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No.424
引ったくりの犯人は呆気なく捕まった。 潜ってきた修羅場がどうとか誇るつもりもないけれど,はっきり云って手応えがなさ過ぎる。 鞄の持ち主には大層感謝をされたけれど,それを嵩にきてラーメをン奢ってもらうとか面倒くせえ。そう思った。 だからさっさと鞄を返してその場を後にした。 黄昏時の街を行く宛てもなくただ歩く。 いつの間にか持て余すようになってしまった放課後。門限までの時間。 高校三年ともなれば進路が目先にちらついて,友達同士寄り集まってバカ騒ぎする機会もぐん,と減る。 ――ンなこと云って,一護の付き合いが悪いだけだろォ! 耳の奥に啓吾の声が蘇り,一護は小さく笑みを零した。 お前にばっか付き合ってられっかよ。 ひとりごちて,空を見上げる。 どんよりとした雲に覆われた空は灰色というより鈍色で,今にも雨が降り出しそうだ。 降り出す前に帰らないと。 そう思うのに足取りは重い。 靴底がアスファルトを蹴る音を聴きながら,気づくとまたいつもの場所に来ていた。 看板のない小さな商店跡。 住居付店舗,家賃応相談,ご連絡はこちらまで。 すっかり褪せてしまったチラシをじっと見つめ,錆の浮いたシャッターの表面にそっと指先で触れ目を瞑った。 瞼の裏に映るのは嘗ての姿。 カラカラカラ,と音を立てて開くガラス扉。 いくつもの駄菓子の容器と,古びた文房具やスーパーでは決して見かけない雑貨の類。 ほかにも輪ゴムを動力とする紙飛行機や水で濡らして貼り付ける刺青のシールなど,怪しげな玩具がいくつも並んでいた。 レジスタの代わりに畳の敷かれた帳場があって,買い物をする子どもたちは手に持った小銭を差し出し,うすい白い紙で出来た紙袋に包まれた駄菓子を受け取る。 帳場の奥に続く廊下の先,店主の部屋の入口近くに腰を下ろして,ぼんやりとそんなやり取りを眺めたことが何度もあった。 浦原商店。 一護が死神代行として過ごした数ヶ月の間,ことあるごとに訪ねた場所。 それがある日を堺に姿を消した。 死神の力を手放すと決めたとき,いつかはそうなる日が来ることは覚悟していた。 けれども,まさかあんな風に,全てが最初からなかったかのように消えてしまうなんて。 しかし,不思議と腹は立たなかった。 どれだけ言葉を尽くして説明されても,自分はきっと納得できなかっただろう。 理解はできる。けれども,心が頷かない。 笑って見送ることも,泣いて縋ることもできず,ただ身の裡深くに傷を残すしかできなかったはずだ。 だから,きっと,あの人は間違っていなかった。 間違ってはいなかった。けれど――。 硬く噛み締めた奥歯を解いて,一護は詰めていた息をそっと吐き出した。 あれから何度こんな風にここを訪ねただろう。 もう二度と会うことは叶わない。 わかっているのに,それでも一縷の望みを繋ぐように来ずにはいられなかった。 もしかしたら。 あのひとはウソツキだから。 意表をつくのが得意だから。 もしかしたら。 もしかしたら。 そんな風に何度も,何度も――。 耳が,微かな音を拾って一護は伏せていた顔を上げた。 まさか。 そう思った。 そんな馬鹿な。 けれども,確かに音がした。 掌が触れる錆の浮いたシャッタの向こうに人の気配がある。 「…う,そだろ」 呻くように呟いて一護はシャッタを見つめた。 触れた掌の下,かしゃん,と鍵の外される音がした。 まさか。 そう思うのに,心臓が壊れたみたいにけたたましく鼓動を刻む。 触れていた手をそっと引いた。 それと同時に,ガラガラガラ,と耳障りな音を立て,シャッタが開く。 そして――。 「オヤ,黒崎サンじゃないっスか。お久しぶりで。お元気でした?」 深緑色の作務衣に黒羽織,足元には下駄を突っかけた男が,一護に気づいて口の端を引上げる。 目深に被った子持ち縞の帽子のせいで目元は見えない。 けれども,声が笑っていた。 「な…,なんで,あんた」 「そんなことより,黒崎サン」 かつん,と下駄が硬い音を立てて,男――浦原が一歩身を引いた。 どうぞ中に。 そう促すような仕草。 一護が何か思うより先に,勝手に足が踏み出していた。 空けられた距離を詰めるように。 店の入口を潜ると,埃の匂いがした。 棚の類はそのままだけれど,嘗ては隙間なく並べられていた商品の代わりに,ただ埃の積もったうら寂しい姿を晒している。 ぐるり,見回そうと首を巡らせようとしたとき,腕が強い力で掴まれた。 何,と思う間もなく,影に引き込まれるように浦原の腕の中に居た。 「…会いたかった」 耳元で囁かれる低いかすれ声。 確かに聴いているはずなのに,これは自分に都合のいい白昼夢なんじゃないかなんて思えてくる。 一護は浦原の言葉には答えず,だらりと垂らした腕をほんの少し持ち上げて,羽織の裾を掴んだ。 そして,顔を埋める羽織に包まれた肩口から懐かしい匂いを胸いっぱいに吸い込んだ。 夢じゃない。本物だ。本物の浦原が,目の前に居る。 「…なんで戻ってきた」 尋ねた声は聞き取りにくいほど掠れていた。 「元から戻るつもりではいたんスよ。ただ,追放が解けたのもよかったんだかよくなかったんだか。とにかくアチラさんでの後処理に追われることになっちゃって。身分も定まらないまま慌てて荷造りして行く事に」 浦原のため息混じりの声が途切れ,背に回された腕に力が篭る。 「戻ってこられる保証はなかった。でも,戻ってきたかった。たとえ一時といえど,別れを告げたらそれが本当になってしまう気がして,云うことができなかった」 「…相変わらず」 「勝手だな,てそう思う?」 うん,と頷くと,浦原が小さく笑った。 「臆病なんスよ。コトがキミに係ると,アタシはどうしようもなく臆病になる。卑怯にもなる。ゴメンね」 謝れば済むというものでもない。 そんな思いがなかったわけではないけれども,言葉は口をついて出ることはなかった。 頭の芯がぼーっとしている。 ここに浦原が居る。 ずっと会いたかった。 顔が見たかった。声が聴きたかった。触れたかった。 その浦原が,ここに居る。 喉が小さく音を立てた。 少しでも気を緩めたら涙が溢れそうだった。 奥歯をきつく噛み締めて,羽織の裾を掴む手を解いた。 手を持ち上げて,浦原の背に回す。 触れる箇所から伝わるぬくもりが,干からびた地面に降り注ぐ雨のように滲みていく。 「一護サン」 「……何」 「ただいま,て云ってもいい?」 「……いいけど」 「けど,何?」 「後で一発殴らせろ」 「え,」 「厭とは云わせねぇからな。俺が,どれだけ――」 大丈夫だと思ったのに,やっぱり声は揺れて,掠れて,震えて,消えた。 抱きしめる腕に力が篭る。 胸が苦しい。 息が止まる。 浦原が。 浦原が。 浦原が帰ってきた。 「……お帰り」 涙混じりの声に,浦原がひっそりと笑う気配が重なった。 だって,あんまりにも一護が憂いを帯びた表情をしてるし 部屋の窓にカーテンついてるのに,開けっ放して寝てるから。 浦原さん待ってるのかなって思ったんだ。(´・ω・`) 2010.11.01 |