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西條 葎





† † †



/// iii ///



本当は来るつもりなんかなかった。
あんなふざけたメールで。詫びのひとつもなしに。

別に約束をしていたわけではない。
しかし,誘いはしたのだ。
次の日曜日,空いてるか,と。
誕生日だから,とは云わなかった。祝って欲しいとねだったりもしていない。
今年の春の辞令で部署が変わって三ヶ月。
それまでとは比にはならない忙しい日々を過ごすようになった浦原を,煩わせてはならないと,それくらいの気は使えるつもりだった。
けれどもそれは間をおかず聞こえて来た浦原の一言で霧散してしまった。

「あー,無理っスね。確実に仕事なんで,何時に終わるかわからない」

躊躇いもせずに返ってきた言葉。ため息混じりの口調。
ああそうかよ。勝手にしろ。
吐き捨てたくなるのをぐっと堪えて,感情を殺した平坦な口調で「そっか。じゃあいい」とだけ返した。

それでももしかしたら,と少しは期待したのだ。
期待すれば裏切られる。
どうせ無理だ。期待するだけ無駄だ。裏切られてがっかりするのは目に見えている。
そう思って諦めようとした。
諦めた。諦め切れたと,そう思った。
けれども実際はほぼ一日家から出ることもせず,携帯を睨んでいるだけで終わろうとしていた。

FROM:浦原
MESSAGE:○○駅前の焼鳥屋にいるんだけど,よかったら来ませんか。お通しのこんにゃくが美味しい。

着信した瞬間は飛び上がりそうになった。
驚いて,だ。喜びでではない。絶対に。
驚いて飛び上がりそうになって,開いたメールに顔が歪んだ。

何が焼鳥屋だ。
何がお通しだ。
何がこんにゃくだ。
ふざけるな。

腹の底が煮えるような心地がして「行かない」とだけ返した。
送信釦を押して,携帯を放り投げた。
枕のすぐ横まで飛んでいった携帯電話は,ほどなくして再度震動した。

しばらく無視していたが,結局ベッドの上で伸び上がるように横たわり,うつ伏せになったまま届いたメールを開いた。

画面に大写しになったのは縁が白く,中心は淡いピンク色をした鶏の切り身がほんのり濁った醤油に浸かり,ゆでた三つ葉の茎が添えられた小鉢と,透明な酒が満たされ大振りな氷が浮かぶ酒の器の写真だった。

FROM:浦原
MESSAGE:鶏わさも美味しい。

ぐっ,と喉が変な音を立てた。
メールを消し,再び携帯電話を放り投げようとした。
しかし握りこんだ携帯が再び震動し,メールの着信を告げる。
もう見ずに電源を落としてしまえ。
そう思った。

けれども,結局誘惑に負けた。
開いたメールには写真のみが添付されていた。
千切りされた…鶏皮,だろうか。それと向こう側が透けて見えるほど薄くスライスされた玉ねぎ。
上には紅葉おろしが添えられている。

その後も,間隔を開けてメールは何通も届いた。
厚焼き玉子。うずらの卵の黄身が添えられたつくね。梅肉のたたいたものと刻んだ大葉が載せられた笹身串。
ポテトサラダ。手作りコロッケ。鶏雑炊。
腹が立つことにどれもこれも一護の好物ばかりだった。

途中,笹身串のメールが届いた直後に一通だけ返信した。
「しね」とだけ記して,変換すらせずに送信した。
同時にブラウザを呼び出し,二通目のメールに添付されていた写真に写り込んでいた店の名前で検索かける。
家から一番近い大通りでタクシーを拾って十分と少し。
店の前でタクシーを降り,煮しめたような紺色の暖簾をくぐったのだった。

浦原は一護の怒りなどまったく気付かない……というよりも気にしない素振りで料理を薦めた。
酒を横取りしても,煙草を横取りしても怒らない。
それどころか楽しげにしているのでこちらの苛立ちばかりが募っていく。
が,それも運ばれてきた料理に箸をつけ,自覚のなかった空腹を自覚し,それが癒されていくとどうでもよくなってしまった。
なし崩しに言葉を交してしまう。
悔しい。そう思うのに。
それを露にするのがまるで子どもの駄々のように感じられて,感情のままに振舞えなくなる。

「そういえば会うの久しぶりっスね。元気にしてました?」
「風邪引いて死に掛けた」
「大げさな。死ぬ前に実家に帰りなさいな。お父サン診てくれるでしょ」
「風邪ごときで頼れるか,馬鹿」
「云ってることが矛盾してる」
「煩ぇ。黙れ。これもう一杯」
「同じのでいいの」
「いい」

「スミマセン,おかわりふたつお願いします」店員に告げる声を聞きながら,それが自分に向けられるのと違っていることに気付いてしまう。
胸の裡にふわりと広がる間隔に,「ほだされんな,馬鹿」と顔を顰めた。

「眉間の皺,クセになっちゃいますよン。いつも云ってるでしょ」
「放っとけ」
「誕生日,オメデトウゴザイマス」

一瞬,頭が真っ白になった。
覚えてるのか,忘れてるのか,傍らでいくら気配を探ってもわからなかった。
別にいい。どうでもいい。そう思おうとして,漸くそれが成功しつつあった。それなのに。

「お前…マジ最悪」
「忘れてると思った?」

小さく喉を鳴らし,新しい煙草を指先で摘んで引き抜く。
腹が立って,それを傍らから奪い自分の口に咥えた。
くすくす笑いながらライターの火が寄せられ,それが五年前付き合い始めて最初の浦原の誕生日に自分が贈ったものだと気付いて赤面した。
このタイミングで,それを出すか。
さっきまで使ってた百円ライターはどこへやりやがった。

「あのね,何年つきあってると思ってるの。忘れるわけないでしょ」
「どうだかな。忙しいってのは心を亡くすって書くんだろ」
「オヤ,詩人っスね。誰の受け売り?」
「過労死しちまえ」
「そしたら,泣いてくれる?」
「高笑いしてやる」

浦原は笑う。
ひっそりと声を立てずに笑って,指先に移した煙草を灰皿の縁でとん,とやりながら目を伏せる。

「死ねないなァ。泣かせたくないし」
「泣かねっつってんだろ。誰が泣くか。高笑いだ高笑い」
「今日,泊まっていってくれるでしょ」
「ふざけんな。帰るに決まってんだろ。タクシー代寄越せ」
「うちまでの分なら奢ってあげる」
「俺の帰る先は俺んちだっつの。つーかモノ頼むにはそれなりの姿勢ってもんがあるだろ」
「頭でも下げたらいいの」

横目に睨みつけると,記憶の中よりも幾分頬がこけているのに気が付いた。
忙しかったというのは本当なのだろう。
浦原はくだらない嘘は息をするようにつくけれど,一護が本当に傷つく嘘はつかない。

誕生日を迎えて二十歳になって,やっと成人と未成年というくくりの中でだけ同じフィールドに立てるようになったけれども,一護はまだ学生で,一方浦原は何人も部下を持つ社会人だ。
十二の齢の差は,背伸びをしたくらいで埋められるものではない。
この五年のつきあいで嫌って程思い知らされている。
それでも。
十二の齢の差が半年だけ十一に縮まる。
そういう意味で一護にとって自分の誕生日は特別な日だった。

「仕事じゃねえんだ。頭下げてもらって俺になんの得がある。天辺薄くなってるか見ろってか」
「そういうデリケートな部分を刺激する嫌味はやさしくないっスよ」
「気になんのか,天辺」
「アタシの齢になればキミだって」
「うち,遺伝的にハゲねえから」
「そういえば一心サンも毛根頑丈そうな髪してますよね。……っていうか,髪の話はいいから」

いやそうに顰められた顔を横目に見て,ほんのすこしだけど気持ちがすっとした。
溜飲が下がった,というのか。
ふふん,と鼻で笑って,グラスに口をつける。

「会えなかった一ヶ月の間,仮眠する度にキミの夢を見た」

グラスを傾ける手が止まった。
唇に触れるつめたい酒の感触。鼻をくすぐるツンとした匂い。
鼓膜を震わせる声が,言葉が,身体中を駆け巡り,呼吸ができなくなる。

「会いたくて会いたくて気が狂いそうだった。やっと会えたのに,帰るなんて云わないで」

浦原の声は,淡々としていた。
淡々としているのに,嘘も,揶揄も,誇張すら感じられない。
思っていることをただ口に出しただけ。
最悪だった。
せめてもっと芝居がかってるとか,うそ臭さが少しでもあれば,馬鹿にするなと笑って打ち捨てられたのに。
聞かなかったことにして「ごっそさん」の一言を残して,自分ひとり乗り込むためのタクシーを捕まえることができたのに。

カウンタの下,Tシャツの裾がくん,と引かれた。
何,と視線をやると,浦原の手が掴んで居た。

「帰らないで。朝までずっと一緒に居て」

まるで子どもの駄々のような声音と,じ,と向けられる眼差し。

ヤラレタ。
手を振り払うことはおろか,是と返事することすら一護にはできなかった。

無言で皿に残る料理を平らげ,会計を済ませる浦原を待った。
美味しかったです。また寄らせてもらいますねン。
愛想よく云って釣銭を受け取る浦原には,照れも恥じらいもどこにもない。

あんな台詞を吐いておきながら。
あんなねだり方をしておきながら。
あれが大人のすることか?

財布に札を仕舞い,浦原が顔を上げ一護を見た。

「行きましょっか」

間が悪いのか,通りに出てもタクシーは捕まらなかった。

「部屋まで歩いていく?」
「コンビニ寄らねえと」
「ああそっすスね。寄らないともうコンドームがない」
「……別にそういう意味で云ったんじゃねえんだけど」
「まだ何か食べるの?」
「食えるか,馬鹿」

テイルランプが流れる通りを渡って,細い路地に入ると浦原が手を繋ぎ指を絡めてきた。
一護がそのままにさせていると,半歩前を歩く浦原が小さく笑う。

「これじゃどっちが誕生日かわかんないっスね」
「誰のせいだ誰の」
「祝わせてくれてありがとう」
「……つーか,祝ってたのか,アレで」
「いや,もちろんこれからっスけど本番は」
「本番とか云ってんなすけべじじい」
「じじいは酷い。齢の差ひとつ減ったのに」
「半年後にはまた増えるけどな」
「でもまた半年経てばまたひとつ減る」

減って,増えて,また減って。
繋いだ手が離れない限り,季節は巡り,共に過ごした時間が線となり数多の思い出を描き出す。

「愛してますよン。一護サン」
「うっそくせ」
「嘘だと思う?」

思ってたらここにいるわけないだろ,と絡めた指に力を篭めると,浦原が一瞬足を止め,振り返ったその勢いで唇を重ねてきた。
ほんの一瞬。
それなのに,頭の芯が痺れて,危うく縋りつきそうになった。

「ねえ,今日は上に乗って?」
「楽しようとしてんなよ。誰の誕生日だと思ってやがる」
「じゃあ,まずはお風呂入りましょ。頭洗ってあげる。身体も。全部。余すことなく」

歌うように節をつけていい,絡めた指先がきゅ,と握りこまれる。
くらり,世界が傾いだ気がした。











>> fin