つめたい雨
-- blind your kindness --
音もなく雨が降り続く。
つめたく停滞する空気を頬に感じながら,浦原は明け方前の重たい灰色の空を見上げた。
――しょうがない子。
ひとりごちた呟きは音にはならずため息と共に宙に消える。咥えた煙管の吸い口に歯を立てるかちり,音が響いた。
雨の日の墓参りには慣れている。
父親が線香に火を点すのに傘をそっと立てかけてやりながらその背中を見下ろす。
妹たちは少し離れたところで待っている。
母の命日。
苦い後悔と胸が潰れそうな悲しみが甦る日。
父親から渡された線香束を手に屈みこんで線香置きに線香を供え,立ち上がって手を合わせる。
――おふくろ,俺,強くなれたかな。
返る言葉があるわけはなく,ただ,閉じた瞼の裏に浮かぶ微笑む母の面影をじっと見つめた。
雨に煙る墓地に線香の煙がゆらりゆらり棚引く。
「遊子,夏梨,一護,先に行ってろ」
父親に促され墓地を後にする。先を行く妹たちの背を見ながらちらりと振り返ると煙草を咥えて火をつける父の姿が見えた。
「遊子,夏梨,俺ちょっと寄るところあるから」
「え,どこ行くの?」
「……野暮用」
言葉を濁す一護を怪訝に見つめる遊子の腕を夏梨が引く。
「わかった。門限までには帰っておいでよ。じゃないとオヤジが煩いから」
「おう」
傘の下,手を繋いで歩く妹たちを見送る。
一年に一度,この日だけ二人は手を繋いで歩く。
縋りつくのとは違う。
支えあう。
言葉にすればそれが一番近い気がする。
――じゃあ,俺は?
脳裏に浮かんだ面影ひとつ。
馬鹿か。
鼻で笑って浮かんだ面影を打ち消すと一護は角を曲がり歩き出した。
「こんちわ」
からからから,と音を立ててサッシ戸を開けると帳場に頬杖をついてつまらなそうに店番をしていたジン太が顔を上げた。
「…なんだよオレンジ。ガッコさぼりかよ」
「…ちげーよ。用があったから休んだんだっての。浦原は?」
「来客中」
「そっか。じゃあ…帰るかな」
「オマエ来たら絶対待っててもらえ,って云われてんだけど」
「知るかよ。長くかかんだろ?」
「いや,もうそろそろ終わるんじゃね?店長すんげー機嫌悪かったし」
「……なんかますます帰りたくなってきた」
げんなりした顔で一護が云うと,ジン太は眉間にぎゅっと皺を寄せて「逃げんなよ」と不機嫌そうに云った。
その後顔を出したテッサイに茶の間に案内され,雨を相手に茶を飲んだ。
「黒崎さん,おはじきできますか」
鈴が転がるような声で云う雨に,昔遊子に付き合わされたルールを思い出しながら「多分」と答えると,嬉しそうに微笑んで小走りに座敷を出て行った。
障子戸の立て切られた茶の間に雨の音が満ちる。
天井から下がる蛍光灯の白い光。
柱時計がかちこちと時を刻む音。
それらを侵蝕するように。
塗りつぶすように響く雨の音。
「黒崎さん」
障子戸がからりと開いて雨が顔を出した。
「この巾着,夜一さんにいただいたんです」
云いながら手にぎゅっと持っていた着物のはぎれか何かなのだろうか,目にも綾な巾着の紐をしゅるりと解き,中から硝子製のおはじきをひとつかみ取り出した。
「お行儀悪いですけど,畳の上でやってもいいですか」
「いいんじゃね?もし浦原来て怒られたら俺が蹴飛ばしてやる」
「喜助さん蹴ったら可哀想ですよ」
くすくす笑う雨に釣られて一護も頬を緩める。
二人,畳の上に三時四十分の針のかたちに寝転んで硝子玉を弾いて遊んだ。
一護の番。
親指の先ほどの硝子玉に黄色い線の走ったの弾いて赤い線の走ったのに当て,二センチほど空いたその隙間に小指の先ですぅ,と線を引く。
「黒崎さん,上手です」
「そっか?」
雨の番。
水色の線が走ったのを緑の線の走ったのに当てたが,勢いが足りず空いた隙間は一センチほど。
細い指を慎重に動かすが,緊張が枷になってしまったのか指がおはじきに触れてしまった。
「あ…」
「気にすんな」
笑いながら手を伸ばし,頭をぽん,と撫でてやる。
泣きそうな顔が上がって,ふわり,はにかんだ笑顔になる。
「――黒崎サン,ここ?」
す,と襖戸が開いて浦原が顔を出した。
畳に頬杖をついたままそちらを見上げると,頭をぐしゃぐしゃとかき回しながら確かに不機嫌な空気を纏った浦原が大股でこちらに歩み寄るところだった。
「客,いいのか」
「えぇ。何してるの?おはじき?」
「雨に遊んでもらってた」
「ふぅん」
「喜助さん,テッサイさんに云ってお茶,貰ってきますね」
立ち上がろうとする雨に,浦原は「あ,さっき台所の前通ったから自分で云いました」と云い,振り返った雨に優しい,だけれど有無を云わせない笑顔を向けた。
「雨,ごめんね。黒崎サンちょっと借ります」
「あい」
しゃがみ込んでいた浦原が立ち上がり,じゃあ行きましょ,と一護を促す。
一護は心配そうに雨に目を向けたが,雨がにこりと笑ってこくん,と頷いたのでその後に続いた。
畳も,座布団も,明るさも,煙草の匂いがほんの少し染み付いた空気も,すべてが馴染みきっているはずの浦原の部屋。
差し向かいで茶を啜りながらも,なんとなく言葉少なになってしまい,空気は重く沈殿した。
「雨,止まねぇな」
「えぇ。おかげで髪が鬱陶しくて」
「家にバリカンあるぞ。持って来て刈ってやろっか」
「……一護サン,五分刈りのアタシ見て笑わない?」
「……笑い転げるだろな」
ふ,と浦原が笑い,一護も苦笑を浮かべる。
そのまま会話は途切れて,茶を啜る音だけが部屋に響く。
ふらり,浦原が立ち上がった。
湯呑に口をつけたまま目で追う一護の視線の先,盆に湯呑を戻すと黙って一護の背後に腰を降ろす。
そして腰を抱くように,その身をそっと包み込むように抱き締め,一護の背中に額を押し付けた。
「甘えて」
「……なんで」
「いいから」
「そんな気ねぇよ」
「なくてもいいから」
「ねぇのにできるか」
「あってもしないくせに」
「るせ。仕方ねぇだろ。性分なんだから」
「だからお願いしてるのに」
「いいんだよ。放っとけ」
「放っておきたくないの」
「放っておけない」ではなく「放っておきたくない」
そんな風に云われたらなんて返していいかわからない。
一護は困惑して視線を落とした。
手の中の湯呑はもう空で,抱き締める浦原の腕はやさしくて。
どうしていいかわからない。
「して欲しいことを云って」
「…ねぇよ,そんなの」
「泣きたかったら泣かせてあげるし,抱かれたかったら抱いてあげる。眠りたかったら眠らせてあげるし,アタシにできることならなんでもしてあげる」
背中から滲み入るような浦原の声。
そっと息を吐くと,まるで嗚咽のように震えた。
「さんばんめ」
誤魔化すようにぶっきらぼうな声で云う。
抱き締める浦原の腕に力が篭り,すっぽり抱きすくめられてしまった。
「腕枕と膝枕,どっちがいい?」
雨の音が満ちる座敷の中ほどで折りたたんだ座布団を枕に一護は眠っていた。
背後から抱き締める浦原の腕が毛布代わり。
昨日は一晩中雨の音を聞きながら起きていた。
携帯は机の引き出しに放り込んで,窓にはカーテンを閉め切って。
毛布を頭まですっぽり被って膝を抱えて丸くなって。
来るな。
そう強く念じていた。
甘えたくないんだ。
甘えるわけにはいかないんだ。
だから,来るな。
浦原は全部知っていたんだろう。
だから,昨日はひとりにしてくれた。
昼過ぎに届いたメィル。
ともすればひとりになりたがる自分から逃げ道を奪い,ここに来る口実を与える脅し文句。
狡ィよな。
とろりとろり,たゆたうような眠りの淵で一護はそう思う。
「甘えて」なんて懇願。
言葉にならない思いを胸に,一護は深い眠りに落ちていった。
Fin
(2007.08.08)
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Flying colors // Ritsu Saijo presents
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