No.427






「お待ちしてましたよン。どうぞコチラへ」

目深に被った帽子の鍔に目元を隠し,迎えに出た浦原に続いて夏梨は「浦原商店」と看板の掲げられた店の入口を潜った。
客のいない駄菓子屋はなんていうか寂れた匂いがする。そんなことを考えながらどこか懐かしいような感じのする匂いを深く吸い込む。
帳場の前で靴を脱いで,微かに軋む床板を踏んで茶の間へと通され,丸い卓袱台を挟んで浦原と差し向かいに腰を下ろすと,ほどなくしてテッサイが茶を運んできた。

「で,今日のご用件は?」

テッサイが下がると卓袱台にだらしなく頬杖をついて浦原が尋ねた。
夏梨は制服の胸ポケットに手を遣ると,中から壊れてしまった御守を取り出し,卓袱台の上に置いた。

「オヤ,今回は随分と早かったっスね」

云いながら浦原は予め用意してあったらしい新しい御守を懐から取り出して卓袱台の上に置く。
そして代わりに壊れてしまった御守を手に取って,懐へと仕舞った。

夏梨がこんな風にこの店を訪ねるようになって一年と少しが過ぎた。
兄が霊力を失ってから,それと入れ替わるように自分の感覚がどんどん鋭くなっていき日常生活にも支障が出るようになっていた。
しかしそれを相談するには父親はやかましすぎて,兄へは力を失ったことを知っている分どう尋ねていいかわからなかった。
結局ひとりでストレスを溜め込みながら,それでもどうにかこうにか対処していたとき,浦原の方から接触を図ってきたのだった。






あれは春先の夕暮れ時のことだった。
空き地で友達とサッカーをやった帰り道,夏梨は家へと帰る途中どうしても前に進めなくなった。
何がある,というのではない。
視線の向こうには見慣れた町並みが広がっているだけだ。
ただ感覚が。
そこに何か大きなものが道を塞いでいるという感覚が夏梨の足を止めさせた。
しかし,虚と呼ばれる化け物ならば今までにも何度も目にしたことがある。
以前はうすぼんやりとしか見えなかったそれらが,ここ最近では人間と同じようにはっきりくっきりと見えるようになっていた。
霊もまた然り。
だから,見えないのに感じる,という感覚につよい戸惑いを覚えた。
気のせい,なのか。
そう思って足を踏み出そうとするけれども,意識より身体がつよい警戒を発し身動きが取れなくなる。
ならば,踵を返すか。
しかし背を見せるのもまた危険な気がした。
躊躇っているうちにどんどんと時間は過ぎて行き,夏梨は焦りを覚えて唇を噛み締めた。
そのときだった。

「いっくら隠れてたってそんな大きな図体で道を塞いでたら,迷惑この上ない」

ねぇ?
傍らに立った大きな人影が,夏梨に尋ねるようにそう云った。
そして,動けない夏梨の横で腕をすい,と伸ばすと手にしたステッキの先端をその見えない大きなものに向かって突き立てた。
小さ過ぎて聞こえない声が,何か呪文のような言葉を連ねた。
すると,次の瞬間夏梨の前方を塞いでいた大きな気配は跡形もなく消え去った。

あまりの出来事に呆然としていると,傍らに立つ人影がゆっくりと夏梨の前に回りこんだ。

「大丈夫っスか,黒崎サン」

名を呼ばれておずおずと顔を上げる。
と,そこに浦原が居た。
素足に下駄履き,深緑色の作務衣に黒い羽織を羽織って,手にはステッキ。
そして目深に被った縞模様の帽子の下で口元だけを笑みの形に歪めていた。

「アンタ,浦原商店の」
「ハイ。よかった。覚えててもらって」

覚えるも何も,そんな変な格好をしている大人を夏梨は他に知らない。
ほんの一瞬父親の姿が脳裏を過ぎったが,アレはコレとはまた種類が違う。
浦原のことは,ジン太を遊びに誘いに行くときだとか,遊子に誘われて雨を訪ねるときだとかに出入した駄菓子屋で,何度かその姿を目にしたことがあった。

「でも,なんで」
「オヤ,お兄サンに聞いてない?」
「……あんまりそういう話しないから」
「なるほど。ええと…あんまりだらだら説明しても仕方ないんで,簡潔に云っちゃうと,アフターサービスってヤツっス」
「アフター・サービス?」
「えぇ。黒崎サンのお兄サンにはアタシら,随分とお世話になったンで,そのお返しを妹サンにって」
「一兄ィに頼まれたの?」
「いえ,そういうわけでもないんスけど」

困った風に首を傾げて,浦原は懐から取り出した扇子で肩をとんとん,と叩いた。
そしてそれをほんの僅か開くと,手の中でぱちん,と鳴らし「こういうことでどうでしょう」と夏梨に向けて差し出した。

「お困りの際はどうぞうちの店を頼ってください。アタシがいるときはもちろん対応させてもらいますし,店員たちにもその旨言いつけておきます。黒崎サン自身はご自分の力でなんとかなるかもしれないっスけど,お友達や妹サンたちが巻き込まれるのは」

困るでしょ?
帽子の鍔の影の下からつよい光を帯びた瞳にそう問われ,夏梨は思わず頷いた。
しかしすぐに「でも」と眉間に皺を寄せると

「一兄ィはともかく,あたしはそんな親切にしてもらう理由がないんだけど」
「お兄サンに受けた恩を妹サンにお返しするって云うのは,駄目っスか」
「駄目っていうか…気が引ける。あたしはあたしで,一兄ィは一兄ィだから」
「……そういうところ,お兄サンとそっくりっスね」

夏梨は浦原の声にぞく,と背筋が震えるのを感じた。
こわいと感じたわけではない。
声にも口調にも表情にも悪意は感じられなかった。
けれどもなんでか背筋がぞくりとし,身を震わせた感覚が気のせいではないと証明する様に服の袖の下で皮膚が粟立っている。
いったい,何が――,と探るように浦原を見ると,誤魔化すように口の端に笑みを刷いた胡散臭い帽子の男は「なら,ひとつお願いがあるんスけど」と夏梨に取引を持ちかけた。






「これ,頼まれてた分」

夏梨は新しい御守を引寄せて制服の胸のポケットに仕舞うと,傍らに置いた鞄を開けて中から小さな黒いケースを取り出した。
ケースの中には最新型のデジタルカメラが入っている。
あの日,浦原が持ちかけた取引は,兄一護の写真をこのカメラに収めて来る事だった。

「……あんた,何。一兄ィのストーカ?」

警戒を思い切り顔に出したまま尋ねた夏梨に,浦原は大仰に驚いたふりでそれを否定した。

「まさか!お望みなのはうちのお客サンたちなんスよ」

苦笑を浮かべて浦原が説明したところによると,死神代行としてこの店に頻繁に出入していた兄には当時の小学生(現中学生)を中心に密かにファンクラブがあったらしい。
そんな客たちに紫色の封筒に入って何百枚と綴られているくじ引き型のアイドルのブロマイド以上に,兄の写真はとてもウケがよかったんだそうな。
代行を辞めて以来その機会を失い写真を売ることはしなくなったが,今でも馴染み客たちから再販しないのかと熱烈な要望を受けるのだ,と。
胡散臭い話だとは思ったが,中学に上がるなり「黒崎さんて,あの黒崎先輩の妹さんなんだよね?」などと同じクラスだけでなくほかのクラスや上級生から,果ては他校の生徒からも声をかけられたことを考えればあながちないとも言い切れない。
面倒見はいいとは思うがお世辞にも愛想がいいとは云えない兄の,一体何がそんなに惹き付けるのか夏梨にはわからなかったが,遊子などは「お兄ちゃんモテモテだね!」と素直に喜んでいた。

「…でも,写真とか」
「普通のでいいんスよ。おうちでごはん食べてるところだとか,お勉強してるところだとか。もちろんお兄サンが嫌がったり黒崎サン自身の気が咎めるようなら無理強いはしませんし」

そう云って差し出されたカメラを,気づくと夏梨は手に持ったまま家へと帰っていた。
帰宅して,ダメ元で兄にカメラを向けると「止めろよ」といいながらも強くは咎められなかった。

「一兄ィ,笑ってよ。写真にならないじゃん」
「無茶云うなっつの」

いいながらも兄は眉間に皺を寄せたまま,ぎこちない笑顔を作ってくれた。
ほんの少しの後ろめたさを覚えながらも,夏梨はそれ以来時間があるとカメラを持って兄の部屋に入り浸るようになった。

写真を撮る理由は「写真部に入ったから」ということにしてあった。
カメラの操作に慣れるため,なるべく身近なモノを撮ってみるようにと云われたのだ,と。
この言い訳も浦原が夏梨に吹き込んだものだったが,兄は「あんま変なところは撮るなよ」と顔を顰めながらも不承不承許可をくれた。

撮る写真は本当にありきたりなものばかりだ。
ベッドに寝そべって雑誌を読んでいる横顔だとか,机に向かっている後ろ姿だとか。
床に座る自分を見下ろして「だからそれ止めろって」と手でファインダを遮るようにする渋い顔だとか。

カメラを浦原商店に持ち込む前の日,夏梨は寝る前にベッドの中で撮り溜めた写真を確かめるのが日課になった。
笑う兄。
怒る兄。
顔を顰める兄。
真面目な顔の兄。
どこか遠くを見る兄。
これを見てあの店長は何を思うのだろう。
何も思わずに事務的に商品になりそうなものをピックアップして女子中学生や女子高生相手に売り捌くのだろうか。

ふ,と魔が差して夏梨は写真の消去の可否を問う画面をじっと見つめた。
普段なら消してしまう兄の寝顔。
居間のソファで夕食後うとうとしているところを撮った写真。
いつも刻まれている眉間の皺がほどけて,やさしい顔になっている。
ファインダを構えていると背後で遊子が「お兄ちゃんにバレたら怒られるよ!」と諌めたが,「やばそうだったら消すから平気」とそのままシャッタを切った。

何か幸せな夢でも見ているのか,少し笑っている風にも見える顔で眠る兄。
普段なら消してしまうそれを,夏梨はそのまま保存した。
兄にバレたら大目玉を食らうだろうが,写真のチェックをするとき,あの店長がどういう反応をするかが知りたかった。

「いつもいつもアリガトウゴザイマス」

微かに笑みを孕んだ声でいって,伸ばされた浦原の手がカメラを取り上げる。
そしてスイッチを入れ,小さな液晶に映し出される画像を一枚ずつ確認していく。
指が刻む規則正しいリズム。
一枚目,二枚目,三枚目,四枚目。
二十数度押されたところで,浦原の指がぴたりと動きを止めた。
帽子の鍔に隠されて目元の表情は伺えなかったが,ほんの一瞬頬が緩むのが見えた。
やっぱり,と夏梨は思った。

何がやっぱりなのか。
上手く言葉にならないけれど,兄とこの男の間にはきっと何かがあったのだ。
死神代行と,それを補佐する胡散臭い男。
たぶん,それ以外の何かが。

「……浦原さんてさ」
「ハイ?」

浦原が全ての写真のチェックを終え,カメラを懐に仕舞うのを待って夏梨は尋ねた。
いつもの飄々とした調子で聞き返してくる浦原を見ると,聞くだけ無駄か,と諦めが涌いて「なんでもない」と口にしかけた問いを飲み込んだ。
卓袱台の上に置かれた香ばしいほうじ茶を一口啜る。
添えられていたのは濃い橙色の羊羹で,添えられた竹製の楊枝で一口分切り取って口へ運ぶと干し柿の味がした。

夏梨が黙って茶を啜り,羊羹を食べる間浦原も黙ってそこに居た。
多いときで週に二度ほどこの店を訪ねるが,いつもこんな風だった。
浦原は多くは語らない。夏梨が何か尋ねれば答えをくれるが,進んでは口を開こうとはしなかった。
けれども沈黙が重いわけではなく,不思議と居心地がいいとすら感じられる。
兄も同じようにこうして茶をごちそうになったのだろうか。
そのとき浦原はどんな顔をしてどんな話をしたのだろう。
尋ねてみたいと思うけれども,浦原にしても兄にしても,きっと答えてくれない気がした。

夏梨は羊羹の最後の一切れを口へ運ぶと,茶の残りを飲み干し立ち上がった。

「ご馳走様でした」
「イエイエ,なんのお構いもせずに」
「御守,ありがとうございます」
「また何かありましたら,お気軽に」

夏梨が会釈して茶の間を後にするのを,浦原はだらしなく卓袱台に頬杖をついたまま見送った。
襖戸を開けて部屋を出るとき,ふ,と思いついて夏梨は足を止めた。

「浦原さん」
「ハイ?」
「一兄ィに,何か伝言ある?」

西に面した窓から差し込む夕日のせいで,浦原の顔は影に沈んでよく見えない。
夏梨は影の奥を見透かすようにじっと目を凝らし浦原を見つめた。

「……伝言。そっスね。大分涼しくなってきましたし,風邪引かないように気をつけてくださいねって伝えて貰えます?」

ありきたりにも程が過ぎる内容に鼻白んだが,夏梨は自分から言い出した手前「わかった」とだけ云って浦原商店を後にした。

今日はカメラはないけれども,食事の後は兄の部屋へ行こう。そう思った。
そして浦原商店の主にこんな伝言を託されたと話してみよう。

兄はどんな顔をするだろうか。
笑うだろうか。
顔を顰めるだろうか。
それとも――。








もちろん浦原さんは手に入れた写真は売ったりせず,たぶんこのあと一人きりでもう一度見た後全部消しちゃうと思う。
そんな話。

2010.11.23

























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