Unbrekable cipher
-- How can you ever forgive me? --
でも,理解なんてクソクラエだ。
真顔でそう思うアタシがいる。
「なぁ,まだ?」
「まだ…スね。もう少し」
怠けに怠けた帳簿付けを一気に片付けるべく文机に向かう浦原の,やや丸まった背中に自分の背中を凭れさせて一護は尋ねた。
応える浦原の声は追われる緊迫感など微塵も感じさせない間延びしたもので,一護はぐい,と体重かけると不貞腐れた声を出した。
「おまえ,ずるい」
「……なんでっスか?」
「俺が課題やってるときは平気で邪魔するくせに」
「一護サンだって邪魔してるじゃないですか。重たい」
開け放たれた障子戸はいつものことだったが,縁側に続くガラス戸はぴったりと閉められている。
部屋の中に満ちているのは柱にかけられた古時計の振り子が刻む音と二人の話し声。
それが途切れると外に満ちる雨音が浸食するように辺りを満たした。
「第一なんで俺が帰るって云った途端にそんなこと始めるんだよ」
一護が不服そうなのにはわけがある。
夜から天気が荒れる,とは聞いていた。
しかし夜遅くだという朝の天気予報を鵜呑みにして図書館に寄った帰りに,いつものように浦原商店に立ち寄った。
そしていつものように店主の部屋で他愛もない話をしながら茶を啜り菓子を摘んでいると,しのつく程度だった雨が俄に勢いを増してきたのだった。
さあさあというやさしげな音から一変,ざああああああという音に変わった雨にぎょっとして一護は縁側に出た。
立ち上がってガラス戸に張り付くようにして外を見る。
空は灰色というより墨色に近い暗さで,ちょっとやそっとではこの雨が止まないことを教えていた。
「うっわ…マジかよ」
「土砂降り,って感じっスね」
傍らに立つ浦原がひっそりと笑う。
笑い事じゃねえよ,と眉間に皺を寄せた一護は恨めしげに空を睨んだ。
「アタシの用事が片付くまで待っててくれるなら,車出しますよン?」
傍らから背後に回り,前髪を後ろに撫で付けるように梳いて頭の天辺に口付けを落としながら浦原が云った。
くすぐったさに首を竦めながらも一護は「マジ?」と微かに甘えを含んだ声で聞き返す。
「ええ。この雨じゃ歩いて帰るの難儀でしょう。靴も濡れちゃいますし」
「助かる。サンキューな」
素直に礼を云う一護から浦原はすっと目を逸らすと「それじゃあとっとと手をつけますか…」と文机に向かったのだった。
そんなやりとりがあってからかれこれ二時間が経つ。
最初は大人しく待っていた一護だったが,門限が近づくにつれ段々と焦りが見えてきた。
「まだ?」
「まぁだ」
十五分置きが十分置きになり五分置きになる。
一護のため息が深くなりきった頃,浦原はようやく身体を伸ばし,凝った首を解すようにぐるりと回した。
「終わった?」
「やっと半分ってところスかね」
「はーんーぶーんー?」
一護の声が情けなく歪んだ。
「おまえ一体どれくらい溜めてたんだよそれ」
「ひい,ふう,みい…ざっと二ヶ月?」
「このバカっ!」
一護は振り返ると浦原の頭をぽかりと殴りつけた。
「アイタ!」
「なんだってそんなに溜めるんだよ!! 毎日毎日オマエなにやってんだ」
「ナニって…一護サンのこと考えたり,一護サンに会いに行ったり,一護サンとイイコトしたり…」
へらりと顔を緩めてそんなことを云う浦原に一護は絶句すると,がくりと頭を垂れて,わなわなと震え出した。
「あ,の,な,あ!」
怒声を上げかけて,すい,とそれを飲み込むと,一護は憮然として立ち上がった。
「どこ行くんスか?」
「帰る」
「え,アタシまだ」
「歩いて帰る」
「雨,すごいっスよ?」
ほら,と庭を指し示す浦原の云う通り,雨脚は先ほどよりも強まり,風も出てきてすっかり嵐の態を見せていた。
一護は庭を眺めた後,冷たい目で浦原をちらりと見ると,ふん,と鼻を鳴らして踵を返した。
引き戸の横に置いた鞄を持って部屋を出ようとした瞬間,取っ手にかけた手を掴まれた。
先ほどまで文机に座っていた浦原がいつの間にかすぐ背後に迫っていた。
今更驚いたりはしねえけど,と舌打ちをしたいのを堪えながらげんなりとした目で浦原を見上げて睨みつけた。
「どけよ」
「どうして帰るの?」
「門限」
「送って行きますよ」
「だから門限」
「電話すればいいじゃないスか」
「いやだ。第一いつになったら終わるんだよ。このままじゃあっという間に夜中だぞ」
「そしたら泊まって行けばいい」
「送るから待ってろっつったのは誰だよ」
ため息を吐く。
浦原の意図が読めない。
顔を見上げても帽子を被っていないせいで無造作に揺れる月色の髪が顔を隠してしまい,そこから感情だとか本意だとかを汲み取ることはできない。
取っ手にかけた一護の手を掴む浦原の手にきゅっと力がこもった。
そして取ってから引きはがすと指を搦めてきた。
「放せよ」
「いやっス」
「だって終わらないんだろ?」
「あんなのはどうだっていい」
「は?」
「帰って欲しくない」
「……浦原?」
「ここに,いて」
感情の読めない声でそう告げると,浦原はぎゅっと一護を抱きしめた。
浦原の広い胸にすっぽりと包み込まれるように抱き竦められた一護は,返す言葉もなくなすがままにされていた。
「なんかあったのか?」
浦原からは答えはなく,ただ,肩の辺りで頭が横に振られた。
雨の日の情緒不安定になる,というのは自分の専売特許であって,浦原にはそんな傾向は見られなかった。
けれどもなにもなければこんな風に自分を引き止めはしない。
それは,わかる。わかるけれども――。
一護は無言でしばらくの間逡巡していた。
といってもそれは格好だけで,自分が折れるであろうことを頭の片隅の冷静な部分では認識していた。
深く深く,聞こえよがしなため息を吐くと,一護はうんざりした,という調子で口を開いた。
「それ,終わるまでだぞ」
「………?」
「終わったらちゃんと送って行けよ?」
一護は浦原の胸に手を当てるとぐっと押しやり顔を上げると下から掬い上げるようにその顔を見た。
両手を前髪に差し込んで掴み上げるようにして顔を露にする。
「まったく。夏休み最終日の小学生じゃあるまいし」
何かを推し量るように見つめてくる浦原の視線をまっすぐに受け止めて苦笑いを浮かべると,一護は浦原の両の方を抓るように引っ張った。
ぱさりと落ちる淡い色の髪が手の甲をくすぐった。
「一護ひゃん,いひゃいっふ…」
「なにぼさっとしてんだよ。とっとと机に戻れ。俺,家に電話してくるから」
そう云うと一護は鞄を置いて部屋を出て行った。
一人残された浦原は,ひりひりする自分の頬を抑えながら,くつりと笑う。
理由を問わずに受け入れるのは諦めなのか,それとも…?
受け入れられないことでも受け入れようとする。
喉が痛んでも。胸が苦しくなっても。
目尻に涙を浮かべながら,それでも否とは云わない。
自分を拒絶しない。
やさしさ。
これじゃあどっちが大人かわかったものじゃない。
生きてきた時間なんて比較にならないというのに。
このアタシがあんな子どもに甘えてるなんて。
口の端に浮かぶのは苦笑い。
けれどもそれはそんなに悪い気分でもなくて。
浦原は俯くと両手で髪を掻きあげて,両手を天井に向けて思い切り伸ばすと文机に戻った。
Fin
(2007.02.12)
|
Flying colors // Ritsu Saijo presents
|