X-GAME
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#01 ソウル・リミッタ
「だって…ねぇ?春は恋の季節でしょう?」
耳朶に触れるか否かのところで相手の唇が囁いた台詞に、一護はぎゅ、と歯を食い縛って、心中で「ふざけんな!」と毒づいた。
言葉を声に還元しなかったのは、相手に遠慮したからでもなんでもない。
今、口を開けば吐き出したい罵詈雑言は、きっと尽く一護本人の意思に叛した音になるだろうから。
確かに、世間一般、浮き世の季節は紛う事なき春爛漫。
一昔以前の風情を残す異次元駄菓子屋の小さな坪庭に、元からあったか無かったか気付きもしなかった桜の木が、その存在をこれでもかと主張すべく花を付けている。
開け放たれた障子窓から、時折未だ少し冷たい風に乗って、はらり花片が零れてくる様は疑いようもない春の証。
「……っ、」
小さく息を詰めて、肘を突いた文机に爪を立てる。使い込まれた木目の上を滑った指先が、其処に置いてあった小さな石の欠片を弾いた。
#02 パーフェクト・ラヴァー
浦原の恋人は、それはそれは外面が良い。
兎にも角にも外面が良い。
彼を知る人は皆、十人中十人、彼を『好青年』と評価する。
しかも彼は、妙齢の女性にモテる。
そして当然、その手の男にもモテる。
だがしかし、そこいらの馬の骨ならば未だ安心出来ようと云うモノだけれど、事もあろうか可愛い恋人は権力の権化の如き老人にもモテるし、世界が自分の中心だと思っているくらい我が儘な子供にも酷くモテるから、老若男女全てが浦原のライバルという厄介な相関図が出来上がる。
さらに蛇足的に付け足すならば、彼は猛犬的ドーベルマンや、気まぐれな路地裏の猫達にすら、擦り寄られる始末。
そんな恋人を持つ浦原の気苦労を分かち合える者など、おそらくこの世には居ないだろう。
本来ならば、牽制を兼ねて、周囲の羨望を恣に愛しい恋人との関係を声を大にして世に叫びたい所であるけれど、恋人はそれを赦してはくれない。
まあそれも致し方がない。浦原と恋人である彼との互いの立場は、世間一般では相容れない間柄。
恋に障害は付きものである。
#03 heart intruders. Green episode.
静謐が瞼に降りてくる。
五感を全て磨ぎ澄ましても捉え切れない絶対的な何かが、すぐ近くの、けれども何処か知れない遠い場所に、確かに存在するのを感じる様な不思議な感覚。
重なりあう針葉樹の影から差す細く交差する木漏陽、肺を浄化する噎せ返るような緑の匂い。頬に触れる風は浦原が知るどの晩夏の風よりも清涼で、遠くに微かに聞こえる水音が、つい先ほど口に含んだ疏水の冷たさを思い出させた。
この森は、人の棲まう都から遥か辺境の地。
夏は瞬きほど短く、冬は怖ろしく厳しく長い。
浦原が初めてこの森を訪れたのは、ちょうど一年前の初夏辺り。
新緑がいよいよ濃くなり、鬱蒼と葉を伸ばした木々が、空へ空へ伸びて行くそんな季節だった。
独裁者の暗殺という形で終止符を打った先の大戦後、浦原は戦渦の中で邂逅し、その後消息知れずになっている人物をずっとずっと捜していた。
寝ても覚めても、捜し人を求めて奔走する浦原に呆れながらも、周囲の幾人かは親身になって力を貸してくれた。
そうしてある日、遂に確信的な情報をもたらしてくれた友人は、今は首都で復興の旗を振っている中心人物で、先の大戦では諜報部の准将にまで上り詰めた女傑だった。
「お主の捜しておる人物に、おそらく相違あるまい」
権力を駆使して情報を集めてくれた友人の言葉を聞き終わるか否かの間に、浦原は身ひとつで汽車に飛び乗った。
#04 白銀草子
天高く馬肥ゆる秋。
朝夕の風の中に、そう遠くない冬枯れの季節を知らしめる気配が混ざり始めたそんな候。
空は高く澄み渡り、遠くの山並みもくっきりとその稜線を露わにしている。きっと、もう半月もすればあの山が白い冠を頂き、寒々とした季節がやってくる。
それならば、こんな小春日和の良い日には日向で微睡む幸せを噛み締めておかなければならないだろう。
秋の陽は釣瓶落とし。
来るべき灰色の季節に備え、太陽の恩恵を染み込ませておかなければ。
領主の元で街の治安を預かる役職を担っていながら、そんな屁理屈を勝手に持ち出し昼間から縁側で惰眠を貪っていた浦原は、どすどすどす、と板の間を渡ってくる荒々しい足音に眼を閉じたまま眉を顰めた。
浦原の身の回りで、そんな風に乱雑な脚捌きをする人物は限られている。
真っ先に思い浮かんだのは、この小国の十三に分けられた領地のひとつである弐ノ国を治める女傑。本来、彼女は浦原の上司のそのまた上司。由緒正しき一族の血を引く姫君で、街の者からも部下からも慕われている領主で、そして浦原の幼馴れ初めでもある人物。
けれど、近づいてくる足音が軋ませる板間の感じから鑑みるに、おそらくあれは先日のように昼真っから酒盛りをしようとお忍びで訪れた領主サマではなく、浦原の直属の上司である朽木白哉の遣いの男。
朽木家も、これまた平民ならば地面にアタマを擦り付けて平伏すほどに由緒ある名家で、白哉の祖父は陸ノ国の領主である。ゆくゆくはその地位を継ぎ、陸ノ国の領主になるべく青年が寄越した遣いは、良家の使者とは思えぬ所作で縁側に寝転がっている浦原の頭上、袴の裾が触れそうな位置で仁王立ちし、態とらしく溜息を吐いた。
「……阿散井サン…其処に立たれると、日当たり悪くなるんスけど…」
#05 eyes hacker.
喜びは刹那 遠離るほどに憧憬を煽る
怒りは鮮烈 彩度は高く且つ褪せ易い
哀しみは深沈 息長く何処までも沁みゆく
楽しみは秘録 分かち合えぬうちが華
【1日目】ラットの運命や如何に。
倫理・モラル・道徳。
それらの言葉が持つ定義は結局は全て後付で、後にその道を通る人々に向けて発令されるべき箝口令のようなもの。
物事の先端にいる者にとってそれらの道標は無いに等しく、また存在したところで、それは未開拓の地へと踏み込むことを禁ずる忌々しい標識でしかない。
未知を暴く者にとって、あまりに偽善に満ちた微弱な障害は、一枚の葉に落ちた朝露の如き儚さで打ち払われ、霧散する。
ピュア・ブラウンの眼に確かに存在するその意思を、浦原は眼を眇めて検分する。
軍と局とが持てる技術の粋を集めて造り上げたそれは、量子制御式人工知能の集合体。
【アンドロイド】と、付加された言葉で云ってしまえば簡単だが、その構想から現在に至るまでには既に四半世紀以上もの時間と、それに追従する莫大な予算、そして様々な分野の研究者やエンジニア等が命を削って錬成させた叡智が注がれて、件の個体を構成している。尤も、基盤と為るべき量子制御技術が確立・実用化されたのはつい最近のことで、その技術をこの個体に組み込むプロトタイプを成功させたのは他でもない浦原自身。
誰も為し得なかった技術を立証させた浦原だったが、理論と実証を結びつけた段階で自分の仕事は終えたものだと思ったし、同時にそれまで未踏だった領域に
踏み込んだ瞬間に既に浦原の中では興味の対象では無くなっていた。
だから、己の開発した技術がどんな形を結ぼうと、それは既に浦原の興味の範囲外の事だった。
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