このよき日に
-- Happy birthday my dear... --
「一護サン,なんかアタシにして欲しいことってあります?」
浦原は文机に向かって仕事をしていた手を一瞬だけ止めると,唐突に口を開いた。
一護は広げたはいいけれどもちっとも文章が頭に入ってこない文庫本を脇に除け,視線を上げて浦原の背中を見る。
再び書き物を始めたのか普段よりほんの少し丸まった,浦原の背中。
羽織は脱いで深い緑色の作務衣に寄った皺をなぞるように。
「……聞いてる? 一護サン」
「あ,ああ…。つーかなんだよいきなり。気持ち悪い」
「だって今日,一護サン誕生日じゃないっスか」
「…………覚えてたのか?」
おもわず素の声が出てしまい,自分の声がやけに嬉しそうに響いたのを聞き,一護の顔はたちまち朱に染まった。
別に期待していたとかそういうわけじゃない。
そういわけじゃないけど,浦原が何も触れないものだから,ほんの少し気には,なっていた。それだけだ。
一護がバツの悪さに居た堪れなくなってうつ伏せになったのと,浦原が筆を置き身体を捩るようにして振り返ったのは同時だった。
浦原はそのまま自らもごろりと横たわり,突っ伏した座布団に顔を埋め,ぐあーと唸っている一護にずりずりと近づくと,その明るい色の髪に指を差し入れてくしゃくしゃとかき混ぜながら飛び切り甘い声で囁いた。
「アタシが忘れるわけないじゃないっスか」
そうだけど。
そうだけどって思えるくらいにはオマエのこと知ってるつもりだけど。
でも何も云わなきゃもしかして?って疑念が過ぎる。
胸のうちでぶつぶつとそんなことを思ったがまさか口に出して云うわけにもいかず,一護はただもごもごとくぐもった声を発するのみ。
浦原はその素振りが愛しくて,指に絡めた髪にそっと鼻を埋めた。
「一護サン,顔あげて?」
「いやだ」
「どうして?」
「いま,すっげえみっともない顔してっから」
「かわいいのに」
「かわいいとか云うな」
「ね? 顔あげて?」
甘い囁きはときに恫喝よりも強力に効果を発揮する。
不貞腐れ顔を渋々挙げた一護に,浦原はふわりと微笑んだ。
「なにニヤニヤしてんだよっ!」
「んー? アタシいますっごい幸せ」
「気色悪ぃ」
「なんて云われても気にならないっスよ」
へらへらと笑う浦原は,帽子を被ってないせいで眼差しがまっすぐ一護に降り注ぐ。
その柔らかさと暖かさに一護は眩暈を覚えるようだった。
微かに息苦しい。けれどもそれを手放すのはあまりにも惜しい。
ふわふわと酔い心地になりながらもそう考える自分がたまらなく悔しくて。
一護は眉間に皺を刻んだ。ちらり,意地の悪い考えが頭を過ぎる。
「浦原ぁ,して欲しいことって云ったよな」
「ええ」
「なんでもいいのか,それ?」
「もちろん。ほんとは何か差し上げたかったんスけど,アタシのセンスじゃあ一護サンにそぐわないですし」
最後の一言で一護は開きかけた口をきゅっと噤んだ。
自分のうちに湧き出た言葉のあまりにも子どもっぽさに辟易する。
時折こういうことがある。
浦原の「大人」が自分の「子ども」を脅かす。
感情の深いところでそれに脅える自分がいる。
脅えて伸ばしかけた手を引っ込め,立ちすくむ自分がたまらなく嫌だ。
だから,甘やかすな。
甘やかさないでくれ。
これ以上――なりたくないから。だから。
そう,祈りにも似た言葉をきつく噛み締めるように胸のうちで繰り返していると突然目の前に浦原の指が突き出された。
「眉間に皺」
「なっ!」
ぐにぐにと親指で眉間を押され,その感触に一護はようやく我に返った。
じっと覗き込むような浦原の眼差しにたじろいでその手から逃れようと顔を背ける。
しかし浦原がそれを許すはずもなく,結局眉間を押さえられたまま視線だけ逸らした。
「今日の一護サン,ずいぶんと不安定っスね」
「ンなことねえよ」
「それで?」
「あ?」
「アタシにして欲しいことってなんスか?」
眉間から指を離さずに,まるでいい景色でも眺めるような顔で自分を見つめる浦原に,一護は居た堪れなくなってその手を掴んだ。
「やっぱいい」
「どうして?」
「……どしても」
「ふうん…」
浦原が掴まれたままの手を引くと,そのまま一護の手がついてきた。
暗い表情に垣間見える感情の揺れを見透かし,どうしたものかと浦原は思案に暮れたが,結局無駄,と割り切って,闇雲に一護の手に歯形をつけた。
「痛え!!」
「ありゃ,力入れすぎましたかね」
親指の付け根にまるで切り取り線でも描かれた様にくっきりついた歯型を二人相対する形で覗き込む。
「ナニすんだよ」
「一護サンしょーもないこと考えすぎ」
「はあ?」
「眉間の皺の種類が違うんスよ。見ればすぐわかる。キミは度胸もあるし思い切りもいいくせに,時折そうやってぐじぐじ考え込むんだ」
「ぐ,ぐじぐじ?」
「ええ,ぐじぐじ」
そこまで言い切ると浦原は一護の手についた歯形を,人差し指でゆっくりなぞった。
ぐるり,指が辿れば痛みが引いてくすぐったさがそこに湧く。
「だいたいね,疑いすぎっス」
「…………」
「他人のことはなんの躊躇もなく頭から信じるくせに,自分に自信がなさすぎるっていうか。ちょっとアタシを見習ったほうがいいっスよん?」
泰然自若。悠々自適。
嘯くようにそう云って事も無げに笑う浦原を見て,一護の顔がくしゃりと歪んだ。
だから,こういうところが。
胸のうちに湧き上がる,黒い嫌な熱があった。
それが口を突いて溢れ出そうになる。
喉を鳴らして唾を飲み込んでも,堪えられない。
堪えられない,そのはずなのに――。
指から伝わる温もりが強張りを解き,熱から澱を取り除く。
一護は肩の力をがくりと抜くと,そのまま項垂れ力なく笑った。
「つーかなんでそんな偉そうなんだよ。俺,オマエよりは真っ当なつもりだぞ」
「え,なんスかそれ! 真っ当とか…そういう問題じゃなくって」
「大体ろくに仕事してねえくせにがめついし,ひとの話は聞かねえし,傍若無人で言語道断だっての。ついでに云えば悠々自適って使い方違うだろ」
「…………なんていうか」
「ん?」
「一刀両断された挙句に微塵切りにされてげしげし踏み躙られたような心地っス」
浦原は肘を立てた手で一護の手を握ったまま,顔だけぺたりと畳につけた。
横目でじとっと一護を見上げるが,その目には笑みが浮かんでいて。
くつくつ,くつくつ,二人して笑う。
笑っているうちに叶わないなら叶わないでいいじゃないか。
一護の中にすとんと思いが落ちてきた。
生きてきた時間の差はそう簡単に埋められるわけじゃない。
一足飛びに埋めようとしたって度台無理な話だ。
けれどもまだ先がある。
追いつく余地はある。
闇の中を手探りで進むのは大概慣れたはずだ。
そして,少なくとも片手は浦原に繋がっている。
「浦原」
「なんスか?」
「オマエ,長生きしろよ?」
「はい?」
すぐに追いついてやる。
一護は言葉に出さずににやりと笑う。
祝いの言葉なんかいらない。
プレゼントだっていらない。
保証も誓約も,なにもいらない。
ただ,そこにいろ。
それだけでいいから。
欲しいものは取りに行く。
その傍らに在る為の自信を。
一護の笑んだ視線に強い光を見た浦原は,誘われるように唇を寄せた。
軽く啄ばむように口付けると,低く,吐息ほどの声で祝辞を述べた。
「一護サン,誕生日おめでとう。キミが生まれたこの日を,アタシはなによりも心から祝います」
こつん,とぶつけられる額。
自分のものよりほんの僅かに低い熱。
一護は耳というよりも心臓でその言葉を聞いた。
そして自ら唇を寄せると,ほんの一瞬だけ触れさせて,言葉を返す。
「………ありがとな。すっげ,嬉しい」
幾度も幾度も口付けは交わされる。
そこに熱が生まれるにはそう時間はいらなかった。
Fin
(2005.07.15)
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Flying colors // Ritsu Saijo presents
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