すった。
からころと,氷が涼しげな音を立てる。
「なあ,浦原」
肩の辺りがつんつん,と突かれる。
もちろん無視。
わさわさ,わさわさ。
今度は腕を掴まれ揺さぶられる。
これも無視。
大人気ない?
でも,そうさせたのはキミっスから。
「ひゃっ」
ふん,と鼻を鳴らした直後,浦原は図らずして声を漏らすことになった。
よく冷えたコップが,頬にぺたりと押し付けられたのだった。
一度でも反応してしまったら負け。
浦原は渋々目を開け,一護を見た。
「ざまみろ」
視線の先で一護が勝ち誇ったように云う。
その顔を見ているうちに,ふっと力が抜け,自分の頬も緩むのがわかった。
「何飲んでんスか?」
「カルピス。オマエの分も作ってきたんだぞ。ほれ」
コップを持った手で盆のほうを指し示され視線を向けると,水差しに半分ほど残ったカルピスと,氷で満たされたコップが置いてあった。
「それはそれはお気遣いを」
寝乱れた髪を掻きながら身体を起こす。
皮肉垂れんならやらねえぞ。一護は唇を尖らせながらもコップに注いで差し出した。
口を付けると,濃すぎも薄過ぎもせず,ちょうどよい出来具合。
喉を鳴らして飲めば,胃の腑の底から清涼感に包まれた。
「おいし」
「だろー?」
一護は無邪気に笑い,ごくごくと喉を鳴る音も健やかに自分のコップを傾けた。
「夏はカルピスだよな。やっぱし」
「一護サンはお子ちゃまだから」
「………ムカツク」
「だって事実,カルピスは子どもの飲み物でしょ?」
そりゃそうだけど。
ぶつぶつ云いながら一護は飲み干したコップをからから言わせながら名残惜しそうに覗き込む。
これも飲みます? と差し出せば,ちょっと躊躇った後に手が伸ばされた。
「あ」
口をつけた後を見計らって浦原が声を上げれば,一護は喉を鳴らしながら視線を寄越す。
その視線を搦め取ると,指を自分の唇にそっと当て,声を低めてにやりと笑った。
「間接キスですねン♪」
っっっ!!
噴出すのはなんとか堪えたものの,嚥下するや盛大に咽た一護を眺めて,浦原は溜飲を下げることにした。
せっかく可愛い恋人との僅かな逢瀬,いつまでもつまらないことで臍を曲げていても仕方がない。
あー,アタシはこういうところが大人なんスよねえ…。
胸のうちでもらした呟きはもちろん一護に届くことはなく。
「て,てめ…」とけほけほと苦しげな咳を繰り返しながら涙目で睨みつけてくる一護の顎を捉えると,浦原はにっこりと笑った。
「一護サン,カルピスの宣伝文句知ってます?」
「は?」
「『カルピスは初恋の味』ってんですよ」
そして今しがた自分の唇に当てていた指で一護の唇を押しつぶすように撫ぜる。
一護の肩の辺りがかすかに震えた。
浦原はすっと目を細めると,その細い腰に腕を回し胡坐の中に抱き込むように引き寄せた。
「一護サン,おいしかった?」
耳元で低く落とした声音で囁けば,頬にさっと朱が走る。
「アタシも味わいたいな,初恋の味」
欲を滲ませ,熱を伝えるように,耳朶を舌の先でつついてやると,
「サイテー…」
その呟きとは裏腹に,一護の手は浦原の作務衣の裾をしっかり握り締めた。
深夜。
浦原と黒猫姿に戻った夜一は縁側で並んで酒を啜っていた。
つまみはテッサイ特製のバタ・ピーナツ。
「いや,ほんとスミマセンでした」
風呂上りのまだ濡れた髪をかき上げて,浦原は盥に満たした氷の中から江戸切子の酒器を取り,夜一の杯に酒を満たした。
夜一はまだ若干不機嫌な面持ちが抜けてはいなかったが,それでも無言でそれを受けた。
浦原が謝るのにはわけがあった。
数日前,夕餉の買い物に出たテッサイの代わりに店番をしていたところ,常連の小学生が喧々囂々騒ぎ立てながらやってきた。
「だから!! 黒猫のせいだって。呪いだよ呪い!!」
「呪いって,じゃあどうしたらいいんだよ!!」
「神社とか行けばいいんじゃない?」
あまりにも煩いので「どーしたんスか?」と口を挟むと,三人組のうちのひとりが,財布を落とし犬に吠え立てられテストで悪い点数を取ったとの由。
それを全て朝通学時に目の前を黒猫が通ったせいだ,と騒いでいたのだった。
財布を落としたのは注意力散漫なせいだろうし,犬に吠え立てられたのは犬に向けてなにかしたからだろう。
テストで悪い点をとったのは紛れもない努力不足だ。
いちいち真っ当に切り返してもしょうがないのでそりゃ災難スねえ,と気のない相槌を打った。
くだらない。
しかし,財布を落とし,犬に吠え立てられ,テストで悪い点を取った子どもが泣きそうな顔で問うてきた。
「ねぇねぇ,オジサン,呪いってどうやって解くの?」
「オジサン」の一言が癪に障ったが,店の入口から差し込む日差しで,その子の髪が明るい橙色に透けたのを見て,気が変わった。
顎に手をあて,ちょっと視線を逸らして記憶を探るふりをする。
そして,ああ,と思いついたように口を開いた。
「『横切り返し』って知ってます?」
「よこぎりかえし?」
「ええ。黒猫にね,目の前を横切られたら,逆に猫の前を横切ってやるんです。そしたら呪いは無効になるんだそうですよ」
子どもの顔がぱっと輝く。
単純てのは,いいですねぇ,と開いた扇で緩んだ表情を隠しながら思ったのだった。
ほんの軽口,そのつもりだったのだが…。
翌日から,夜一は小学生に追い掛け回される羽目になったんだとか。
噂というのはあっという間に広まる。
どこを歩いていても子どもが指差し追ってくる。
走ればどこまでも着いてくる,高い木に登れば石を投げられる。
まったく,なんて災難だ,と閉口していたところに,諸悪の根源が浦原であるというのを耳にして,夜一の機嫌は地に落ちた。
「まったく」
ため息を吐く夜一に頸をすくめると,浦原はだまってバタ・ピーナッツの盛られた皿を薦めた。
多少の恨み言は黙って聴く,と態度で示したつもりだったが,夜一はそれ以上言葉を継ぐこともせず,かりりとよい音を立てながら風味のよい豆を頬張った。
「にしても,喜助」
「なんでしょ?」
「一護はよい子じゃな」
「…ええ」
浦原は夜一の真意を探るように視線を向けた。
視線の先で夜一は鼻先についた塩をぺろりと舐めながら,言葉を継ぐ。
「人の気持ちを汲み,押し付けがましいところもない。強さと優しさが同居するなんてことはそうそうあるまいに」
「……そうっスね」
夜一の言葉に表も裏もないと確信すると,浦原は手にした杯に広がる波紋を見つめ,くっと一息に干した。
喉を滑り落ちる酒の放つ熱に乗って愛しい子どもの面影が瞼の裏に浮かび上がる。
明るい橙色の髪,眉間に寄せられた深い皺。ときおり,ふっと花がほころぶように浮かぶ笑顔…。
ここにいなくとも確かな存在感を放つ子ども。
「泣かすなよ」
ぽつり,夜一が云った。
「泣かしますよ」
昏い,声で浦原が返す。夜一はうすい舌で酒を掬い取っていたが,その声音に顔をあげた。
その眼前に浦原の手が差し伸べられる。
膝に乗れ,ということらしい。
その手を潜り,胡坐をかいた上にするりと丸くなると,膝に爪を立ててやった。
「泣かします。……けど,それはアタシだけの特権だ。アタシ以外の誰にもあの子を泣かさせやしません」
熱のない手で,そっと夜一の爪を外し,頭を撫でながら,浦原は低い声で言い放つ。
そこに秘められた覚悟と気迫に,夜一は艶やかな黒い毛がぴりりと逆立つのを感じた。
夜一はしばし浦原の顔を見上げた後,やれやれ,というように目を逸らした。
「ほんに性質の悪い男じゃの」
「そんなの,今更でしょ」
くつくつと喉で笑う浦原の細く長い指が,夜一の喉元にを撫ぜる。
夜一はその心地よさに目を細めながらも,なにもしてやれることはないが,できることならあの子の顔が曇らぬように。
曇っても,必ずまた晴れるように。
祈るくらいならこの儂にも許されようて。
と,この傲慢な男に惚れこまれた一護の不幸を思い,深く深くため息を吐いた。
Fin
(2005.07.15)
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Flying colors // Ritsu Saijo presents
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