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synchronicity






一護はそわそわしていた。
二月に入ってすぐ,カレンダを見るたびに,その中ほどに視線が止まる。
じっと見つめてため息。
それを日に何度も繰り返していた。

02/14
バレンタイン・ディ。
巷では女の子が恋人にチョコレートなど贈り物をする日。
もしくは,好きなひとにチョコレートを贈り,思いの丈を告白する日。

本当ならば一護には関係ないはずだった。






「いーちーごー,サンッ」

げ,戻ってきやがった。
一護は口の中に頬張っていた甘い焼き菓子を慌てて咀嚼すると,幾分冷めたウーロン茶で無理矢理飲み込んだ。
本当はこんな勿体無い食べ方,したくない。
でも,この口調,この声音,だったら次に来るのは……。

ずしっ。
肩というか背中全体にかかる重み。
おんぶおばけよろしく浦原が抱きつき圧し掛かってきた。

「重い!」
「愛の重さです」
「いるかそんなの!」
「ぶっぶー。残念ながら返品不可となっております」
「す,捨ててやるーッ!!!」

ぎゅうぎゅうと力任せに抱きすくめられて,腕を解くこともそこから抜け出ることも出来ない苛立ちから,一護は叫んだ。
浦原はおかしそうに耳元でくすくす笑うと「ちょっとやそっとの捨て方じゃあすぐにお手元,戻りますけどねv」と云った。

「もう放せよッ!オヤツ食ってんの!」
「オヤ,それは失礼を。今日はなんですって?」
「フォンリンスーって云ってた」
「……何語?」
「中国。ええとなんつったっけ…鳳凰の梨の酥って書くってテッサイさんが」
「すーはお酢?」
「や,ちょっと違う」

畳の上に一護が文字をなぞるのをじっと見つめた浦原は「ふうん」とたいして興味なさそうに相槌を打った。
一護は腕が緩んだのをいいことに身体を捻るようにして浦原の対面に座った。

「ウマいよ。これ食うか?」
「どうも」

差し出された小さな焼き菓子を手でちぎるのではなく直截一口齧り取った浦原は,視線を天井に向けて幾度か咀嚼すると「ごちそうさま」と小さく云った。

「ウマくねぇ?」
「や,そんなことないっスけど」
「オマエ,甘いもの嫌いだよな」
「嫌いじゃないっスよ。……あ」

何かを思い出したように声を上げた浦原に,一護は手に残った焼き菓子を頬張りながら視線を向けた。
なに?と目顔で問うと,浦原はくふり,と「悪巧みしてます」と背後に文字書きされそうな笑顔で「ねぇ一護サン」と名前を呼んできた。

「…なんだよ」
「アタシ,欲しいなぁ」
「へ。もう食っちゃったぞ」
「それじゃないスよ」
「あ?」
「チョコレートv」
「はぁ?」

小振りな湯呑みに注がれたウーロン茶を一息に飲み干すと一護は「食いたかったら買ってくりゃいいじゃん」と呆れた声を出した。

「違いますよン。一護サンから貰うことが大事なの」
「なんで」
「だってそういう日,なんでしょう?」
「だから何が」
「2月14日。ばれんたいん・でーて云うんでしたっけ?」

ばれんたいん・でー。
バレンタイン・ディ。
そういう日? 間違っちゃいないかもしれないけど,いや違うだろ。それ俺にねだるものじゃねえだろ。
一護は驚愕,黙考,逡巡,とひとり百面相を決めた後,「いや,それ無理」と言下に却下した。

「ええ,どうして?」
「つーか考えても見ろ。その時期のチョコレート売り場なんつったらオマエ,戦場だぞ? 俺去年遊子にせがまれて買い出し付き合ったけど,アレは無理。荷物もちでも入っていくのしんどいのに,あの中に突進して尚且つ買い物なんて絶対無理」
「………愛が足りない」
「はぁ?」
「だって,アタシから何かおねだりするなんてそうそうないでしょ?」

よく云う!
一護はフン,と鼻を鳴らした。

「昨日も俺が帰ろうとしたら泣き落とし仕掛けてきやがったのは誰だ」
「あ…」
「その前は週末友達と遊びに行くっつってんのに,アレコレ難癖つけて自分優先させたよな?」
「う…」
「で,どの口が『おねだりすうるなんてそうそうないでしょ』っつーんだ? あぁ?」

半眼と腕組み,さぁ反論があるなら云ってみろ!と云わんばかりの一護に,浦原は口を噤むしかなかった。
あーともうーともつかない唸り声を上げると,帽子を脱いで髪を掻き回す。

「欲しかったんスけどねぇ…」

浦原がそれでも恨みがましく呟くと,一護は膝を抱えて視線を逸らした。

「あのさ,足りないわけ?」
「ハイ?」
「俺,かなりオマエのこと特別扱いしてると思うんだけど」
「えっと…」
「俺,オマエのこと好きだって云ったよな」
「あ,はい」
「それだけじゃ足りない?」
「足りないっていうか…」

詰め寄るというよりもどうしたらいいかわかんない,と俯くような一護の物言いに,浦原はらしくない歯切れの悪さで口を噤むと,口を覆ってしばし黙り込んだ。
そして畳の上をすい,と一護に擦り寄ると,膝を抱えた一護の手をそっと外し,それを自分の掌で包み込んだ。

「ゴメンナサイ」
「……謝るようなことじゃねぇけど」
「アタシ,我侭ですよね」
「我侭っつーか」
「最近,いや,前からかな。一護サンとこうなってからこっち,どんどん歯止めが利かなくなるんスよ。もっと,もっとってそればかりが先行して。今手の中にあるものをもっと大事にしなきゃって思うのに,自分の知らない一護サンがまだいるんじゃないかって気になって仕方がない」
「……オマエ,なぁ」
「わかってるんスよ。こんなんじゃいつか愛想つかされるって。でもね」
「もういいから」

一護は浦原の言葉を遮ると,自分の手をそっと包む掌ごとぐい,と引いた。
浦原の視線がす,と上がるのを視界の端に捉えながら,身体を反転させて,浦原の胸に背中を預ける。

「もういいから,ちょっと黙れ」
「…………」
「あのな,こんなこと云うのすっげ恥ずかしいから嫌なんだけど,俺がこういうことすんのはオマエだけだ。触りたいって思うのも,それ以上のことしたいって思うのもオマエだけ。それじゃ足りねえって云われたら俺には何もできねぇけど,でもそう思ってるってことだけは覚えておけ」
「……はい」
「ちきしょ。なんかすっげー小っ恥ずかしいこと云った!」

一護は云うなり手を後ろに回すと,帽子のない浦原の髪をぐしゃぐしゃに掻き回した。

「オマエが云わせたんだからな!覚えてろよ!」
「…忘れませんよ。こんな甘い告白」
「いや,それじゃなくて」
「え?」
「あーもういい。ほんとにいい。ちっきしょ…」

真っ赤になった一護を胸に収めて,浦原は胸のうちに広がった甘やかな熱を噛み締めていた。
なんて愛しい。
そしてなんてしなやかな。
ふわりふわり外の寒さに場違いな真っ赤な花が胸に咲く。
その心地に頬を緩めたまま浦原は一護を抱いていた。






02.14 23:24
一護は家中の音が絶えたのを確認すると,抜き足,差し足で外に出た。
空気はぴん,と張りつめたような冷たさ。マフラに首をぎゅっと埋めて,ポケットの中のものをそっと手で撫でる。
隣町の洋菓子屋の飛び切り苦いビタ・チョコレート。甘いものなんかちっとも好きじゃないくせに,欲しがる浦原へ選んだのはそれだった。
ばかだ。あほだ。俺,どうかしてる。
そうは思うけれども,散々迷って決めたことだった。
もういい。歩け。もしくは走れ。いや,走ったら壊れるかもしれないから,早足で。

あーッ!んったく!
一度だけ地団駄を踏んで,一護は歩き出した。
たったひとりの恋人の元へ。






「あれ…浦原,いねぇの?」

一護は庭の板塀の一部をそっと押して浦原の部屋に面した庭から入ると小さく声を上げた。
浦原の部屋は灯が消え,しんと静まり返っている。

「風呂,かな」

いつキミが来てもいいように,ここは鍵開けておきますんで。
以前浦原が云った通り,サッシ戸の鍵はいつも開いている。
そこに手をかけ,足音を忍ばせてそっとそっと部屋に入った。
がらんどうの部屋。どうするか。ここで待つか?
壁掛け時計は24時まであと僅か。明日も学校だ。水曜日だ。帰る…か。
ほんの少しがっかりした気持ち。いや,でも少しほっとした。
文机の上に,ポケットから取り出した包みをそっと置く。
手近の紙に何か手紙を残そうとしてしばし逡巡。結局止めた。
わかるだろ?俺からだって。
わかるよな。俺からだって。
寒いはずなのに,顔が赤くなるのがわかる。暑い。帰ろう。

入ってきたときと同じようにそっと足音を忍ばせて外に出た。
来たときとは違う足取り。でも同じ道。
家へと続く道を歩きながら,一護は空を見上げた。






02.14 23:38
浦原は空を飛んでいた。
正確に云うと飛ぶように駆けていた。下駄履きなのに足音もなく屋根から屋根へ。電柱の天辺から電柱の天辺へ。
浦原が飛ぶ度に黒い羽織の裾が翻り,がまるでこうもりの羽のようにばさり,ばさりと風を孕んだ。

一護サン,喜んでくれますかね。
よくよく考えたら貰わなくたっていいんですよ。アタシがあげたらいい。あの子は甘いもの大好きだから。
ものなんかよりもいいもの,いつもたくさん貰っているのに。
愛しい。それが伝われば,それでいい。

くふり,頬を緩めて浦原はまた屋根を蹴って駆け出した。
たったひとりの恋人の元へ。






「コンバン…アレ?」

浦原はかつて知ったるなんとやら,で一護の部屋の前に居た。
前に,というよりも窓を開けて,その桟に下駄の歯を噛ませた格好で。
部屋の中はがらんどう。
電気スタンドもずいぶん前に灯を落としたらしく,すっかり冷えている。
霊圧も感じない。

「ご家族でおでかけっスかね…」

心なし声が沈む。でもまぁ,と気を取り直して下駄を脱ぎ,そっとベッドに降り立った。
一護の部屋。一護のいない,空っぽの。
このままここで帰ってくるの待ってても…。明日も平日ですし,ねぇ。ため息をひとつ。
浦原はベッドから降りると,一護の勉強机の前に立った。
懐から取り出したのは掌サイズの真四角の箱。橙色の包み紙に金色と焦げ茶色のリボンが括られていた。
閉じておかれたノートを開く。
予習用のそれに,何か手紙を残そうとして,しばし逡巡。
云いたいことはたくさんあるけれども,でも,云わなくてもきっと伝わる。
わかりますよね,アタシからって。
わかるでしょ,アタシからって。
これを見たあの子はどんな顔をするんだろう。
ほっぺたに手を当てて,そっと手を伸ばしてためつすがめつ。
リボンを解いて,蓋を外して,歯磨きしたことを思い出して,でもきっとひとつは食べるはず。
明日,どんな顔して会いに来てくれる。
それだけを愉しみに,今夜はお暇することにいたしましょ。

入ってきたときと同じように足音も立てずに外に出た。
抜かりなく鍵も閉めて,ふわり,屋根に飛び上がる。
来たときとは違う足取り。でも同じ道。
店へと続く道を飛ぶように駆けながら,浦原は街を見下ろした。






「アレ?」
「うわ!」

声がしたのはほぼ同時。

「何してんだよオマエ!」
「一護サンこそ!」
「俺は…コンビニに消しゴム買いに?」
「アタシは…たばこを買いに?」

嘘を吐け!
思ったのも,たぶん同時。

ほんのわずかの視線の応酬の後に,浦原はふわりと降り立った。
一護は視線を逸らしてそこに立ちすくむ。
ああ,もっと早く帰れば良かった。
ちきしょ,ちきしょ,ちきしょー!
後悔先に立たずとはよく云ったもの。絶対笑ってる。絶対だ。

「コンバンハ。一護サン」
「……こんばんは」
「寒いから,早く帰らなきゃ駄目っスよ?」
「るせ」
「オヤ,可愛くないことを云う」
「オマエだって朝寝し通しなんだから夜歩きなんかしてんじゃねぇよ」
「あはははは。それを云われちゃ埒もない。送り狼しようと思ったけど,今日は止めておきましょっかね」

くふりくふり上機嫌で笑う浦原に,一護は怪訝な気持ちを覚えて盗み見た。
しかし街灯と街灯の丁度半ばの場所にいるせいか,その表情は読み取れない。
せめて月がもう少し明るかったら,と思わないでもなかったが。

「早く帰れ,ばーか」

咄嗟に出たのは憎まれ口。
胸の内のもやもやは晴れずに,重みを増して行く。
ひとの気も知らないで。
そして一護はくるりと踵を返すと,走り出した。

「オヤまぁ一直線だ」

浦原は額に手をかざし一護の走る先を見た。
帰る先に何があるか,知ったらどんな顔を見せてくれたのか。
それこそ明日のお愉しみ。

手にした愛用のステッキをぐん,と天に向けて伸びをする。






丁度その路地は,一護の家と浦原の店から等距離のところにあった。
一護と浦原が,家に着くのはほぼ同時。

二人して同じことを考えたそのことに気づいて,同時に噴出すまでは,まだ数分のときがあった。

Fin
(2006.02.14)






Flying colors // Ritsu Saijo presents