邪 眼
「ういっす」
一護は午後も遅くいつものように浦原商店を尋ねるとまっすぐに店主の部屋へ通された。
そしていつものように扉を開けながらいつものように声をかけ,引き戸をくぐる。
普段の作務衣ではなく濃鼠の着流しに身を包み縁側の柱を抱くようにして座る浦原はほんの少し振り返ると「おかえりなさい,一護サン」と口許を緩めた。
「ぐーたら店長,元気ねえじゃん」
鞄を置いてまっすぐ縁側へ出る。浦原の横へ座るとふわりと煙草の煙が鼻をくすぐった。
「ぐーたら…」
「ぐーたらだろ」
「今日は違いますよン?」
「違うって何が」
「病欠」
ビョウケツ。
秒決。鋲穴。病欠。病欠?
かちゃかちゃと音を立ててキーを叩くように漢字変換を試みる。
浦原と病欠。
だるそうに日々を送っている浦原だったが,風邪だの腹痛だのというのはあまり聞いたことがなかった。
たまに「ああっ,目眩が!」などと嘯いてわざとらしく一護に甘えてくることはあったが。
「病欠ってどうした」
浦原の方を見る。
浦原は視線だけを一護に寄越し,また前を向いてしまう。
一護は重ねて「なぁ,病欠ってなんだよ。調子悪いならどうして起きてんだよ。煙草吸ってんだよ」と詰め寄った。
浦原は黙って煙草を燻らせているだけ。
そのとき風が吹いて,浦原の髪をふわりと揺らした。
その下から現れたものを見て,一護の動きが止まる。
一護から見て向こう側,つまり浦原の右目は真っ白な眼帯で覆われていたのだった。
「目?」
「そっス」
「ものもらい?」
「いや,火傷…になるんスかね」
「瞼を?」
「眼球を」
「眼球を!?」
うわ,痛いだろうそれは!
顔をしかめた一護に浦原はなんでもないように云う。
「でも,眼球自体は神経通ってないから痛くないんスよ。その周囲に微細な神経が張り巡らされてるからそこに触れると痛むだけで」
「じゃあそれ,痛くねえの?」
「……………」
「……痛くないわけ,ないよな…」
無言でじっとこちらを見つめる浦原の表情から読み取って一護は我がことのように顔を歪めてそう云った。
「けど,なんでそんなところ火傷したんだよ」
「天ぷら揚げてて」
「嘘だろ」
「嘘」
「ほんとは」
「ほんとは…実験で」
「実験? またオマエなんかアヤシイもんでも作ってたんだろ」
「……それは否定しませんけど」
「否定しねえのかよ」
やれやれ,という顔で云った一護に浦原はそっと左目を抑えてため息を吐いた。
その姿に常には見られない沈鬱さが垣間見えて一護は口を噤んだ。
「…あれだよな。目,見えないのって不便だよな」
「すごく」
「薬とかどうしてんの?」
「自分で調薬しましたよ。目薬。でも注し難くてねえ」
ほらこれ。
浦原は着流しの懐から小さな点眼器を取り出すと一護の方へ差し出した。
中に満たされた薬液はとろりとした,まるでジャムのような赤。
「なんか甘そうな色」
「舐めてみます?」
「薬だろ?」
「ええ」
苦いに決まってる。
そう云いながらも一護はその点眼器を頭上に翳して光が透けるのを飽きずに眺めていた。
「さしてやろっか」
「はい?」
ゆらりゆらり小さな波が立つ。
片目を瞑り点眼器越しの赤い光を愛でながら一護は云った。
「目薬。注し難いんだろ?」
「……お願いできます?」
片目でじ,と見つめてくる浦原に一護は無言で腰を上げた。
点眼器を持ったまま僅かばかりの距離を詰め,傍らに寄ると膝立ちになった。
浦原を仰向かせると左耳に指を伸ばし,眼帯の紐をそっと外す。
白いガーゼを慎重に外し「目,開けろよ」というと閉じた薄い瞼がゆっくりと開いた。
思わず息を飲む。
開かれた瞼の下から現れたのは銀色の瞳。
「オマエ,この目…」
「薬のせいですよ。傷が癒えれば元に戻る」
「…ならいいけど」
銀色の光彩に一護の顔が映る。
眉間に皺を寄せたどこか苦しそうな顔。
自分はなんでこんな顔をしてる?
魅入られたように動きを止めて一護はそこを注視していた。
「一護,サン?」
呪縛を解いたのは浦原の声。
「え…? ああ,目薬,だよな」
慌てて手にした点眼器の蓋をはずす。
瞼の上下を指で押さえ,点眼器を構えてそっと押す。
赤い雫がみるみる膨らみ,耐えかねたようにぽたりと落ちた。
「っつ…」
浦原の口から小さな声が漏れ,瞼が降りて眉間に皺が寄った。
目尻を赤い雫が伝う。
落ちる,と思った瞬間,否,思うより早く一護は動いていた。
目尻に唇を寄せ,そっと赤い雫を吸い取った。
「一護サン?」
「あ,悪い…つい」
うわ,何した俺。
今,何した。
ずくずくと響く心臓の音。顔が赤らんで,呼吸が浅くなる。
自分の行動に自分で驚き,一護は口許を覆ってへたり込んだ。
「……で,お味は?」
「味?」
「さっき甘そうって云ったじゃないスか」
「……甘くはなかった」
「でも知りませんよ? 飲むものじゃないんだから。後でお腹痛くなっても」
「やなこと云うな」
浦原の動じない様子にほっと安堵の息を漏らし,一護はゆっくりと顔を上げた。
そしてそのまま硬直する。
浦原の,銀色の目がこちらを見ていた。
金地に緑の混じる光彩と,銀地に黒の混じる光彩。
色の違うふたつの目玉に見つめられ,一護は動けなくなっていた。
「一護サン」
浦原の声が常にない響き方をする。
耳から入り込んで心臓に絡み付いて,鼓動と重なりわんわんと体内で反響するような。
「こっちへ」
手を取られ引き寄せられたように一護は腰を上げた。
胡座を掻いて片膝を立てた浦原は,更に一護に命じる。
「キスして」
一護の動きが止まる。
「キスして」
もう一度。
一護の手がのろのろと上がり頬に添えられた。
コマ送りのような速度で顔を寄せていきながら,一護の脳裏には「邪眼」という言葉が浮かんでいた。
その目で人を,獣を操ると云う。
昼休みに借りた漫画にあった題材だったが,アレが本当にあるとしたらこんなものなのかもしれない。
唇が重なった。
すぐに離そうとすると「もっと深く」吐息で告げられた。
目を閉じる。
違う。違う。そんなことがしたいわけじゃない。
……そんなことがしたいわけじゃない?
薄く開かれた唇に舌を差し込みながら,一護は自問自答する。
煙草の味が濃く残る舌は,一護の舌を痺れさせ,甘く酔わせる。
くすぐるように,弄うように絡ませると,つ,と唾液が伝った。
「ん…はっ」
思わず声が漏れる。
浦原は目を開けたまま。一護が睫毛の格子越しにその瞳を覗き込むと,触れた唇が「上手」と笑った。
Fin
(2005.11.11)
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Flying colors // Ritsu Saijo presents
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