The Candy House.
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002.情報屋と殺し屋
それは,常人の耳では拾うことができないほどの小さな音。
耳に差し込んだイヤフォンから流れ出る音楽の合間に,小さな足音を拾った。
途端,だらしなく組んだ脚をデスクの上に投げ出しつま先だけをゆらゆらとさせながら雑誌のページを捲っていた白崎の顔が上がる。
口の端に滲むのは笑み。
退屈で死にそうな顔をしていたのもどこへやら,さっさと脚を下ろすと襟元に留めていたミュージックプレイヤのスイッチを切りドアへと向かった。
そして向こうからドアが開くのにぴったりのタイミングで恭しく来客を迎える。
「一護ちゃん,いらっしゃい」
へらりと笑って両腕を広げると,ドアの前に立つ客は眉間にぎゅっと皺を寄せ「ちゃん付けすんな」と不機嫌な声で云う。
相変わらずの愛想のなさにますます嬉しくなってドアの外へと足を踏み出し腕を伸ばして抱き寄せた。
「あー,日向の匂いがするー」
「なんだそれ」
「一護はいつも太陽の匂いがすんの。いーい匂い」
「するわけねーだろ。第一もう日なんかとっくに沈んでる」
素っ気無く云われ,そうだっけ?とおどけて眉を跳ね上げると眉間に皺を寄せたまま一護が笑った。
それはまっさらな笑顔というわけではなく,云わば「苦笑」に近いものだったけれど,それでも一護が笑うと嬉しくなる。
喉を鳴らして笑いながら肩を抱いたまま部屋へと促す。
ドアを潜りしな,そういえば,と白崎は一護の背後に視線をやった。
「アレ,今日はアイツ来てねーの?バンビ」
「お前んとこ寄る,つったら歌に出てくる牛みたいな顔して見送られた」
「歌?牛?どんなの?」
うろ覚えだと云いながらも小さな声で一護が口ずさんだのは白崎も聞いたことがあるどこかの国の民謡で,子牛が売られていくのがどうのこうのという物悲しい歌だった。
この場合売られていく牛がバンビ――一護の仕事仲間で確か名前は浦原とかいう――なのだろうか。
自分と同じほどの背丈のある浦原の容貌を思い出し白崎は子牛というには可愛げがなさすぎるだろ,と鼻を鳴らした。
「子牛,ねぇ。あ,食う?食いに行く?美味いよな子牛」
「そんな時間ねーよ」
「えー,なんでー」
「出かけるついでに寄っただけなんだっつの。それより資料は?」
白崎は情報屋。
一護はお得意さんでもある殺し屋。
これが二人の関係だった。
白崎はもともと年若い頃から凄腕として鳴らした一護の同業だったが,悪戯が過ぎて当時の上司にクビを言い渡された。
しばらくは一人でふらふらとしながらも仕事を続けていたが人の命を奪う技量には長けていても,マネジメント能力には著しく問題のあるということに気づいて自主的に廃業した。
いちいち依頼人に会ったり,なんでソイツを殺したいか聞かされたり,とかつくづく面倒なのだ。
他人の恨みつらみなんてどうでもいい。ターゲットの詳細な資料と期日,あとは報酬を提示してくれればそれでいい。
苛立ちの滲む声で白崎は何度もそう説明した。なのにほとんどの人間は金で一人の人間の未来を潰すことによほどの罪悪感を感じるのか,くどくどといいわけじみた事情を語って聞かせたがる。
めんどくせーからコイツも殺しちまうか。
ひとり悲劇に酔ったように戯言を吐き出し続ける依頼人を前に何度も何度もそう思った。
しかし依頼を受けずに人を殺せば,それは殺し屋ではない。ただの人殺しだ。
何が違うのかと云われれば,説明が面倒だから主張したことはなかったが,白崎の中でそのふたつはまったく別のものだった。
殺し屋稼業を廃業して,しばらくはぶらぶらと何もせずに過ごしていた。
すぐに金に困るようなことはなかったし,一般に長く勤めた職を辞した後はそんな風に過ごすものだと酒場で知り合ったオヤジも云っていた。
しかし金が底を尽きるより先に(当たり前だ。白崎の資産は常人が一生を八回繰り返しても釣りが出るほどの額だった)退屈にヤラレた。
退屈で退屈で死にそうだった。
仕事をしていたころが毎日エキサイティングで血が沸き肉踊るような日々だったかと云えばそんなことはなかったが,少なくとも今よりはマシだった。
あのクソムカツク上司に頭を下げてでも復帰するか,とまで考えた。
冗談じゃない,とその案はすぐに却下されたけれど,それでもことあるごとの頭の隅をちらついた。
元の上司から連絡があったのはそんなときだった。
情報屋で名の売れていた老翁が引退するという。
その後を引き継ぐつもりはないか,というのが上司の用件だった。
情報屋?
現役だった頃から白崎は途方もナイ面倒がりだったため,仕事前の下調べはすべて上司にさせていた。
なのでそういった職種とはまったく縁も所縁もなかった。
情報屋,ねぇ。
少なくとも今よりはマシだろう。
引き受けたのはそんな思いからだった。
面倒なことはいくつもあった。
けれども少なくとも死にそうな退屈からは遠のいた。
そして何より今の白崎には一護がいる。
お得意さんとは云え,正味金を払うのは一護ではなく一護の上司だ。
本来ならば一護は人の使いなんかで動くような人間ではないのだけれど,白崎がマケた分の情報料の何割かが自分の報酬に上乗せされるという契約を結んでいるらしく,面倒がりながらも指示があるとこうして渋々ここにやってくる。
理由なんかどうでもいいのだ。
一護が来てくれるなら。
どうせならバンビのアホも連れてきてくれればもっと楽しみが増えるのだけど,一護が来ずにバンビひとりが来るよりは全然いい。
「資料はねーえ」
口をへの字に曲げている一護の手を取り,指を絡めてデスクへと誘う。
そして閉じたノート型のコンピュータの横に転がしてあった指半分ほどのサイズのフラッシュメモリを摘んで揺らした。
「ちゃんと用意してある。つってもコレ急ぎじゃないって聞いてるぜ」
「持ってくのは明日」
「今日のことの後は?仕事?」
「違う。CD屋」
「俺も行く」
「お前はAmazon使っとけ」
「なんでよ。いいじゃん。行く行く」
「事務所客来たらどうすんだよ」
「運がなかったと思って諦めてもらう。大丈夫いちおー携帯は持っていくし」
「試聴してる横でがちゃがちゃ携帯で喋られるとムカツクんだよ」
「じゃ,電源切っとく」
「それじゃ仕事になんねーだろ」
呆れた風に息を吐き,がっくりと肩を落とす一護をよそに,白崎はさっさと出かける準備を整えた。
「お・ま・た・せv」
「…お前なぁ」
「オレ,一護にお前って呼ばれんの好きよ?ほかのヤツだったら瞬殺モンだけど,なんでか嬉しくなるんだよな」
「……誰もそんなハナシしてねぇし」
「さ,行こ?」
るんるん気分で先に立って歩き出した白崎は,ドアを大きく開け放つとそれを支えて一護がやってくるのを待った。
「ねー一護ちゃん」
「だからちゃん付すんなって」
「CD買ったらバンビも呼んでメシ食おうぜ。子牛子牛。共食いさせてやる」
ため息を吐きながらドアを潜った一護の肘を掴んで,肩を抱き寄せながら,白崎はどこまでも上機嫌に子牛子牛と節をつけて繰り返した。
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