――からん。
月のない闇夜に音高く下駄が鳴る。
仮面の軍勢のアジトである古びた廃倉庫の屋根で愛刀を連れ合いに一人,ポケットに忍ばせた小型のミュージックプレイヤで往年のジャズ・ベーシストのソロ・アルバムのリマスタ盤を聴いていた平子は抱えた膝に顎を載せ,音のした方に眇めるように視線を向けると口の端をニィ,と引き上げた。
セクシィな女の含み笑いのように響くやわらかなベース音に別れを告げるようにイヤホンを耳から引き抜いて
「喜助」
語尾を微かに伸ばす独特の口調で名を呼ぶと,視線の先,下駄に黒羽織り姿の影からぬ,と身を起こしたような男がのっそりと顔を上げた。
「毎度。月のない夜にお月見ですか平子サン」
「真子でええっちゅうに。お前も大概シツコイな」
肩を竦める浦原に歯を剥き出して見せ,音も立てずにトタンの屋根を蹴り,ふわりと地に降り立つ。
「で,お前の方こそこんな夜更けに何用や。…夜這いか?」
「まさか」
ひっそりと笑って肩を竦める浦原の顔を意地悪く覗きこんで「凹んでんのんか?」と揶揄を飛ばす。
浦原は「叶わないなァ」とため息ほどの声音で云うと夜闇に聳え立つ廃倉庫へ視線を流した。
「せめて寝顔でも見れないか,と思いましてね」
「だからァ,夜這いやろ?」
「違いますって」
「なんもせぇへん,て誓うか?」
「誓いましょ。あの子の眠りを妨げるようなことは絶対にしません」
片手を挙げて云う浦原の口調は苦笑交じりではあったが普段の飄然としたものとは違う何かをその声の中に潜ませていて,平子はニィと意地の悪い笑みを浮かべた。
それに気付いた浦原は眉間に皺を寄せ,ふい,と顔を背ける。
――一護はきっと,こんな顔知らんのやろな。
胸のうちで零し,くすりと笑う。
そして,細身のジーンズの尻ポケットに両手を突っ込むと,ゆうらりと歩き出した。
「ま,好きにしたらええわ」
「…中に入っても?」
すれ違いざまかけられた声に,小さく肩を竦める。
「今日はなァ,みんな夜遊びの日や。結界はまんまやけど,そないなもんどうにでもなるやろ?」
「アリガトウ,ゴザイマス」
その声を背中で聞き,平子は再びゆっくりと歩き出す。
廃倉庫の奥,区分けされた簡素な部屋の中ではひとり,子どもが眠っている。
起きているときは滅多なことで解かれないきつい眉間の皺もふわりと解けて,無邪気極まりない顔で。
子どもの寝顔を前に,浦原はいったいどんな顔をするのだろう。
ふと気になって足を止め振り返ると,もうそこに浦原の影はなく,平子はひっそりと笑みを零すとポケットの中のミュージックプレイヤの再生釦を指先で押した。
そして,イヤホンから零れるやわらかな音色に耳を澄ませ再び夜の深みに向けゆうらりと歩き出した。
------------------------
今更ですが一護が新妻エプロン締めて修行中だった26巻らへんの補完。
ひらうらの会話が書きたかったんです…。
(2008.06.23)