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「一護さま,一護さま」


ちりちりと忙しない鈴の音とぱたぱたと慌しい足音に続いて響いてきたのは切羽詰ったような声でそれを耳にした一護は外出から帰って部屋着に着替えようと解きかけた袴の紐を再び結びなおした。


「露草,どうした?」


部屋の引き戸を開け顔を出すと,必死な面持ちで駆けてくる年の頃7,8つの少女の姿。


「あねさまが,白梅さまがっ!!」


言葉を最後まで聞かず,一護は少女の頭をぽんと撫でると「後は任せろ」と駆け出した。












家から店へ抜ける廊下の途中で「蝶々屋」と白抜きされた黒羽織に袖を通し,一護は更に足を速める。
白梅の部屋は最上階の三階の奥。ちんたらしていたら,間に合わない。
階段を二段抜かしで駆け上がり,一気に部屋の前まで歩を進めると戸に手をかけ一気に引いた。


「なッ! 何です貴様はッ!!」


気色ばむ男は死覇装に身を包んだ肥えた中年。
腰に挿した刀の柄に手をかけ,今にも抜こうとしている。
一護は躊躇しなかった。


一瞬のうちに男の懐に身体を滑り込ませ,鳩尾に肘を叩き込む。
がくんと落ちた顎を膝で突き上げ,仰向けに倒れこみそうになる男の左腕を掴み,捩じり上げながら畳みに押さえつけた。


「よ,じゃない白梅姐さん,無事か?」
「悪いな一護。毎度のことながら」


襲われつつあった花魁は,取り乱すこともなくふっと頬を歪めて笑う。
この遊郭の松の位の花魁,白梅こと夜一。
そんじょそこらの男など一捻りできるほどの豪の者であったが,さすがに花魁が男を伸しては話にならない,と戒められていた。


「無事ならいいんだ。とこでコイツ,なに?」
「いやな,一度昼見世で名指しを受けたのだが図に乗りよってしつこくて叶わん。露草を名代に立てあれやこれやはぐらかしておったのだが,ついには痺れを切らしてこのザマよ」


夜一の呆れたような声音に,男が怒りで顔を朱に染めた。


「じ,女郎風情がこの私を愚弄するからだッ!!」


一護の下の男が喚く。
一護は捻りあげた腕に更に角度つけて圧力を加え,男の口を封じた。


「ひっ!!」
「勘違いすんなよオッサン」


そしてその耳元に口を寄せると怒気を含んだ低い声で囁いた。


「アンタが金積んで買えるのは女の時間だ。女自身でなければ身体でもねえ。テメエの無粋を棚に上げて振られた惨めさを逆恨みなんかしてんじゃねえよ。見りゃ立派な死神サマの格好してんじゃねえか。名折れだぞ。これ以上無様晒すんだったらあちこちで吹聴してやるからな」
「貴様…この,小僧がッ!!」
「なんだよ,その小僧にいとも簡単に捻り上げられてるくせに。もっと恥じかきたいのか,アンタ」


一護の顔が嗜虐に歪む。
一護は養い親の営むこの店が好きだった。
そこに住まう花のような女たちも好きだった。
それを愚弄するとあらば自分の敵。死神だからと刀を握る右手を避けて左手を捻り上げたのだったが,そんな容赦すら惜しい気がしてくる。


「一護,もうよい」


この腕折ってやろうか。
ゆらりと立ち上がった一護の殺気を見て取った夜一が,その腕に手を添え,暴走を止めた。
ちょうどそのとき騒ぎを聞きつけた妓夫のテッサイが姿を現し,一護に捻りあげられていた男の身柄を受け取って戻っていった。


その後ろ姿を見送って,深く息を吐いた一護の肩に夜一が手を添える。


「大丈夫か?」
「ああ。つーか悪い。夜一さんが止めてくれなかったら,俺…」
「なに,気にするな。おぬしがやらねば儂がやるだけのことよ」


ニヤリ,と花魁にあるまじき恐ろしげな笑みを浮かべる夜一に,ようやく一護も身体の強張りを解いた。


「客を伸す花魁がどこにいるッ! てジイ様にまた怒られるぞ」
「ははははは。元柳斎は煩いからの。ところで一護,どこぞで喜助を見なかったか?」
「浦原? 今日は見てねえけど…」
「そうか,もし見かけたら,大引けの後部屋に来るように伝えてくれ。いい酒が手に入った,と」
「わかった。じゃ,俺行くな」


ひらりと手を振り,部屋を出る。
とんとんとんと階段を下りていくと,踊り場のところで露草と行き会った。


「一護さま,ありがとう」
「いや,俺が好きでしてることだし。それよりオマエは怪我なかったか?」
「あねさまが守ってくれました」
「そっか。かわいい顔に傷でもついたらことだもんな」


自分の腰までの背丈までしか持たぬ少女の前にしゃがみ込むと視線を合わせやさしく云った。
少女は照れたように一護の顔を見ると,「一護さま,頬に傷が」懐から真っ白なはんかちを取り出しそっと押さえた。


「掠ったかな。いいよ露草。汚れる」
「でも,一護さま…」
「それより姐さんとこ早く戻んな。きっと待ってるぞ」
「あい」


ぱたぱたと駆け出す露草を見送って,一護は階下へ歩を進めた。
頬の傷に手を触れると,ちり,微かな痛みが走り,一護を苛立たせた。


「あの下衆が」


声に昏さが滲む。
忌々しげに舌を鳴らしぐい,と手の甲で傷を拭った。












くさくさした気分を払拭するべく風呂に浸かり,さっぱりしたところで厨へ寄ると,浦原が居た。


「コンバンハ,黒崎サン」
「ああ,アンタいつ帰ったんだ?」
「つい先ほど。オヤ,どうしました頬に傷」


つ,と近寄ってきて顎に手を添えると上向かせ,傷の様子を眺める。
一護はその手を振り払うと「うるせえな」と不興げに眉を寄せた。


「あ,そういえばさっき紅葉サンが」
「…ンだよ,もうあちこち話広まってんのか」


ちっ,と舌打ちして浦原に背を向けると,氷室の戸を開ける。
奥から砕いた氷を取り出すとコップに落とし,水瓶のひしゃくを手に取った。
すると浦原が横からすっと手を伸ばし,その手を止める。


「なんだよ」


睨むように見上げる一護に浦原はへらっと笑うと「ラムネ,ありますよン?」と顎でしゃくるように氷室を指した。
一護は嬉しそうな顔になるのを堪えようとして失敗して,複雑に歪んだ顔をしながら「俺に?」と問い返す。
こういうところだけこの子は歳相応なんだから,と浦原はほくそ笑みながら,「モチロン」と首肯した。


「サンキュ」


照れたように笑い,氷室に顔を突っ込んで奥の奥からラムネの瓶を引っ張り出す。
ひんやりとした瓶を嬉しげに頬にあて,次の瞬間一護は動作を止めた。


「ラムネ,買ってもらってもアレだ。開けるもんがねえじゃねえか」


情けのない顔をする。
箸でつつけば開くかな。それよりもっと固いもの…。
瓶の口を覗き込みながらぶつぶつ云ってる一護の手からすっと瓶を抜くと,浦原は栓になっている硝子玉に親指を当て,小さく息を吐くとそれを中に落とし込んだ。


「はい,ドウゾ」
「すげえ…」


一護は思わず感嘆の声を漏らす。
指であけたのも驚きなら,炭酸水をほとんど零さないことも驚きだった。
差し出された瓶に口をつけながら,更に礼を重ねる。


ウマい。
にこりと笑った一護の頭にぽんぽんと手を置くと「それじゃアタシは」と厨を出て行こうとした。
その背中に一護が声をかける。


「あ,浦原っ」
「…なんです?」
「夜一さんが,大引けの後部屋に来てくれって。イイ酒が手に入ったとか云ってたぞ」
「それはそれは。伝言,アリガトゴザイマス」


残像のような笑みを残し,浦原の姿が消えた。
足音を立てないこの奇妙な男は夜一の知己にして蝶々屋専属の髪結いだった。
素性の知れなさ,軽佻浮薄な物言い,掴みどころがないところが一護は苦手だったが,時折ひどく自分を甘やかす男を決して嫌ってはいなかった。


「相変わらず変なヤツ」


ラムネの瓶に口をつけ,ぐびぐびと喉を鳴らして飲む。
しゅわしゅわと喉を降りていく冷たい泡の感触に,人知れず一護は頬を緩めていた。






















翌日。
楼主の使いに出た一護は,黒い死覇装に身を包んだ男にいきなり腕を掴まれると路地裏に身体を引き込まれた。
男は昨夜自分の下で激昂していたあの死神だった。


「小僧,昨夜はよくも私に恥をかかせてくれましたね?」


あばら家の壁に背中を預け,一護が息を呑む。
男の身体から滲み出る殺気は昨日のもとのは比べ物にならなかった。
目が赤く血走っている。
腰に挿した刀に手をかけ,それをすらりと抜いた。


抜く前だったらまだやりようもあったが,下手に間合いに入ると問答無用で切りつけられる。
一護は目を細め男の隙を窺った。


ゆらり,男の姿が揺れた。
来るっ!
身構えた一護は男の背後にありえないものを見た。


緑と白の奇妙な縞模様の帽子に,草臥れた緑色の作務衣。そしてその上には裾に菱が白く染め抜かれた無紋の羽織。足元には下駄。
浦原喜助,そのひとの姿を。


「…なっ!」
「どうしました? 私の殺気の前に手も足もでないのでしょう! さあ,ゆっくり後悔するがいい!!」


死覇装の男が凄み,足を一歩踏み出した。
刀を振りかぶるその手を,後ろから簡単に掴むと,浦原はまるで通りすがりに行き会ったように一護に声をかけた。


「黒崎サン,偶然っスね。今日はお使いで?」
「『お使いで?』じゃねえよ! なんでオマエこんなところにいるんだ下駄ボーシ!!」
「煙草の葉が切れたんで買いに来たんスよ。通りの先に店がありまして。そしたら変な気出してるヤツがいるなあと覗き込んだら,行き会いました」
「変な気…」


一護はその言葉に笑ったものだか迷い,結果珍妙な顔をした。
なんだよそれ…と呆れた顔,でもいうか。
しかし浦原はそんな一護に頓着することなく涼しげに笑う。


「知ってます黒崎サン。ブサイクはね,出す気までが醜いんスよ」


男の腕をぎりりとねじり上げると刀を落とし,浦原は帽子の下に眼差しを隠した。


男は掴まれた腕から心臓を凍りつかせるような冷気を感じ取った。
浦原の霊圧のせいだった。
自分のそれとは比較にならない強さ,激しさに,言葉もなくだらしがなく喘いだ。


浦原は帽子の下から一護の顔をみやると,飄々とした調子で継いだ。


「そういえば今朝,夜一サンが黒崎サンに頼みごとがあるって云ってましたね。とっととお店,戻ってあげてもらえます?」
「夜一さんが?」
「ええ」


首をかしげる一護。
気遣わしげに浦原に腕を捕まれた男を見る。


「でもその男…」
「コレの始末はアタシが」


否を許さない声音だった。
一護は一瞬身を強張らせたが「さあ,早く」と男を掴んだまま浦原が身を引いたのでその横をすり抜けるように通りに出た。


気が急くというわけでもないはずなのに,自然早足で店への道を辿り始めたとき,遠い背後で男の悲鳴を聞いたような気がした。
まさか,な。
緩く首を振ると,店へとまっしぐらに駆け出した。












「さて」


浦原は掴んでいた腕を離すと,路地の奥に向かって男を突き飛ばした。


「なっ!なんなんだ貴様はッ!!」
「アタシはしがない髪結いっスよ」
「か,髪結いがなんで!」
「アナタが手をかけようとしたあの子」
「小僧が何だって云うんだ!!」


後じさりながらも喚き続ける男をまるで汚いものでも見るような眼で浦原は見据えると,絶対零度の声を出した。


「小僧…。アレはアタシの大事な大事な掌中の珠なんですよ。わかります?」


左手に下げたステッキを僅かに上げると持ち手を引いた。
その下から姿を見せたのは紛れもなく白刃で,男は喉を鳴らして息を呑んだ。


「な,なにを…」
「貴様ごときが易々と触れていいものじゃない。死にたくなかったら二度と手を出すな。見逃すのはこれきりだ。いいな?」


刃を抜ききることはせず,威嚇で済ませたのはまだ近くに子どもの霊圧を感じたからだった。
ここで斬って捨てても構わないが,中途半端に優しい子どものこと。後で気を病んだりしたらそれこと腹立たしい。
怒りだけは抑えずに低く言い捨てると浦原は踵を返した。
取り残された死覇装の男は,ひきつけを起こしたように浅い呼吸を繰り返していた。















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に…二年前に書いたヤツ。
遊郭モノ書きたいなーて思ったんだけど一護も浦原さんも遊女じゃなくてこんな感じになってしまったらしい。
夏っぽい話はないものかとサルベェジしてきました。
(2007.08.09)