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「アンタさ…」


浦原は腕の中で突然目を開いた一護に眇めた視線を向けた。
穏やかだった寝息は断ち切られ,全身から刺々しい気を撒き散らしている。


「寝ている主の身体を無断借用スか?感心しませんね」


口調こそ長閑なものだったが向けられる敵意に呼応するように声は冷たく尖った。
表情には出さず苦笑いを浮かべる。一護の裡に巣食う虚と対面するのは初めてではなかった。
それは,時折忘れた頃に姿を現しては一護の顔で,声で,浦原を厭い拒絶する言葉を吐く。
直截攻撃をかけてくることこそなかったが,「アンタの存在なんか認めない」と全身で拒絶されるのはそう面白いことではなかった。


「アンタ消えろよ」
「何?」


圧し掛かるように覆いかぶさり,喉元に手を伸ばす。
こくん,とそれが唾を飲み込むのがわかった。
脅えてるのか。
にぃ、と口の端を引き上げて視線を絡めれば忌々しげに睨みつけられた後,眉が苦しげに顰められ,瞼が閉じられた。


「消えろよ,浦原」


放たれた声はつめたい。
しかしそれは紛れもない一護のもの。
そこに本性が現れる瞳を閉じられてしまうと,喩え違うと分かっていても一護自身に拒絶されている気分になる。
胸のうちに闇が湧く。
ちっ,と舌を鳴らし,手に力をこめた。


「目,開けてくださいな」
「嫌だね」
「…可愛くないスね。封じてやろうかしら」
「できるのか,アンタに。俺を捻じ曲げた力で封じちまえば,アイツは力を失うぜ」
「…………」
「第一,アイツはそんなこと望まねぇだろ」


くつり,喉が鳴る。苦痛からではなく,嗤われた。
そして瞼は閉じられたまま。


「アンタは俺に手出しできない」
「それは違う。アタシはキミに手出しできないんじゃない。しないんだ」
「………ちっ」
「でもキミは違う。キミはアタシに手出しはできない。わかってるでしょ?」


絶対的な力の差。
アタシはその気になればキミの存在など吹き飛ばすことが出来る。
その後のことなんてその気になればどうとでもできる。
ただ,したくないだけ。不要な負担をあの子にかけたくないから,自重しているだけ。
口の端に笑みを浮かべて嘯く浦原に,それは不興げに顔を歪めた。


「…うるせぇ」


発せられたのは喉から搾り出すような声だった。
浦原は溜飲が下がるような心地を覚えて,喉元を締め上げていた手から力を抜いて,その首筋を撫で上げた。


「どんなにキミが足掻いたところで,いつかはあの子はキミを統合してしまう。キミはあの子の自我に溶けていくしかないんスよ」


ざまぁみろ。
意地の悪いことを云っているというのは承知している。
しかし,先に喧嘩を売ってきたのはあちらの方だ。
殊更楽しげな声を装って告げてやる。
すると,閉じられていた目が,開いた。


そこにあったのは微笑。


「アンタ,馬鹿だな」
「…………」
「俺は消えるのが嫌なんじゃねぇよ。アイツが望むなら,それでアイツの世界に降る雨がやむならいくらだって消えてやる。俺はアイツを強くするためだけに存在する。そんなことわかってる。でも俺はアンタが嫌いだ。アンタはアイツを弱くする。俺がいくらアイツを強くしたところで,アンタの前ではたちどころに強さを見失う。その度雨が降って…アイツが悲しむことになる」


それが我慢ならないだけだ。
向けられたまなざしは先ほどまでの悪意も敵意もどこにも見えず,ただ,悲しみに満ちていた。
浦原は口を噤む。


一護を弱くするのは自分。
それは,そうなのかもしれない。
心を許した相手にはどんなに傷つけられようとも一護はそれを受け入れる。
痛みも苦しみも全部ひとりで嚥下して,痛々しくも笑ってみせる。
そんな一護に感じるもどかしさを棘に変えて傷つけることはなかったか。
一度たりともなかったか。


浦原は圧し掛かっていたそれの上から身体をずらすと,その傍らに横たわり頬杖をついた。


「スミマセンね…大人になりきれなくて」
「知るかそんなの」
「泣かせたいわけじゃないんスよ」
「俺に言い訳してどうすんだよ。俺はアンタが嫌いだ」
「…懺悔くらいさせてくださいな」
「…………」
「離れたらいいのかなって考えたことだってないわけじゃない。でもそんなことをしようものなら全部壊して無に帰そうとするくらい欲は化け物みたいに育ってしまった。大事にしたい,慈しみたいって気持ちはいつも持っているのに」
「…………」
「いっそ手放そうっていつも思うんですけどね。それがこの子のためだって。なのに今日だけ,今だけは,って先延ばしにして気がつけば口先だけになってしまってる。結局はアタシの偽善。全ては醜いエゴでしかない」


浦原はそこで言葉を切って口を噤むと頬杖をついていた腕を倒し,そこに顔を埋めて深いため息を吐いた。
隣でそれは聞いているのだか聞いていないのだか,瞼の上に両手を載せている。


「ばっかじゃねぇの」
「……酷い物言いスね」


浦原の口の端に苦笑が浮かんだ。
考えても詮無いことというのはわかっている。
悔やむくらいなら端から手出しなどしなければいい。遠ざければいい。でも,それをできないでいるのが現状だ。
せめて自分でつけた傷くらいは癒してみせる,と傲慢なことを考えておずおずと手を差し伸べれば,直ぐな子どもはその手を取り,頬に押し当て,自分を許して受け入れてくれる。
結局のところ自分は甘えているのだろう。
それを許されているだけなのだろう。


再びため息。
途端,足に激痛が走る。


「アイタ!」


蹴られた脛を布団の中で抱えて顔を顰めた。
何をする,と視線を上げると,ほかならぬ一護の怒った瞳とぶつかった。


「馬鹿。オマエすっげー馬鹿!」


振り上げられた手は額を遠慮会釈ない力で叩いた。
べちん,と音がして思わず閉じた瞼の裏に星が飛ぶ。


「一護サン痛い!ヤメテ!!」
「馬鹿は死んでも治らねーけど,壊れたテレビは叩けば直ることもある。もう一発殴ってやろうか!」


キッときつく睨まれて,浦原はいやもうほんとに!と拝むように手を合わせた。
そしてそのまま手を伸ばし,一護の首っ玉を抱きつくように引き寄せた。


「……もう,いつから起きてたんスか」
「知るか。いい気持ちで寝入ってたら,横でぶつぶつオマエが勝手に喋ってたんだ」
「だからどこから」
「懺悔がどーとか」


あンのクソガキ。
思わず舌打ちが漏れそうになる。
聞かせるつもりなんて毛頭なかった。それを,見事してやられたとしかいい様がない。
今度会ったら覚えてろ。
ふつふつと滾る怒りのままに,胸の内で罵詈雑言を並べ立てていると,再びぱちんと額が叩かれた。


「オマエ,ひとの気持ちにもっと敏感になれ」
「……え?」
「自己完結すんな。馬鹿」
「……ええと,それは」
「るさい。もう寝る!馬鹿と喋ると馬鹿が感染る!」


きょとんとした浦原を突き飛ばすようにしてその腕を外させると,一護は背中を向けて枕を抱えて目を瞑った。
浦原はその細い首筋をじっと見つめて,一護の言葉を反芻した。
自分がひとの気持ちに鈍い方だとは思わないが。
自己完結するな,馬鹿って。
えええと。
角度を変えて考えても,それは自分に都合のいいように捏造した答えにしか見えなかった。
起こして聞こうにも,寝息は既に規則正しいものになっていて,手を出しかねてため息を吐く。


「なんて夜なんでしょ,まったく…」


ひりひりとする額にそっと手を当てながら呟く。
すると後ろを向いたままの一護が,ふふん,と鼻を鳴らして嗤った。


「けっ,ざまぁみろ」


浦原の眉が片方ひゅう,と持ち上がる。


「クソガキ…」
「今なんかしたら,すぐまたアイツ起こすぞ」
「…卑怯者」
「なんとでも云え。アンタが俺になんかくだらないこと聞かせるからだろ。悪者なら悪者らしく憎まれ役に徹底しやがれ」
「……アタシはいつだってみんなに愛されるキャラクタ目指してるんスけど」
「俺はアンタが嫌いだっつったろ。ちなみにアイツも嫌いだってさ」


嫌いも嫌い。大ッ嫌いだ。じゃあな。
その声を最後に,それの気配は霧散した。
ひとり取り残された浦原は,頬杖をついたまま両手でしばし顔を覆っていたが,やがて手を伸ばして煙草盆と煙管を引き寄せた。
刻み煙草を詰め,マッチを磨る。
一服目を深く吸い込み,細く細く吐き出した。


アイツ…?


『俺は消えるのが嫌なんじゃねぇよ。アイツが望むなら,それでアイツの世界に降る雨がやむならいくらだって消えてやる。俺はアイツを強くするためだけに存在する。そんなことわかってる。でも俺はアンタが嫌いだ。アンタはアイツを弱くする。俺がいくらアイツを強くしたところで,アンタの前ではたちどころに強さを見失う。その度雨が降って…アイツが悲しむことになる』


耳の奥からそれの発した言葉を拾い上げる。
アイツというのは一護のことだと思っていた。
実際に一護のことを指していた。しかし,あの言葉の最後は…おそらく。


『俺はアンタが嫌いだっつったろ。ちなみにアイツも嫌いだってさ』


こちらも同様か。
浦原は一護の背後に透かし見たことのある背の高いむさくるしい男の姿を思い浮かべた。


斬月。
一護を守り,一護のために刃を振るう。一護の斬魄刀。
自分にとっての紅姫がそうであるように,一護と斬月の間にも決して他人の入り込めない絆がある。
未熟な使い手を,あるときは庇い,あるときは煽り,斬魄刀は敵を屠る。
死地を潜り抜けることで強さを増していく絆。
いくらともに戦ったところで,斬魄刀と死神との結びつき以上に強固なものは生まれない。


ちり,と胸の底が焼け付くような嫉妬を自覚した。
一護に力を与えたのは自分だ。強さを望んだのも自分。
それなのに,一護の持つ力に,力との結びつきに嫉妬する。
嫌いなのはお互い様だ。


ふん,と鼻を鳴らして再び煙管に唇を寄せる。
吸い込んだ煙の苦さに顔を顰めた。
いっそ斬魄刀を壊して戦う力を根こそぎ奪って,と企む自分を浦原は知っている。
踏み出すか否かの境界線は地面に棒切れで描かれたものよりも曖昧だ。
しかし,それはしない。少なくとも今はまだ。できることならこれからも。


『馬鹿。オマエすっげー馬鹿!』


一護の声が蘇る。
ああ,本当にアタシは馬鹿だ。
馬鹿の考え休むに似たり。
もういい。とりあえず目を瞑ろう。
吸いさしの煙管を,かたんと煙草盆の縁で叩いて灰を落とす。煙草盆から細く棚引く煙をそっと吹いて,浦原は横になった。
腕を伸ばして一護の腰を抱く。
足も絡めて胸にしっかり抱きこむかたちで目を瞑る。
明日のことは明日考えて。一護のことは一護を見つめて答えを出す。
否,答えすら必要はないのかもしれない。


愛しい。それだけが全てだ。










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りかこさまへ捧ぐ。
浦原最強伝説,いつか書くから。へたれでごめん……。(しょんぼり)
(2005.03.07)