Orange emperor
-- flowers for you. --
店先に一護の気配を感じて,浦原はごろりと寝そべった縁側で頭を擡げた。
立てた肘で頭を支え,気配を辿る。
いつもなら程なくして部屋の引き戸が開けられるのだけれど,今日はまだ開かない。足音も聞こえない。
店先でテッサイと話し込んででもいるのか。
そのまましばし様子を窺っていたが,焦れてきたのでさっさと起き上がった。
くあ,と欠伸を漏らしながらぺたぺたと廊下を歩き,店先に顔を出す。
そこにいたのは,テッサイではなく雨と一護だった。
「オヤ,雨が店番? テッサイは?」
頬の辺りに視線を感じたが,すぐに顔を見せてくれなかった意趣返しに,一護は無視。
雨は慌てたように顔をあげ,「喜助さん,これ,黒崎さんに頂きました」と小さな花束を掲げて見せた。
花束は白いガーベラと千日紅と淡いピンクのチューリップが小さく纏められたもので,雨にはたいそうよく似合う。
けれども,なんで。
すぐさま顔を見せてくれなかったことと,小さなプレゼントが自分ではなく雨に向けられたこと,どちらも些細なことだったが,些細なりに浦原の中で小さな棘となった。
さすがに不機嫌をすぐさま顔に出すようなことはしなかったが,浦原の周囲の空気はたちまちその温度を下げた。
「あの…喜助さんごめんなさい…」
泣きそうな顔で自分を見上げる雨に向けて表情を和らげて「んー?なんで謝るの? 店番よろしくね」といいながら頭をぽんぽんと撫でてやる。
不機嫌の原因は雨ではない。ちらりと視線を上げて一護を目顔で促した。
「俺,帰ろうかな」
露骨に目を逸らして一護が云う。浦原の不機嫌に気づいたからではなく,自分を無視したことが気に食わないのだろう。
「え…,あの,黒崎さん…テッサイさんから黒崎さんにお菓子お出しするようにって言付かっているんです…」
ほとんど泣き出しそうな雨の声に,一護も口を噤む。
「オマエがそんな顔すんな」と腰を屈めて頭を撫でてやっている。
それを目にした浦原の不機嫌は加速度的に倍増した。
小さく舌を鳴らすと,雨の肩がびくりと震えた。
「浦原,テメェ」
気づいた一護が睨みつけてくる。
浦原はその視線を傲然と受け止めて「ま,話は部屋でお伺いしましょ」と顎をしゃくった。
挑発をいなすことなど知らない一護は「上等だ」と靴を脱いで帳場に上がった。
すぐさま脱いだ靴の並びを整えるのに口の端が緩みそうになったが,浦原は不機嫌面を貫いていた。
「オマエなぁ!」
部屋に入るなり一護は浦原に食って掛かった。
浦原はそれを自分の唇に当てた人差し指一本で黙るように示す。
「じきに雨がお茶持ってくるでしょ。声荒げてたら心配します」
ちっ,と舌を鳴らした一護をよそに,浦原は縁側へ続く障子戸を開け,更にその先のサッシ戸も引きあけた。
春の彼岸近くの温まった風が部屋に吹き込み空気を浚う。
その心地よさに思わず目を細めながら縁側の柱に背を預けて腰を下ろした。
立てた膝に腕を乗せて,もう一方の足は庭にだらりと下ろす。
ちらりと一護の方を窺えば,差し込む日差しをまぶしそうに見つめながらも部屋の壁に背を凭れて両脚を投げ出したまま動かない。
部屋の中,ほぼ対角線上に座り込み,二人揃って不機嫌に黙り込むかたちになった。
庭先のもうじき綻びだしそうな花芽を見るともなしに見ていた浦原は一護がこちらを睨みつけているのに気づいてその視線を捉えると「意地っ張り」と声には出さず唇の動きだけで呟いた。
正確に読み取ったのか,それともただの勘なのか,一護からは「なんだよ」と尖った声が向けられる。
「いーえ,なんでも」
「云いたいことがあるなら云えよ」
「後でね」
更に一護が何か云おうと口を開いたとき,引き戸の向こうで「喜助さん,お茶をお持ちしました」とか細い声がした。
浦原が応えるより先に一護が立つ。
引き戸を開けて盆を受け取っているようだ。
何か小声で話している。
「へーきへーき。オマエがそんな顔すんな。これ,ありがとな」
ぽんぽん,また頭を撫でている。
アタシにはそんなことしてくれないくせに。
子どもじみた不平なんてことは先刻承知。しかしそんなアタシだってこともキミは知ってるはずでしょう?
二人に背を向けるように身体の向きを変えた。
両脚を庭に下ろし,煙管をくわえ,マッチをする。
棚引く紫煙の向こうに青空を眇め見て,ため息をひとつ。
こんな気分で吸ったところで煙草がうまいはずもない。
つけたばかりのそれを捨ててしまおうかとも思ったが,手持ち無沙汰を紛らすくらいにはなるだろう,と再び深く吸い込んだ。
「眉間にきっつい皺寄せて煙草吸ってんじゃねーよ」
すぐそばから一護の声。
仰向くように視線を上げると手には盆を持った一護が眉間に皺を寄せて立っていた。
そして盆を浦原の横に置くと,挟んだ向こうにどっかと腰を下ろした。
慣れた手つきでふたつの湯呑みに茶を注ぎ,ひとつを浦原の方へ置き,自分は桜餅の載った菓子皿を手に取る。
「眉間に皺ってキミになんていわれたくないっスね」
「俺のは生まれつきだ」
「へ,え」
「そのいい方ムカツク」
「アタシもムカツイてるから御相子でしょ」
「……オマエなぁ!」
一護は菓子皿を盆に戻すと,浦原に向き直った。
その眉間には本当に深々と皺が刻まれている。
ふん,と浦原が視線を逸らすと,更にきゃんきゃん喚くかと思われた一護の口から盛大なため息が漏れた。
一護が片膝を立て,弾みをつけて立ち上がる。
怒らせたか。帰るのか。何か声をかけようと思ったが,身のうちを駆け巡る苛立ちともつかないもやもやは依然としてそのままで巧く言葉など継げやしない。
仕方がないので庭に下ろした片足を上げ,それを抱えて顎を載せた。
まるでガキだ。
唇が苦い。煙草の味だ。違う,自分が吐いた大人気ない言葉の味。
視界から一護の姿が消える。胃の腑の底がちり,と焼けるような心地がしたが,浦原は黙って煙草をふかした。
もういい,勝手にすれば。
言葉にはせずともそう思った。
「こンのばかたれ」
しかし一護は部屋を出て行かなかった。
不貞腐れ声に続いて,浦原は背中に重みを感じた。
首を捻って声の方向を窺えば,胡坐をかいた膝が見えた。
背中の感触は,多分,額だ。こつん,と押し当てて,くぐもった声で浦原を責める。
「わけわかんね。一人で勝手に怒ってんじゃねぇよ。ばぁか」
しかしそれは,浦原の耳には甘く解けて睦言にしか聞こえない。
浦原は無言のまま両手を後ろに回すと,両の足裏を重ねるようにして掴んでいた一護の両手をそっと掴んだ。
それを柔軟体操宜しく上に引き上げ,そのまま自分の身体を前に倒すと,負ぶさるように一護の身体が引き寄せられる。
「何すんだよ」
「仲直り」
肩に載った一護の顔に,自分の頬を押し当てる。
「喧嘩,先に売ったのオマエだろ」
「一護サンだって買ったじゃないスか」
「俺が悪いのかよ」
「アタシが悪いの」
「…………」
「…………」
再び険悪な空気が流れた。
しかし二人の格好といえば,険悪には程遠く。
浦原は身のうちの不機嫌が氷解していくのを感じた。
一護はといえば相変わらずの憎まれ口ばかりだったが,浦原からは身体を離そうとしない。
浦原は首を捻って横を向くと,すばやく一護の口の端に口付けた。
「なっ!」
「桜餅,アタシのもあげるから機嫌直してくださいな」
「………食い物で懐柔しようったって」
「それ,テッサイのお手製。朝から餡を練ってましたよ」
「…………」
「いらない?」
「………いる」
「取引成立」
もう一度キス。
「調子に乗るな,ばか」
「だって一護サンだって酷い」
「何が」
「待ってたのに」
「仕方ねーだろ。本人がそこにいたんだから」
「あの花束どうしたの」
「花屋の前,通りかかったら貰った。売れ残りで作ったヤツだから,彼女にでもどうぞって」
ぴし,と空気が固まった。
一護は「あ,いや,彼女ってのは店の人がいったことで…」と慌ててしどろもどろで言葉を継ぐ。
「一護サン…」
「なんだよ」
「キミの恋人は誰」
「誰って…」
「誰」
「そんなの,オマエ…」
「ちゃんと云ってください。誰」
「………オマエ以外にいんのかよ」
浦原は思わず頬が緩みそうになった。
たとえ自分で言わせたとはいえ,その言葉が齎す暖かな思いは止め処なく胸のうちに広がっていく。
しかしあえてそれを堪えて,「だったら,なんで」と硬い声を出した。
「なんでも何も,オマエに花やってどうすんだよ。二個貰えばうちに持って帰って妹たちにやった。けど,実際は一個しかもらえなかったし,じゃあどうすっかって考えてたら雨の顔が浮かんだんだよ」
「…………」
「考えてもみろ,オマエがこうやってだらだらしてる間にアイツはいつも店番とか掃除とかしてんだろ。だからいいかって思ったんだ」
「確かに雨は毎日店の仕事を頑張ってくれてます。ご褒美に相応しいかもしれない。でも,アタシだって…一護サンにもらえるならなんだって嬉しいっスよ」
ぽつりと漏らした浦原の呟きに,一護はしばし黙り込んだ後,息苦しさから逃げるように低く唸った。
「だーかーら!俺が恥ずかしいんだっつの!」
「じゃあいいっスよ。今度アタシがお手本見せてあげる」
「は?」
「両手いっぱいの花束持って,一護サンの学校終わるの待っててあげる」
「いや,ちょっと待て。それなんの嫌がらせだ」
「嫌がらせじゃないっスよンv お手本お手本」
「そんなお手本はいらねって!」
ぎゃあぎゃあ喚く一護に,くふくふ笑う浦原。
そんな二人を庭の敷石のひとつから金色の一対の瞳が見ていた。
「おい」
「一護サンたらほんと照れ屋サンっスよね〜v それはそれで可愛いスけど,やっぱりすこぉし改善しないと」
「誰がそんなことを望んだ!余計なお世話だっての!」
「おい」
「誰が望んだってそんなのアタシに決まってるじゃないスか。臆面ない一護サンが見てみたい」
「俺は見たくねぇ!」
「おい,そこの馬鹿二匹!」
「「ハイ!?」」
一護と浦原がユニゾンで顔を上げると,そこには黒猫姿の夜一がいた。
「オヤ,夜一サンだ。おかえりなさい」
「よ,夜一さん!?」
飄々と云う浦原とは対照的に一護は慌てて浦原から身体を離そうとした。しかし浦原はその手首をしっかと捉えたまま放さない。
一護は「うー!」と唸りながら浦原の背中に膝を当て,懇親の力でもって手首を引き抜こうとしたが,それも徒労に終わった。
よっこいしょ,とわざとらしく声をかけ,浦原は一護を背負いなおす。
「放せってば!」
「ほら,だからリハビリ。もしくは練習」
「ふざけんな!」
「いい加減にしろ,こドアホウども!!」
再びきゃんきゃんやりあいだした二人を,低い怒声が一喝する。
ぴたり口をつぐんだ二人を,じと,と眇め見ながら夜一はため息を吐いた。
「まったく…せっかく日当たりのよい箇所を見つけて転寝していればきゃんきゃんきゃんきゃん犬ころみたいに喚きよって。挙句になんだ,今度はいちゃいちゃと。煩くて昼寝のひとつもできん。そういうのは誰もいないところでやれ」
「……あの,夜一サン,ここ,アタシの部屋…」
「何か云ったか,喜助」
じろり,鋭い一瞥を受け,浦原は「いいえ,何も」と口を噤む。
夜一は険しい表情のまま,今度は一護を見た。
「昼寝の邪魔をした詫びに,一護,おぬしの膝を貸せ」
「そうしたいのはやまやまなんだけど…,浦原が」
「喜助,一護の手を放せ」
「……はぁい」
渋々というのが背中越しにも伝わってきたが一護は放された手首を摩りながら浦原の右側に回った。
浦原の手が伸び,盆が避けられる。
せめて近くに座れ,ということらしい。
一護が大人しく腰を下ろすと,夜一はしなやかな身のこなしで膝に飛び上がった。
一護のではなく,浦原の。
「え」という一護のきょとんとした声と「ああ…やめてくださいよ夜一サン」と浦原の苦りきった声が同時に発せられた。
しかし夜一は動じることなく浦原の膝の上で足踏みを繰り返している。
「一護の服は制服じゃろう。汚すわけにはいかん」
「だからってアタシを雑巾代わりにしなくたって…」
「ぞ,雑巾…」
ぶふ,と噴出した一護を浦原がじろりと睨みつける。一護が視線を逸らすと,膝にとす,と加重がかかった。
夜一はしばし足踏みをして一護の膝の上で落ち着ける場所を探すと,くるりと丸くなった。
その頭を一護の手がそっと撫でる。
すべらかな手触りを楽しむように,二度,三度撫でていると,小さな寝息が聞こえ出した。
「寝ちゃった?」
小声で問う浦原に,こくん,と頷く。
規則正しい寝息を聞きながら上下する腹部にそっと手を乗せていると,一護まで眠くなりそうだった。
「眠かったら,寄りかかっていいっスよ」
そう声がして,浦原の肩が寄せられる。
一護はその言葉に甘えてそっと寄りかかった。
瞼を閉じると,風が庭を渡り木々の枝葉を揺らす音がする。
「子守唄でも歌いましょっか?」
「いらね…。このままで眠れる」
云うやいなや,一護の呼吸数が落ちていく。
膝の上で丸くなる夜一のそれと,シンクロしていくまでにそう時間はいらなかった。
浦原は一護の凭れる肩を揺らさないように気をつけながら傍らの盆に手を伸ばすと冷めた茶を啜った。
そして菓子皿の桜餅を手に取る。
このまま置いておいたら乾燥しちゃいそうだし,と,それを一口齧る。
浦原の口許からふわりと漂う甘い匂いに誘われたのか,一護の瞼が不意に開いた。
「あ,オマエ…」
「うわ」
「……仲直り,帳消しな」
「はい?」
「それくれるのが条件だっただろ。まったく…」
いいながら一護は再び目を閉じる。
「え,ちょっと待ってくださいよ一護サン!」
かろうじて声は抑えたものの,慌てた声音の浦原に,一護は目を瞑ったまま「煩い黙れ」と言い放つ。
「起きたら聞く。今は寝る。起こしたら今度こそ本当に絶交だからな」
一護は浦原の肩の上,安定する場所を探していたが,身体の不安定さが気になったのか徐に身体を起こすと座る位置をずらし,膝の上の夜一を気遣いながら縁側に横倒しになった。
そして今度は浦原の膝の上で落ち着く場所を探す。
程なくして落ち着いたのか,あくびを噛み殺すような息を吐くと,一護は目を瞑ったまま浦原の名を呼んだ。
「浦原,手」
「手?」
「貸して。眩しいから目隠しの代わり」
「ああ,はい。どうぞ」
一護の瞼を覆うように右手を載せる。
「さんきゅ。それ,桜餅。食っていいからな」
「でも」
「さっきのは云っただけだっつの。じゃ,しばらく手と膝,借りる」
それきり一護は口をつぐんだ。
浦原は膝の上の一護と手の桜餅を交互に見つめて,ため息を吐くと一口で桜餅を平らげた。
仲直りは帳消し。
それはもしかしたら「起きたらやり直し」ってことなんだろうか。
指先をぺろりと舐めてそんなことを考える。
一護のものと夜一のもの,ふたつの寝息を聞きながら,浦原もくあ,と欠伸を漏らした。
視線を庭の片隅で蕾をつける水仙の叢にやりながら,浦原は一護に送る花束は何の花で作ろうか,と頭を巡らせた。
一護に似合うのはやはり橙色。それを主軸に据えて,ガーベラ,マーガレット,フリージア,スイトピーにラナンキュラス。
それともオーソドックスにチューリップだけで纏めるか。
それを両手に眼前に立つ自分に,一護はどんな顔をするだろう。
くすり,頬が緩む。
浦原は開いた左手で一護の髪を梳きながら,あれこれ思いを巡らせていた。
夕方まではまだ遠い,ある午後の半ばのことだった。
Fin
(2006.03.14)
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Flying colors // Ritsu Saijo presents
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