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Frailty,thy name is...

-- you mean so much to me. --





重たい灰色の雲は抱えた雨粒の重さに耐えかねたように大粒の雫を零していた。
傘を叩く音も重たい。
一護は前に傾けるようにさしていた傘をひょいと上げて空を見上げた。
そしてその先に見知った姿を見つけ,一瞬足を止める。
視線の先にいたのは浦原だった。
満開の槐の下に浦原はいた。
視線は真白い小振りな花から滴る雨垂れを見つめているようでどこか遠い。

「何してんだよ,オマエ」

声に惹かれて視線を通りの向こうに降ろす。
大きな濃色の傘がまるでこうもりの羽根のように見えた。
細めた視線の先,傘をあみだにさしてほんの一瞬足を止めると,一護は眉間に皺でこちらに駆け寄ってきた。

「オカエリナサイ」
「オカエリナサイ,じゃねえよこの!びしょぬれじゃねえか!傘はどうした傘は!」
「傘…? そういえば雨…」
「オマエ,頭大丈夫か?」

だいたいなあ,夏の盛りだからってこんなずぶ濡れンなって。夏風邪ってすげー性質悪いんだぞ。
ぶつぶつと文句を云いながらポケットから出したハンカチで髪についたのや頬を滑るのや顎先から滴り落ちるしずくを拭っていた一護だったが,ハンカチ一枚じゃ埒が開かない,とため息を吐いた。

「行くぞ」
「どこへ」
「どこもなにも,オマエんちだろ」
「ああ,なるほど」

一護は浦原をひたと見据えた。顔色は青白く,目の焦点は微妙に結ばれていない。
なんだよ,何があった?
明らかに様子のおかしい浦原に一護の胸はざわついた。

「オマエ,大丈夫か」
「大丈夫?」
「顔色悪いし,寒いだろ,こんな濡れたら」
「別に…」

何もないスよ。
ぽたぽたと雫の滴る髪もそのままに浦原は笑みらしきものを口の端に刻む。
その表情に一護はなんだか居たたまれない気持ちになった。
傘を首と肩で支えると両手を伸ばして浦原の前髪を後ろに流す。
露になった浦原の顔はやっぱり蒼白と云ってもいいほどの白さでこのままじゃ絶対風邪を引くと一護は危惧を深くした。
浦原は一護の心配をよそにだらりと垂らした手を持ち上げると自分に触れる一護の手をそっと包んだ。

「一護サンの手,暖かいスね」
「………ッ! ばか!オマエが冷えきってんだっての!!」

ぴしゃりと一喝すると一護は浦原のつめたい手をぎゅっと掴んで浦原商店へ向け歩き出した。





この濡れ鼠を店から出入りさせるのはどうか,と歩きながら考えて店の裏手に回り浦原の部屋に面した庭から入ることにする。
縁側に座らせてびしょびしょに濡れた羽織を剥ぐと「テッサイさん,いる?」と声を上げながら廊下をぱたぱた歩いて店へ向かった。

浦原は襖を潜って部屋を出て行く一護を色のない瞳で見つめた。
何があったわけではなかった。
ただ,夢を見た。
夢の中で自分は。あの子を。
それ以上は音にせずとも言葉にするのも厭わしかった。そんなことは許さない。絶対に。
ただ,モノクロォムの世界で見たあの夢が浦原の胸に穴を穿った。
すうすうとうすら寒い風が吹き抜けるような感覚を抱えてひとり部屋にいるのが嫌でふらふらと外に出たのだった。
雨など気にならなかった。つめたさなど感じなかった。

「浦原?」

バスタオルを手に戻ってきた一護は浦原が何か言葉を発する前に頭にばさりとそのバスタオルを被せた。
乱雑な手つきでばさばさと水気を拭われる。
髪から肩,首筋まで拭われてようやく解放されると「腕と脚拭いて上がれ。そしたら風呂。テッサイさんが支度してくれてっから」と言い渡された。
一護はよっぽど心配らしくひとりで追いやられるかと思った風呂場にも後ろからついてきた。
服を脱ぐ間だけはそっぽを向いて視線を逸らしていたが浦原が大人しく浴室の戸を開け中に入ると磨りガラスの戸に背中を預けて座り込んだのが見えた。

「なぁ」
「……なんです?」
「何があった?」
「何も,ないスよ」
「嘘だ」
「嘘じゃない」
「だってオマエ,変だ」
「変…」
「目に生気はねぇし,表情もねぇし,それにアレだ」
「………?」

それにアレだ,のアレについての説明は聞かれなかった。
浦原は湯気のもうもうと立ちこめる浴室で檜の椅子に腰掛けたままぼうっと浴室の戸に寄りかかる一護を見ていた。

「つーかオマエ,ちゃんと洗ってる?」

一護の背が戸から離れるとからからから,と音がして戸がほんの少し開いた。
そこから顔を覗かせた一護はぼうっと座っている浦原を見るとおもいきり渋い顔をした。

「オマエなあ!」

ごそごそ音がして一護が浴室に入ってきた。
手には手ぬぐい。
両脚は膝上まで制服のズボンが捲られ,半袖のシャツは肩まで袖が捲られている。
そして手にした手ぬぐいを浦原の下肢に放ると背後に回り髪を一掴みぐい,と引いた。
その弾みで仰向いた浦原の目を見つめると「目,閉じてろ」と一方的に命じてシャワーのコックを手に取った。

「頭,洗ってやる」

温かい湯がざぶざぶと髪と生え際を伝う。
浦原は目を閉じずにずっと一護を見ていた。
眉間に皺を寄せ,でも真剣な眼差しで浦原の髪に湯を通す一護を。

「目ぇ閉じてろよ。シャンプー入っても知らねぇぞ」

掌で泡立てたシャンプーを髪に少しずつ馴染ませる。
頭頂部から側頭部にかけて立てた指をマッサージをするように動かす。
浦原がいつも一護の髪を洗うときにやるやり方だった。
頭頂部から側頭部。
耳の上から生え際を通って項の方へ。
そして後頭部から再び頭頂部額の上の生え際を丁寧になぞって,それをゆっくり時間を掛けて三回繰り返す。

「かゆいところとか,ないか?」

そう尋ねるところも同じ。
浦原は目を閉じゆっくり一度首を横に振った。
労られているというのが痛いほどわかった。
一護はぶっきらぼうな半面,人が抱く痛みや傷には人一倍敏感だった。
弱っているものがいれば手を差し伸べる。
当たり前のように。

いつもはそれを外側から眺めては歯がゆい思いをしたり嫉妬に駆られて伸ばしかけた手を横から引っ掴んだりしている自分がその手を差し伸べられる当事者になるとは。
浦原の中に苦い思いが広がる。でのその苦さの芯には蜜のような甘さもあって。

「一護サン」

再びシャワーで浦原の髪についた泡を丁寧に流す一護の名を呼んだ。

「なんだよ」
「どうして優しくするの?」
「あ?」
「アタシに,どうして優しくするの?」
「…………」

きゅっ,と音を立てて蛇口が閉められる。
ぱす,ぱす,と音がして,これはコンディショナのポンプを押す音か。
間をおかずしてひやりとした感触が浦原の頭部を包む。
一護は無言だ。しかし髪をいじる手はどこまでもやさしい。
髪を梳かれる感触がまるで頭を撫でられるようだ。

「大事だからに決まってんだろ」

髪に馴染ませたコンディショナの余分をぎゅ,と絞りながら一護はぽつりと云った。
浦原は今耳にしたばかりの言葉が信じられなくて目を開ける。
額についたコンディショナが目に入ってしみたが,気にならなかった。
今,一護は,なんて…?

「あ,馬鹿。目に入ってんじゃねぇか」

ざばざばと手をシャワーの湯で流す音がして,その指で目の端を拭われた。

「しみねぇの? ちゃんと流すか?」

浦原は一護の手を掴んだ。

「そんなことどうでもいい」
「よくねぇよ。炎症起こすぞ」
「いい」
「……俺がよくない」

いいから流せ。
シャワーのコックを無理矢理握らされた。
浦原はそれを放り出すと椅子の上で身体を捻り,一護の腰に抱きついた。

「何すんだよ! 俺まで泡だらけになっ」
「夢を見たんです」
「……夢?」

一護の声が慌てたものから窺うような響きに変わる。
そして引きはがそうと浦原の肩をつかんだ手からは力が抜ける。

「細かいところはほとんど覚えてない。ただ,起きたら酷く寂しくて。隣に一護サンがいなくて」
「俺,昨日泊まってねぇし」
「寂しくて胸のうちに穴が開いたようになってこのままじゃいられない,て外に出た」
「傘も持たずにか?」

口を噤んだまま腰を抱く腕にぎゅっと力を込めた浦原の髪を一護はゆっくり梳いた。
「ばぁか」小さな声でいい,また髪を梳く。

「恐かったんです」
「何が?」
「わからない」

緩く首を振る浦原に一護はそれ以上問うことはしなかった。
髪を何度か梳いた後,そっと身体を引きはがすと「とりあえず流すから,それ」と屈んでシャワーのコックを拾った。
床でさぁさぁ音を立てて湯を流し続けていたそれを手に取り,浦原の髪を濯ぐ。

「夢ってさ,そういうもんだよな」

薄く目を開いた浦原に苦笑いをしてみせて一護は視線を再び手に戻す。
髪の先まで存分に湯を潜らせながら「俺にも,そういうときあるから」と小さく呟いた。

「目,覚めてもまだ真っ暗な中にいるような気がすんの。息が苦しくて頭が痛くて指先痺れて。夢の中で何があったかなんてわかんねぇけど,寂しくて辛くて居たたまれなくなる」
「……そういうときはどうするの」
「大概夜明け前だからな,目が覚めるの。もう一度寝る」
「そんな気分のまま眠れるの」
「眠れないときもある」

でも。
殊更明るい調子で云うと,一護は視線をすい,と上げて浦原の目を見た。

「睡眠不足は虚退治でも慣れてるし,学校でも眠れるし。放課後まで待てばオマエもいるだろ?」

稀なことではあったが,一護がやってくるなり「一時間寝させて」とごろりと横になることがあった。
浦原も共に横になることもあれば羽織をかけてやってそのままそっとしておくこともある。
てっきり虚退治で明け方まで駆けずり回らせられたか,学校で疲れるようなことがあったのかとばかり思っていた。

「うちだと,ゆっくり眠れる?」
「……ん。夢なんか見ねぇもん」

浦原は目を瞑った。
胸のうちのつめたい空洞がするすると音もなく埋められていく心地がした。
埋めるのは一護の眼差し。一護の言葉。そして一護のぬくもり。

くしゅん。
小さなくしゃみが頭上でした。
浦原が目を開けると一護がシャワーのコックを持った手で鼻を擦っている。

「一護サン」
「あ?」
「脱いで」
「な,なんで」
「中途半端に濡れたままじゃ風邪引くから。きちんと温まって?」
「誰が濡らしたんだよ」

ゴメンナサイ。
謝る声には笑みが滲んで,伸ばした指先は違わず一護のシャツの釦を外す。

「あ,やめろって!」
「悪戯はしません。誓います。でもお風呂には入って」
「じ,自分で脱ぐから!」

慌ててシャツの裾を掴んだ手を掴んで止めさせて浦原は首を振る。
もう大丈夫。浮上した。引き上げたのは一護だ。この細い腕が自分の空虚を埋めて行く。

「アタシのせいですから,今度はアタシが責任もって一護サンを温めます」
「お,オマエ,云い方が…ッ!」
「邪推厳禁。ね,アタシに任せて?」

掬い上げるように見つめれば一護の頬が真っ赤に染まった。





Fin
(2006.08.22)





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