声にならない声に
-- 奏ではあでやかに 今ただうららかに 抱きあうやわらかに 声にならない声に --
一護は,がつっと音がするほど唐突に動きを止め,そのまま文字通り硬直していた。
その原因のある足元を見ることができない。
恐くて,というか,予測不能で。
「浦原ー。うーらーはーらー? テッサイさんがお茶だって…ってあれ?」
ぱしんと音を立てて引き戸を開けた一護は,最後の「あれ?」で声を低め,部屋の中を窺った。
いつも通り庭へ続く障子戸は開け放たれ,夜一がぺちゃんこの座布団の上に丸まっているのが見えたがその傍らにあるはずの姿がない。
夜一はふらり,尻尾を立てると,顎をしゃくるように部屋の中,一護の定位置でもある押入れの前で横を向き,曲げた肘を枕に転寝している浦原を示した。
「なにやら今朝方まで部屋に篭もっておっての。昼過ぎからあのザマじゃ」
夜一は欠伸をしながらそう云うと,しなやかに伸びをし,一護の横をすり抜けて行った。
「儂は先に行くでな」
「あ,ああ…」
音を立てずに廊下を行く夜一を見送ってから,一護は恐る恐る足を踏み入れた。
足音をなるべく殺して,横たわる浦原にそっとそっと近づき,すぐ傍まで忍び寄ると,膝に手をつき,その上に屈みこむようにして覗き込んだ。
普段なら自分が部屋に足を踏み入れる前に気づき,へらっと笑って出迎える浦原が熟睡している。
よくよく思い返してみても,そんな姿を見たのは初めてだった。
夜更けでも明け方でも,一護は浦原の寝入った姿を見たことがなかった。
いつでも目は開いていて,誘うような色を滲ませたり揶揄に満ちた光を宿していたり,自分をいいように翻弄して楽しんでばかりいる。
それが,いまは――。
物珍しさに一護はその姿にじっと見入った。
普段は悪趣味な帽子に隠された月色の髪が押さえるものもなく額を隠している。
唇は薄く開き,はだけた作務衣の胸元は規則正しく上下している。
一護はその無防備な様子が可笑しくてしゃがみ込むと膝の上に載せた腕で口元を覆ってこっそり笑った。
額にかかった前髪を書き上げようと手を伸ばす。
くしゃくしゃな割りにひっかかりのない淡い色の髪は,一護の指のなすがままに,かき上げられた。
ふわふわともさらさらともつかない感触が心地よくて,額を撫でる様に幾度も指を通す。
いつもとはいわないけど,たまにはこんな姿も悪くねえよな…。
いつしか一護の口元には笑みすら浮かんでいた。
しかしそんな時間が長く続くわけもなく……。
「寝込みを襲うなんていけない子っスね」
ぱちり,浦原の目が開いた。
ぎょっとした一護が飛び退くより早く,手が伸ばされ一護の右足首が掴まれた。
「なっ! オマエ起きてっ!!」
「黒崎サン,霊圧垂れ流しですからねン。うちの半径300メートル以内入るとイヤでもすぐわかっちゃって」
「300メートルって! つーか寝たふりしてんじゃねーよこのヘンタイっ!!」
「あ,ちゃんと目を覚ましてれば1キロ先でも探査できますよン?」
「そういうことを云ってんじゃねえ!!」
「アラ…?」
ぎゃんぎゃん喚く一護をよそに,浦原は自分の手が掴んでいる一護の足首に注視した。
踝を撫で,踵をさすり,甲に浮き出た血管を撫ぜる。
「っ! ヤメロっ!!」
「ちょっと黙って」
うつぶせて肘で上半身を支えると,更に丹念に,まるで子どもが人形の動作を確かめるように一護の足を撫で回す。
指の間を開き,軽く引き,押し戻し,押し曲げ。
「くすぐってえっつーの!! 放せよ浦原っ!」
「ああもう煩い。ちょっとじっとしててくださいな。邪魔すると…怒りますよ?」
ぴしっと音のしそうな鋭い目見つめられ,一護は口を噤んだ。
逆らい難い,問答無用でひとを従わせる威圧感とも云える様なものが浦原からにじみ出ていた。
「…なんなんだよっ」
「もっとこっちへ。力も抜いて」
一護は渋々といった面持ちに苦虫を噛み潰したような色を混ぜしばし浦原を睨みつけていたが,目顔で更に促されると小さく舌を鳴らしほんの少しだけ浦原に近づいた。
足を捕われたままなので腰の位置をほんの少しずらした程度だったが。そしてこのままコイツの腹でも蹴りつけてやろうか,という誘惑と戦いながら足の力を抜く。
そんなことしたらどうなるか…具体的な想像はつかないが,ろくでもないことになるのは確実だったから。
浦原も身体を起こし,あぐらを掻いた格好で座り込んだ。
そして捉えたままの一護の足を更に自分のほうへ引き寄せると,制服のずぼんの裾をぐいっと膝上まで捲り上げた。
「あ,おい!!」
「あんまり煩くすると口,塞ぎますよ」
氷より冷たい一言で一護の抵抗は塞がれた。
部屋の空気が数分前とは比べものにならないくらい重たくなる。
しかし浦原は一向に構うことなく一護の足に触れ続けた。
素足の指,一本一本の形をなぞり終えると,両手て包むようにして内側に曲げる。それを伸ばし,今度は関節を回す。
何かに似ている,と一護は回転の鈍い頭を巡らせて,接骨院だ,と思い至った。
空手を習っていたときは捻挫打撲は日常茶飯事で,道場傍の接骨院の得意客だった。
足首を捻ったときに,今と同じようにされた記憶がある。
それにしたってこいつはいったいどうしたってんだ…?
思惑が読めない分不安が募る。
一護は居心地の悪さを拭えないまま手を後ろにつき,自分の足を撫で回す浦原を見つめていた。
普段何かをしかけてくるときとは違う種類の真剣な眼。
指先もひんやりとしたまま熱を孕むことはない。
撫で上げられ,撫で下ろされ,そのくすぐったさにも似た中途半端な刺激に体温が上がったり鼓動を跳ね上がらせたりしているのは,自分ひとりなのか。
第一くすぐったさというのは快楽に繋がる,と教えたのは浦原自身だったはず。
それなのに…。
――ッ
一護は唇をかみ締めた。
浦原の指が足首から離れて,脹脛をなぞった。
力の入っていない筋肉を揉むようにじわりじわりと這い上がり,膝裏を撫でる。
膝蓋骨を包むように手のひらを当て,今度は脛を辿って降りる。
背筋に震えが来た。
たぶん,今のコイツにそんな気はない。
何が目的かはわかんねぇけど,それだけはわかる。
一護は乱れそうになる息を必死で堪えた。
浦原が,つ,と手を止めた。
「アレ,黒崎サン脈が乱れてる」
アキレス腱の両サイドを摘むようにしたまま,顔を上げて,真っ赤になった一護の顔を見ると,へらり,とも,にやり,ともつかない形で,顔が歪んだ。
「アラアラ,アタシとしたことが…」
語尾に笑みが滲み,色が載った。
一護はさっと顔を逸らしたが,足を掴む力が緩んだのに気づいてそれと同時に足も引く。
片足を抱え込むような格好で後ろに倒れ,丸まった。
「黒崎サン♪」
「うるせえ下駄! 理由も云わずに人の足撫で回しやがってこのヘンタイ!!」
「…理由? ハテ,云いませんでしたっけ?」
ぽかん,とした口調の浦原に,今度は怒りのため顔を赤らめた一護は刺し殺さんばかりの視線を向けた。
足を抱えたままの,姿で。
「云うも云わねえも,オマエいきなり人の足掴んだんだろうが! こっちが口を開けば煩い,黙れ,じっとしろ!!」
とことん俺の人権ムシしやがって!!
顔を赤らめて丸くなって怒鳴る一護は,その剣幕と裏腹に大層かわいらしく,浦原はくつくつ笑い出した。
「ナニ笑ってんだ!!」
「イヤ,だって黒崎サン,かわいくって…」
俯いて口に拳を当てくつくつ肩を揺らせた浦原は,すっと顔を上げると四這いになったまま一護のほうへにじり寄った。
「スミマセンね。珍しくフル・オーダで義骸の注文が入ったんスけど,足の部分がどうにも気に入らなくってねぇ。さすがに自分の足バラしてためつすがめつするわけにもいかなかったんで行き詰ってたんスよ」
「ぎ・がい…?」
「ええ。朽木サンが使ってたでしょ。アレですアレ。客が煩いヤツなもんで,いちゃもんつけられたら堪んない,と珍しく真面目に取り組んでたんスけどね。イヤ,でもほんと…」
抱え込まれたのと別のほう,伸ばされた足のほうへ近寄ると,無防備な足を捕まえた。
「いいカタチしてますよね。膝上に比して膝下が長いし,余計な筋肉もついていない。黒崎サン,きっとまだ背,伸びますよ」
筋肉と骨の間を探るように軽く押しながら膝裏へ上り詰めていく指。
「背,伸びるって,本当か…?」
「ええ。筋肉が変に発達していない分,骨の成長を妨げないんスよ。どれくらい伸びるかまでは…保証できませんけど」
そ,そっか…。
掠れたような小さな声でそう答えた一護に,浦原はほくそ笑む。
「ちょっとうつ伏せになってもらっていいっスか?」
「んあ?」
「もうちょっと,触らせてくださいな。お礼はちゃんとしますんで」
「……」
「ね?」
小首を傾げて請う浦原に,一護は深くため息をついて,無言でうつ伏せになった。
理由もわかったところで拒絶する筋も特にない。足の形を見せるくらい,どうしたことでもないだろう,と。
しかしその一護の読みは甘かった。
寝そべった一護の尻の下辺りに腰を下ろし,身体を完全に押さえ込むと,浦原は伸ばされた足のうち,左を引き上げ,その踝に舌を這わせた。
「いっ!!」
「ふふふふふ。黒崎サン,こんなところも弱かったんスねぇ」
愉しげな声。
濡れた感触。
ぺろり,つつつつ,ちゅっ。
一護は身体を寝返りを打つ要領で体勢を変えようともがいたが,身体の中心近くを押さえられてしまってはまともに身動きもできない。
畳をばんばん叩きながら「てめえ!! ギガイがどうとかじゃなかったのかよ!!」と喚くも,アキレス腱を甘噛みされればたちまち尻すぼみになる。
「ん,あ…,くすぐって…ッ!!」
「色気のないこと云わないでくださいな」
「だってマジ…ッ!!」
「じゃ,これでどう?」
踵に歯が立てられた。
厚い皮膚を舌でなぞられるのはいわば布越しの接触と大差なく,身体の奥に小さな火を点す効果はあっても,直接的な刺激にはならない。
しかしそこに針を打たれるような小さくも鋭い痛みを与えられ,その箇所から首筋まで,何かがざーっと這い上がってくるような感触に襲われ,一護は伏せた手に口を押し当ててその衝撃を堪えた。
「当たり…?」
「ちがっ」
「違くないでしょ,ほら」
踵の別の箇所に,再び小さな痛み。
ぬるま湯から冷水に放り込まれたような心地がして,ぞわりと肌が粟立った。
一護は必死に手を伸ばして浦原の羽織を掴んだ。
「どうしました?」
「マジ,やめろ。それおかしくなる…から」
「アタシはオカシクなった一護サンが見たい」
「やだって! マジ頼む,から…」
「どうしましょっかね…」
ちゅっ,歯型を埋めるように唇が押し当てられ,その隙から舌の感触。
とてもじゃないが堪えきれない,と一護は渾身の力でもって膝を倒した。
ばたん,と大きな音がして足の甲にひりつくような痛みが走る。
「強情っスねぇ」
「どけ!」
「アタシがうんと云うとでも?」
「云わねーと!」
「云わないと?」
続きを考えてなかった一護はしばし黙る。
その短絡的な行動が浦原には好もしく,「仕方ない」と一護を解放した。
足が自由になるや否や,一護はだんご虫よろしく両足を抱え込んで丸くなり,踵の辺りをばりばりと掻き毟った。
「うげー気持ち悪かった!!」
「気持ち悪かった?」
「だってオマエ,足に虫這ってるみたいな感触すんだぜ?」
「…虫?」
「オマエも一度ヤラレてみればわかる」
「……一護サンがやってくれるの?」
「へ?」
きょとんとした一護の顔が,見る見るうちに朱に染まる。
「ば,バカなこと云うな!!」
「だってされてみたらわかるって。知りたいっス。教えてくれます?」
「嫌だ!」
「マァそう云わずに」
「嫌だ嫌だ嫌だ」
「とりあえずお風呂ですねン。あ,身体は隅々までアタシが洗ってあげますから」
一護は浦原の言葉を最後まで聞かずに跳ね起きると引き戸へ飛びついた。
しかしそれを易々と見逃す浦原ではなく,取っ手にかけた手を上からやんわり握り込まれて,そのまま浦原の口元へ。
目をじっと覗き込まれたままちゅっと唇と押し当てられた。
一護の眉間に皺が寄る。
「放せ」
浦原は無言で手の甲を舐める。
その感触に一護の眉間の皺は更に深くなり,睨みつける目が鋭くなる。
「放せって」
「キミはこの部屋になにしに来たんスか」
手首の付け根にから中指の爪の先まで,ミリ刻みで唇を押し当てながら浦原が問う。
もちろん目は逸らさぬまま。
一護の目がすっと細くなり,引き結んだ唇が薄く開いた。
チャンス到来。浦原にっと笑い,一護を引き寄せる。
しかし一護は浦原の胸に落ちた刹那,
「あーっ!!」
素っ頓な声を上げた。
浦原の顔がたちまち不興げに歪む。
「なんなんスか」
「オマエが云ったんだろ何しにきたって!!」
「そりゃ云いましたけど」
「オマエのこと呼びに来たんだった。茶だよ茶!! テッサイさん,今日の茶菓子は洋梨のババロアだっつってた。オラ行くぞ!!」
引き寄せかけた腕をぐいぐい引かれて,浦原はため息をついた。
ここで無理矢理ヤっちゃってもいいんスけどねえ…。そうすると後で拗ねられるし。
しばし考え込んでいた浦原だったが,ずるずると手を引かれ進んだ廊下の茶の間のすぐ手前で足をぴたりと止めると怪訝そうな顔で振り返った一護をちょいちょいと指で手招いた。
「あ?」
「一護サン,ちょっと」
「ここでも聞こえるだろ」
「いいから」
「ンだよ,くだらねえことだったらぶっ飛ばすからな」
しぶしぶ近寄ってきた一護の耳元にすっと口を寄せると「今日はお泊り?」と囁いた。
ばっと身体を引こうとする一護を拘束するように抱き込むと「否なら,このまま部屋に戻りますが」と続けて,耳朶を噛んだ。「どうします?」
腕の中で一護がふるふると震えている。
怒りのためか,それとも耳をくすぐるやわな刺激のためか。
「ね,一護サン?」
ふーっと熱い息を吹き込み,そのまま舌をねじ込んだ。
ちゅくちゅくという濡れた音がダイレクトに身体のうちに響く。
更に卑猥な音が立つ様に角度をつけ,強弱をつけ,浦原は一護の耳を嬲った。
その刺激は先ほどまで中途半端ながらも煽られ続けていた一護の欲を呼び覚まし赤い花を咲かせて行く。
間を置かずして一護は陥落した。
肩口にきつく額を押し当てると,掠れて甘くなった声が浦原の耳に届いた。
「わ,かった…から。今は…」
「いい子だ」
浦原はぱっと腕を放すと鼻歌交じりで茶の間の戸を開けた。
Fin
(2005.06.11)
|
Flying colors // Ritsu Saijo presents
|