re;





朝から空気が不穏当な緩み方をしている,とは思っていた。
一護はざわざわと騒がしい教室の自分の席で頬杖をついてどんよりと重たい曇天の空を見ていた。
霊査能力は相変わらずな一護だったが勘までは鈍くない。
俗に云う「嫌な予感」程度ではあったが気配を肌で感じていた。
その上朝から音もなく、そのくせ肌に纏わり付くような雨が降っていてどうにも気が塞ぐのを抑えることができなかった。
ため息と舌打ちの連鎖。
止めようと思ってもそれは止まらず自分で自分を制御できない苛立ちが更に眉間を曇らせた。


だから,その連鎖を強制的に断ち切るように死神代行証がけたたましく鳴り響くと逃げるように教室を後にした。


廃ビル跡で一体,小学校の校庭で一体。
立て続けに出現する虚に向けて斬月を振るいながら,一護は感覚がどんどん冴え渡っていくのを感じた。
力の暴走とはまた違う,昏い高揚を齎す感覚に,口許が歪む。
気がつけば全身に虚の返り血を浴びていた。


火照る身体を冷やすように雨は降り続く。
しかし死神化した一護にはその雫は届かない。


小学校の校庭は雨のせいで無人だ。
血塗れの斬月を地面につきたて,葉の生い茂る桜の大木に寄りかかるように荒い息を繰り返しながらずらりと並ぶ窓を見た。
あのどこかに妹たちがいる。
授業を受けている様子を見てみたい,と一瞬思ったが,額を滴る血が目に入り「こんなナリでそれも無理か」と苦く笑った。


苦笑を吹き飛ばすように再び代行証が鳴り響く。
なんだって今日はこんなに。
でもいい。腐った気分で教室にいるよりもずっと-----。
らしくない昏い光を瞳に浮かべ,一護は立ち上がると塀を飛び越えた。


次の出現箇所は。
代行証をかざし場所を確認する。それが指し示す方角にあるのは児童公園。
屋根を越えていけば二分でつける距離だった。







その虚を見たときに最初に感じたのは嫌悪感だった。
まるで昆虫のような面相に不気味な複眼。口の端からはいやらしく涎のような体液を滴らせ,金属を擦り合わせるような耳障りな声で恨み言を連ねている。
一護は斬月を正眼に構えると頸の骨をこきりと鳴らした。


「悪いな。テメーの御託に付き合えるほど余裕ある気分じゃねーんだ」


その言葉を理解したのかどうかは不明だが,虚は鎌のような前腕を大きく薙ぎ振るい攻撃をしかけてきた。
威力,スピード共にかなりのもの。
相手にとって不足はない,と一護が身構えたそのとき-----。


「オヤまぁ。雨ならともかく血塗れじゃないスか」


暢気な声が,右手から響いた。
視線を向けるまでもない。この声はひとりしかいない。


「来るな!」


叫ぶように云ったが,云ったところで聞く相手ではない。
案の定下駄が濡れた土を噛む音が少しずつ近づいてくる。
対峙する一護と虚のちょうど中ほどに姿を現した浦原は番傘をくるりと回すと,眇めたような目を一護に向けた。


「……気が荒れてますね。アタシ,そんな戦い方教えましたっけ」


あからさまな嫌味に続いて浦原の身体からゆらりと陽炎が立ち昇った。
実際には陽炎ではない。陽炎は一護の皮膚を粟立てたりしない。
それは,浦原の殺気であり,霊圧だった。


ざわり,空気が揺れる。
その感覚に一護は戦く半面浦原が傘だけを手にし,いつものステッキを持っていないことに気づいて愕然とした。
アイツ,紅姫も持たずになにやってんだ!


虚の目が一護から逸れ,ぞろりと浦原に向けられた。
視線の軌跡がまるで燐光を発して引きそうな粘着質な視線。そしてその口許が醜悪な笑みの形に歪む。
一護は舌を鳴らすと同時に地を蹴り,浦原の前に立ちはだかった。


斬!


浦原に向けて振り下ろされた鎌のような前腕を一刀の元に切り捨てる。
半狂乱の絶叫が虚の口から迸り,一護の頬に返り血が飛んだ。
唇についたそれを舐め取り「下がってろ!」と浦原を一喝する。


「文句なら後でいくらでも聞いてやっから」
「文句? 冗談でしょ」


これはそんなもんじゃない。
くつりと喉を鳴らして嗤う声が鎖のように一護を絡め取る。しかし今はそんなものに絡め取られている場合じゃない。
ぶん,と頭を振って意識を前方に集中する。


虚がこちらに向き直り,憎悪に滾る目で一護を見た。
来る!
背後に浦原を庇いながらでは分が悪い。
気を引くためにも一度,と重心を下げた瞬間,瞼にひやりとした感触。続いて視界が闇に包まれた。


「なっ!」


危ねえだろ!
一護が叫ぶ前に,音ならぬ音が響き渡り,闇の向こうに閃光を見た。
そしてそれに続き虚の断末魔の声が尾を引くように長く伸びて,消えた。


「ハイ,オシマイ」


浦原はへたり込むように膝から崩れ落ちた一護を背中から抱き込むようにして支えると,額に貼りつく髪を掻き上げた。
そして血塗れのこめかみに「ちゅ」と唇を押し付ける。


「さて,そのナリじゃあ身体に戻るにしても気持ち悪いでしょ。うちでお風呂つかってお行きなさいな」


頭をぽんぽんと撫でながら長閑な声でなんでもないことのように云う浦原に,一護の瞼の裏が深紅に染まった。


「な,んなんだよ…」


声が掠れる。
血が沸騰するような心地がした。これは紛れもない怒り。
虚にぶつけ損ねた苛立ちが,今になって再燃していた。
身体を支える浦原の腕を邪険に振り払い,真正面から浦原を睨みつける。
頭の隅で「これは八つ当たりだ」と認識していたが,身体中を駆け巡る熱は行き場を失い荒れ狂うようにして一護の自制を吹き飛ばした。


「何が?」


あみだにさした傘の下,わざとらしく片方の眉を上げる浦原に一護は射殺さんばかりの目を向ける。
怒りが沸点を超えて言葉にならない。
凶暴さを増していく感情を持て余し,握り締めた拳が震えた。


「そんな顔したって無駄っスよ。それよりも口開けて」


浦原が足を踏み出す。
一護は詰められた距離の分後じさりながら頸を振った。
ふざけるな。
ふざけるな。
ふざけるな!


噛み付いてやろうと口を開いた。
しかし言葉は口をついて出ず,かちりと硬い音と同時に小さな丸いものが口に放り込まれた。
一瞬気勢を削がれ,意識が口内のそれに向く。
舌の上で転がるそれはうす甘い味がして……飴玉だと知れた。


「じゃ,行きましょっか」


浦原は一護の手を引く。
子どものような宥め方をされたことに気づき,一護がそれを振りほどこうと力を込めるとそれを上回る力で手首を引かれた。
再び傘の下に引きずりこまれ,斜交いに肩をぶつけるようにして囁きが耳に落とされた。


「一護サン,忙しいってどう書くか知ってる?」


ぞわりと皮膚を粟立てるあの声だった。


「心を亡くすって書くんスよ。昨夜も随分遅くまで駆けずり回ってたようだ。寝不足なんでしょ」


尋ねる口調ではなく,断定された。
一護は否定を口にしかけて,向けられた浦原の瞳の色に息を呑んだ。


「あのね,逆らわないほうがいいっスよ」


静かな声音に静かな眼差し。しかしその奥に潜むものが一護の怒気を萎えさせた。
獣が強大な敵の前に戦意喪失してしまうようなものだった。


「うち,来る?」


否は認められない。
そのことはわかったが素直に肯くこともできかねて一護は視線を逸らした。


浦原はにぃ,と口の端を引き上げると一護の顎を掴み


「キミにはね,血の味よりも飴玉の味の方がよく似合う」


と云うと,唇を寄せた。












------------------------

うあああああ!
誤字脱字多すぎ!
ちまちまと修正。それより何なのコレ?(目が泳ぐ) (2005.05.19)